第5話 人魚の涙

 熱い湿った指をしている。

 小さな掌に温もりが宿る。

 私がその年の頃に、この島で人魚に会った。そればかりか命を救ってもらった。言葉も交わしたが、それは音声によるものではない。骨伝導のような音波によるものでもない。

 接触念波とでもいうのだろうか。

 電気信号に最も近いとは、思う。

「お父ちゃん、なんか転校生が来たよ」

 小学生の息子が私の背中に飛びつきながらそう言った。6年生の先輩に当たるが

過疎の進む離島の事情で、学科によっては教室は同じだった。片手で数えることのできる学年すらある。

「来月は診察だから、その子に会えるよ」

「ああ、身体検査の時期だからね」

 そう答えた。


 この離島には耳鼻科の医師として赴任した。

 勤務先は総合診療所で、任期は3年でありその半ばを過ぎている。

 妻とは別居中ではあるが、子供との連絡は欠かさない。この数年が冷却期間になればいいと思っている。

 地方勤務医の募集をみて、故郷のあの海を彼に見せたいと思い志望した。少しでも海がこの子の寂しさを埋めることができるかと思った。

 この島での子供は誰からも可愛がられ、どの場所にいても親に連絡が来るほどだ。私がかつて遊泳禁止区に出入りしていたことなどは、両親にもお見通しであっただろう。

 

 私が耳鼻科医師を目指したのは、人魚との交流が原因だと思う。

 イルカやジュゴンなどの水生哺乳類は、声帯を持たずとも唄う。その唄は、後頭部にある噴気孔を微細に震わせることで発声している。それを反響定位エコロケーションという。

 噴気孔は呼吸器官でもあるので、人体でいうと鼻に当たる。鼻腔内の気嚢を声帯の代わりに使っている。そうして小鳥のような鋭い高音や、木琴を擦るような擦過音などを出している。

 いわば鼻歌ではあるものの、それはサイレンのように広範囲に意思を繋げている。研究の中で求愛を告げるものや、群れに対する危険を知らせるものなど様々な唄がある。

 それらの音波をイルカは、頭頂部の膨らみで受け取る。

 そこをメロン器官と呼ぶ。脂肪の塊であるものの意識して動かせるという。その器官で音波を掴み取って、骨伝導で相手の意思を脳で理解しているという。

 さらにイルカには特殊な能力がある。

 皮膚に微弱電流を流すことが出来る。その電流のスーツを纏うことで、水の抵抗をいなして高速で泳ぐことが出来るらしい。

 私がこの島の棲むのも、これらの研究を愉しむためでもある。

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