第19話 おっちゃんの孫娘

 娼館の中は、酷い臭いがした。

 男の汗と体液、娼婦がつけるキツイ香水、生乾きの洗濯物、酒、小便、糞便、色々な臭いが入り交じり耐えがたい悪臭が充満していた。


 俺はボロ布で区切られた小部屋に案内され、汚いシーツがかぶせられたボロベッドに座っている。ボロベッドは木の板を渡しただけで、ちょっと身じろぎをするだけで、キイキイと悲鳴を上げた。

 ここで娼婦と致すのは、よほど特殊な性癖の持ち主でないと無理に思える。


「さっさと行きな! 仕事しな!」


 遣り手婆の怒鳴り声が聞こえた。

 しばらくするとボロ布の仕切りがまくり上げられて、真っ青な顔をした若い女が顔を出した。うつむいて一言も発しない。


 おっちゃんの孫娘ソフィアだろうか?


 俺は、じっくりと女の顔を見る。

 部屋に入って来た時は、十八、九かと思ったが、こうしてよく見ると、まだ幼さを残している。十五、六歳だろう。

 白い肌にはあちこちアザが出来ていて、金色の髪は所々白くなっている。かわいそうに、ここで辛い目にあっているのだろう。


 それにも関わらず、彼女は間違いなく美少女だ。

 さらにグレアム伯爵家の廃屋でみた家族の絵に描かれていた少女の面影を色濃く残している。


 彼女がおっちゃんの孫娘ソフィアで間違いないと俺は判断した。念のためスキル鑑定を発動してみると、名前はソフィア・グレアムと出た。


「ソフィア」


 俺が周りに聞こえないように小さな声で名前を呼ぶと、ソフィアの顔は血の気が完全にひいて白くなった。

 名前を呼ばれるのが恐ろしいほどの目にあったのか?

 グレアム伯爵家のソフィアとして、一体何をされた?


 俺はスキル収納からおっちゃんの形見である短剣を取り出した。

 先ほどと同じように周りに聞こえないように小声で話しかける。


「俺はソフィアのお祖父さんの友人だ。お祖父さんは亡くなった。亡くなる前に、遺品を娘か孫に届けてくれと俺に頼んだ。受け取ってくれ」


 ソフィアは雷に打たれたように目を見開き俺を見た。俺はゆっくりとうなずくと、ソフィアの手を取りおっちゃんから預かった短剣を握らせた。


 ソフィアの手は震えている。


 俺はソフィアに、おっちゃんと俺の関係を、ゆっくり話した。



 周りを気にしながら小声でだが、なんとか俺とおっちゃんの関係を話し終えた。ソフィアの顔色は、少しマシになり、手の震えも止まった。俺のことを信用してくれたのだろうか? 異世界から来た話をしたが、ちゃんと信じてもらえたのだろうか?


 さて、ゆっくりと話していたいが、ノロノロしていると遣り手婆が『時間だよ!』と乗り込んで来る。


 俺は小さな声で、今後どうするかをソフィアに尋ねた。


「これからどうする?」


「これから?」


 ソフィアはやっと言葉を発した。俺とおっちゃんの話を聞いて、俺のことを多少は信用してくれたのだろう。

 ソフィアの声は、幼さの残る声だ。アニスモーン伯爵に怒りを感じるが、今はソフィアだ。


「ソフィアが望むなら、ここから逃してやる。違う国へ行っても良い」


 アニスモーン伯爵の追っ手から、ソフィアを連れて逃げることになる。ソフィアは栄養状態が悪そうで、体力はなさそうだ。恐らく苦難の旅になるだろう。

 だが、おっちゃんの孫娘を、こんな場所に置いておけない。俺が背負ってでも逃がしてやるつもりだ。


 俺の問いにソフィアは、ジッとうつむいて考えていたが、やがて、口を開いた。


「なぜですか?」


 ソフィアの疑問に俺は即答する。


「先ほど話したように、おっちゃん……、ソフィアのお祖父さんは、俺の友人だった。孤独だった俺を救ってくれた。だから、おっちゃんの孫娘であるソフィアを助けたい」


「そうですか」


 感情が抜け落ちてしまったソフィアの返事に、心が痛む。人格が壊されてしまったのだろうか。何とかしてやりたいと俺は心から思った。

 ソフィアから意思表示が何も返ってこないので、俺は強引に連れ出そうかと考えた。


「私は、おじい様とソーマさんのいた世界に行きたい」


「えっ?」


 突然、ソフィアが言葉を発した。限りなく平板な音が俺の耳に届く。ソフィアは、俺とおっちゃんのいた世界、つまり日本に行きたいと言った。


 日本にソフィアを連れて行く。悪くない気がした。


 ソフィアは、少なくともこの国に居場所がない。現在の国王と政治上対立し、族滅されたグレアム伯爵家の人間だからだ。

 ソフィアはグレアム伯爵家唯一の生き残りだが、恥辱を与える為にワザとこんな糞溜めで生かされている。陰湿な見せしめだ。国王に逆らうと、どうなるか? 生きた見本がソフィアだ。


 ならば、おっちゃんがしたように、異世界に逃げるのも一手だろう。


 だが、俺は答えに詰まった。


「連れて行けるものなら、連れて行ってやりたいが……。俺は異世界に行く方法がわからない」


 異世界を行き来する方法を知るおっちゃんは、死んでしまった。

 俺では、どうにも出来ない。


「私がお連れします」


 俺は困ってしまっていたが、ソフィアは死んだ表情のままとんでもないことを口にした。

 私がお連れします? 行けるのか? 日本に?


「えっ? どうやって?」


 ソフィアは、おっちゃんの形見である短剣を、俺の目の前に差し出した。


「この短剣はグレアム伯爵家の家宝です。秘伝の魔法を使えるようになる魔道具なのです」


「魔道具!?」


 俺は大きく目を見開き短剣を見た。ただならぬ立派な装飾は家宝に相応しい。そして、この短剣が魔道具なら、俺が日本からこの異世界にわけの分からない形で来たことも、ちょっとは納得出来る。


「では、参りましょう。短剣に触れて下さい」


「お、おう」


 ソフィアが持つ短剣を俺も握った。続けて、ソフィアが淡々と指示する。


「目をつぶり、行きたい場所を強く思い浮かべて下さい」


 俺は、おっちゃんと酒を飲んだ近所の公園を思い浮かべた。


「いいぞ」


「では、魔法を起動します」


 ソフィアが小声で何かささやいた。

 急激な落下、上下の感覚の失調、目まいと気持ち悪さを感じた。


 すぐに嫌な感覚は消え、排気ガスの臭いとトラックのエンジン音が聞こえた。

 目を閉じた状態だが、瞼越しに明るい日差しを感じる。


「到着しました」


 ソフィアの抑揚のない声が聞こえ、俺はゆっくりと目を開いた。

 目を開くと、おっちゃんと過ごした公園だった。

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