第20話 血染め


 正直、油断していた。


 魔王の近くで一日中部屋に籠もって書類業務に勤しんでいれば安全だと思っていた。


 戦場に出ることもなく、一番安全な場所で情報を抜き取り、多種族同盟軍に流す。

 危険なのは人族の領地に戻る理由を説明できるかどうか。


 しかし、この問題は老龍クシャリカーナが俺に多種族同盟軍への潜入を頼んできたことで簡単に解決することができた。


 だから、安心しきっていた。それが仇となった。


 何が婚活だよ。

 何が勇者を誘い出して、四天王と戦わせて婿候補にするだよ。


 馬鹿馬鹿しい。

 結局、婿候補になったのは言い出しっぺの俺じゃねぇか。



「記録上、貴様はまだ人を殺したことがない。それが事実ならここで一皮抜けておけ。レイラルーシスの婿だろう?」



 ニヤリとつりあがった片方の口角が、いかに性格の悪い王子なのか知らしめている。



「……なぁ、それって――」



 と、続けそうになった口を強引に閉じた。


 鋭い視線が向けられている。


 魔宮殿に強い魔素を放ち、使用人であっても客人であってもお構いなしに一時的な魔素酔いをもたらす人物。


 俺の視線の先には、3代目魔王――レイラルーシス・ジ・ブラッドローズ

が仁王立ちしていた。


 更に上空には、誰も逃がすまい、と言わんばかりにドラゴンが旋回している。

 クシャ爺とは別の飛竜種だ。


 では、クシャ爺はいないのかと問われれば、答えはNOだ。

 あのヒトがこんなお祭り騒ぎの場に来ないなんてありえない。


 案の定、俺の師匠は飛竜種の更に上空から俺を見下ろしていた。


 シュガの目はどんなに離れたものでも見つけることができる。

 やっぱり契約しておいてよかったと思う反面、余計な気を揉む場面も増えた。


 クシャ爺め。毎度毎度、あんな高高度から俺を監視していたんじゃないだろうな。



「なにか?」



 適当な理由をつけて俺が同族あいつらを殺さない方法を提案しようとしたが、それはお門違いだと気づいた。


 俺がやらなくても、別の誰かがやる。


 殺されなくても死ぬまで奴隷かもしれない。


 それなら、ここで簡単に殺してしまった方があいつらにとっては楽なのではないか……?


 果たして俺にできるのか。


 でも、この状況ならやるしかない。

 ここで逃げたら魔王の信頼を失うことになりかねない。


 いずれはこういう日が来るかもしれないと思っていたが、いざ直面すると全身が燃えるようで、流れ落ちる冷や汗はやたらと冷たく感じた。


 かつてないほどに鼓動がはやい。



 やめろ、マスクは取るな――



 そう願うことしかできなかった。


 魔族に捕えられた騎士のうち2人は怯え切っている。

 しかし、こんな敵地のど真ん中に引きずり出されてもなお、敵対心を失っていない男が1人だけいた。


 鎖に繋がれていなければ、今すぐにでも殴りかかってきそうな雰囲気の男。


 俺が孤児院で過ごす中で一番最初に騎士となって出て行ったあいつだ。



「ほら、3人とはいえ相手は人族だ。どんな方法で殺しても構わないぞ」



 訓練場にいる誰もが手を止めて俺たちを注視している。


 震える手をもう片方の手で隠した俺はどうするべきか思考をフル回転させた。



「……ツダ」

「手を出すなよ、シュガ」

「目を出すの間違いでしょ」



 今はもう俺たちの視覚リンクは切れている。だから、シュガが何を見ているのか俺には分からない。



「婿さんのお手並み拝見だ。枷を全て外せ」



 ――ッ!



 ドゥエチの指示で人族3人の拘束が解かれる。

 もちろん首輪も。首輪に繋がるマスクも。



「そい――っ! カヒュッ」

「ツ――! アガッ……ぐっ……はっ」



 怯えきっていた2人のマスクが外されると同時に踏み込んだ俺が、彼らの目の前に辿り着いたのはギリギリのタイミングだった。


 勢いのままに1人目の喉元を掻っ切る。


 そして、おびただしい量の鮮血を目で追う余裕も無く、もう1人の喉をネックレスで縛り上げた。


 あと1人――


 こいつらは俺を覚えている。


 危険なのは闘争心を失った2人の騎士。

 こいつらは我が身可愛さに間違いなく俺を売る。


 私怨はない。

 余計なことを喋られる前に仕留めるだけだ。


 敵意剥き出しの騎士は後回しでいいと判断した俺は正しかった。



「ツダ、なん……死ん……は――」



 俺を馬鹿にして孤児院を出て行った騎士は、今の俺の姿を見て動揺し、さっきまでの憎悪が一瞬消えた。


 俺はその一瞬を逃さない。


 ここで俺の正体をバラされるわけにはいかないんだ。



「……黙ってろ」



 さっきは加減を間違えたけど、今回は大丈夫。


 もう


 ナイフを入れる角度や力加減にも、手に伝わる嫌悪感の強い感触にも、人間を切るという行為にも――


 俺の生まれ持った固有スキルは孤児院そっちでは役に立たなかったけど、魔王国こっちでなら真価を発揮する。


 パックリと開いた喉を押えて、へたり込んだ騎士が俺を見上げていた。


 その目は化け物でも見ているかのようで、俺はもう人だとは認識されないのだと、察してしまった。



「お前だけは生かして帰してやる」



 なぜ、と問いかけようにも喉から息が漏れて、声にならない。


 混乱を極める騎士の耳元で囁き終わる頃には喉から大出血している1人の騎士が絶命し、ネックレスが食い込んでいた1人の騎士は窒息した。



「これでいいだろ。こいつは人族に返す。生きて辿り着けたら、の話だけどな」



 ドゥエチを振り向いて告げれば、呆然と立ち尽くしていた魔物たちが訓練場を歓声で揺らした。


 俺にできるのはここまでだ。



「よい。婿殿の言う通りにせよ」



 ありがたいことに魔王も魔王子も他の連中も口出ししなかった。


 悪運の強い奴だ。

 あとは、生きるために必死に走れ。


 魔王国の中心である王都から国境へ。そして故郷へ。


 俺は部屋に帰って不貞寝させてもらうぞ。

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