第15話 悪魔との契約


 悪魔と契約するためには悪魔界に出向く必要がある。

 下位の悪魔は悪魔界に、上位の悪魔は更に深く潜った闇魔界と呼ばれる場所に生息している。

 更に更に下にある冥界に降りると想像を絶する化け物がいる、と。


 これはフルーレからの受け入りだ。


 あのヒト自身、上位悪魔グレーターデーモンだからな。出身地のことはよくご存知だろう。



「おい、本当に行くのかよ」



 及び腰の情けない声で後をついてきていたクーガルがつぶやいた。



「行くさ」

「でも、鬼人族の矜持に反するだろ? 悪魔と契約なんて」

「魔王様の命令に反くつもりはない」



 マンティコア族も鬼人族と同様に自身の肉体を何よりも信頼している。


 拳をぶつけ合えば相手が何を考えているのか分かるし、物事を決めやすいとか。

 まさに脳筋。


 そんな種族だからこそ、物理攻撃が効かない悪魔と馴れ合うなど弱者だ、という考えを持っている。


 魔王を排出する魔族すらも馬鹿にした発言を平気でするらしい。

 これはさっきクーガルに聞いた。



「俺、北の出身だからさ。そこまで拘りが強くないんだよ」



 ……違ったら、ゴメン。



「準備ができたなら参るぞ」



 豹の姿ではなく、ヒトの姿で現れたフルーレが手を伸ばすと、魔宮殿の廊下に空間の歪んだ穴ができた。


 黒と藍色を混ぜたような混濁した色の中に星の煌めきが見える。



「どうすればいい?」

「行けば分かる。拘りがないのなら入り口付近にいる悪魔と契約しても構わない。度胸試しで奥や底に踏み入る者もいるが、魂が崩壊する前兆があれば引き返した方がいい」

「フルーレはどこに住んでいたの?」

「私は闇魔界の入り口だ」

「じゃあ、魔王様もそこまでは行ったってことか」

「うむ、そういうことに、なるか」



 フルーレらしくなく、奥歯に物が挟まったような物言いだ。


 おっと。これは契約に関わる内容だったか。


 悪魔は契約内容について語らないらしい。

 それならフルーレが嫌な顔をしたのも分かる。すまん、許せ。


 気づかぬうちにかいていた手汗を拭い、ポケットの中から砂糖菓子――金平糖のようなものが入った袋を取り出して口に放り込んだ。

 これは前回の帰省時に見かけて買ったものだ。



「じゃあな、行ってくる」

「ツダ、間違っても冥界には行くな。いくらドラゴンの加護があったとしても魂の保護は完璧ではない」

「ん? お、おぉ? 分かった」



 何を言っているのか分からないが、そこまで長居するつもりもない。

 そもそも人間の身だからな。体に悪影響が出やすいかもしれないからさっさと帰ってこよう。


 そんなわけでブラックホールのような空間に頭を突っ込んだ俺は、引力に引き寄せられるように暗闇の中に入ってしまった。


 真っ黒ではなく、少し青い背景にドロドロした空間を彩る無数の星たち。


 前後上下左右、全てがごちゃごちゃで、浮いているはずなのに足の裏には何かに触れている感触がある。


 そのくせ、浮遊感が気持ち悪くて、強烈なめまいがした。



「……これ、きっついな」



 馴染まない。

 体が拒絶しているのがよく分かる。



 早く悪魔に会わないと――



 そう思った直後、煌めいていた星々が一斉にこちらを


 無数の目が俺を見つめている。


 俺が星だと思い込んでいたものこそが膝を抱えて浮かんでいる悪魔だったのだ。



「きもっ」



 体を丸めた状態で顔だけを上げ、片目で侵入者を睨みつける悪魔たち。

 その数は数え切れない。



「えっと、もうお前でいいわ」



 正直、見分けがつかない。

 二本の角、尖った尻尾、コウモリのような翼が生えていること以外に違いが見出せなかった。


 だから、流れる景色のように去って行く悪魔たちの中で一際小さく丸まっている奴に手を伸ばした。


 こいつなら俺の言うことを聞くんじゃないか。

 そう直感したのだ。



「お前、名前は?」



 俺が問いかけると、俺の体あるいは浮かんでいる悪魔が急停止して、辺りは真っ暗になった。

 俺とこいつしかいない空間には俺の声だけが反響している。


 一瞬だけ片目を見開いた悪魔が首をふるふる振った。



「そうか、今は喋れないんだったな」



 契約前の悪魔とは言葉を交わせない。

 これもフルーレが教えてくれたことだ。


 まずはこちらの意思と何を差し出せるかを示して交渉する。

 交渉が成立すればいいが、すぐにそうなるとは限らないし、決裂することだってある。

 その場合は最初からやり直しだ。



「お前と契約したい。理由は特にない。差し出せるものは、えーと」



 差し出すものは何でもいいらしい。

 悪魔が気に入ればそれでいい。気に入らなかったら別のものを、あるいは量を増やすとか工夫すればいいと言われた。



「これとか、どう?」



 俺はポケットの中から金平糖を取り出して見せつける。


 ジョークのつもりだった。


 それなのに、両目を開けて俺の指先にある金平糖をガン見するものだから本命を出すのを止めた。



「1個でいいの?」



 ふるふる。



「2個?」



 ふるふる。



「じゃあ、10個だ」



 手のひらに出した金平糖を差し出せば、丸まっていた悪魔が手を解き、リスのように頬張り始めた。



「契約完了……でいいんだよな?」

「しょーがないなー。そんなに、アタシのことが、気に入った、なら」

「食ってからでいいよ」



 口いっぱいに金平糖を頬張ったことで会話がままならない。


 甘い物好きな悪魔が、最後の金平糖を舌の上で転がし終わるまで待っていると、ごくんっとお大袈裟に喉を鳴らした。



「あんた、名前つけられる?」

「さぁ、どうだろ。名前がないのか?」

「ないよ。なければ、ないでいいけど」



 随分と生意気な悪魔だ。

 いや、悪魔だから生意気がデフォルトなのか?



「甘いものは好きか?」

「嫌いじゃない」

「好きでもないと」

「そうは言ってない」

「じゃあ、好きなのか?」

「まぁ、うん。好きだよ。悪い!? 悪魔が甘いもの好きなら悪いの!?」

「いや。いいと思う」



 こいつ面倒くさい。

 早く契約解除したい。



「で、契約期間は?」

「魔王様が納得するまで」

「はぁ? なにそれ、ややこしい感じ?」

「そんなところだ」



 ふよふよ浮かびながら頭の後ろで手を組む悪魔と雑談しながら出口へと向かう。

 

 契約があっさりしすぎて拍子抜けだったのは秘密にしておこう。



「お前、オス? メス? 悪魔に雌雄ってあるの?」

「さぁ、ここから出れば分かるって聞いたから出てみてのお楽しみってことで」

「誰に聞いたんだよ」

「……さぁ? でも、そう聞いたもん」

「ふぅん」



 この悪魔からはフルーレのような紳士さを感じない。

 カイナのような使命感も、ラゲクのような妖艶さも何もない。



 ――あるのは、ただの無。



「アタシの権能を教えてあげるわ」

「いらん」

「アタシは…………はぁ?」

「俺はお前と契約できればそれでいい。何かを求めるつもりもない。俺の隣を浮いていればいい」

「ハァ……。それで、さっきの甘いのを貰えるの?」

「あぁ」



 小悪魔はどこか不満げに、拍子抜けしたように唇をすぼめた。



「……本当に誰でも良かったのかよ」



 ぼそっと悪態をつかれた。


 ばっちり聞こえたが、聞こえないふりをして進む。



「目的は達した。ここから出るぞ」



 そのとき、俺の胸から骨が飛び出した。

 いわずもがな俺のものではない。



「ボーンちゃん!?」

「ひぃぃ!? 骨が勝手に動いてるぅぅぅうぅぅぅ!」



 悪魔が片腕の骨にビビんな。


 そうは言っても、ボーンちゃんは片腕のみではなく、両腕……なんなら肋骨を丸出しにして平泳ぎの要領で悪魔界を泳ぎ始めた。


 わー、泳ぎ上手。


 俺、足が浮いてるから堪えられないし。

 結構なスピードで泳がれているから抵抗できないんだよ。



「ちょ、ちょっと! このまま行くとぶつかるよ!?」

「こんな暗がりなのに見えてるのか。俺にはさっぱりだ」

「見えるけど。アタシ、悪魔なんだもん」

「なんじゃそりゃ。でも、目が良いっていいことだよな。その先には何がある?」

「アタシにも分かんない。ずっとここで浮いてたし」

「ずっと、ってどれくらい?」

「分かんない」



 こいつ、何も知らねぇのな。


 そんな雑談中もボーンちゃんの平泳ぎは止まらない。

 何かに向かって一直線に前に進んでいる。



「……おい。これマズくない?」



 悪魔の言った通り、空気の壁のようなものをぶち抜いた直後、辺りの空気感が変わった。

 重力が倍になったような重々しい感覚。


 それなのにスピードは遅くなるどころか速くなっている。



「おいおい、これ以上は無理だってボーンちゃん!!」



 俺たちは前に進んでいるのではなかった。


 のだ。


 どこまでに続く、深淵のその先へ――


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