第二十六話

 ここ最近の日課だった天音の説教を終え、時刻は午前八時十六分。

 そろそろ日高さんが起きる頃なので、サンドイッチとみかんゼリーを持って部屋へ。

 天音の時とは違い、トントンと二回ノックして声をかける。


「日高さん、朝食持って来たよ」

「……」


 珍しく反応がない。

 まだ寝ているのだろうか? それともトイレだろうか?

 振り返りトイレを見てみるが、電気は付いてない。


「ねぇ日高さん? 入るけどいい?」

「……」

「あーもう入るよ!」


 流石に少し心配になり、返事を聞かないまま日高さんの部屋の中へ。

 部屋は真っ暗、物音一つしないほど静かで、何というか不気味。

 いつもなら既に日高さんは起き、体温計で体温を測ってる時間だ。


 体調が悪化してまだ寝ているのか。

 そう思いつつ日高さんが眠るベッドに近付き、日高さんの様子を見る。


「えっ……いない⁉ ど、どういうこと?」


 布団をめくり潜ってないか確認するが、日高さんの姿はない。

 僕は持って来た朝食をその場に置き、慌てて部屋を出てリビングに向かうが、朝食を取り行った時、同様に誰もいない。

 一応トイレも確認するが、自動で開く便座が反応しただけ。


「一体どこに行ったんだよっ!」


 僕は髪を右手でぐちゃぐちゃっとし、強く握った拳で壁を殴る。


「あっ……」


 そんな時、階段のほうから声が。

 パッと顔を上げると、星坂さんが見てはいけないもの見た表情でこちらを見ていた。

 僕はそんな星坂さんに急いで近寄り、息を切らした状態で話しかける。


「ひっ、日高さんを見てませんか?」

「み、みみみ、みっ……」

「み?」

「見ないでください! バカっ!」


 ――パチンッ!


 痴漢にあったような悲鳴をあげ、思い切りビンタされた。

 いきなりのことで僕は何が何だか分からず、ビンタされた頬を手で抑え、その場に呆然と立ち尽くす。まだビンタの振動が脳を揺らしている。

 ヒリヒリする痛みが頬にしがみついて離れない。これは綺麗な紅葉が出来てることだろう。


「あ、あの――」

「……」


 僕が痛みに耐え話しかけると、星坂さんは冷たい瞳を向け、ビンタした手を服で拭き、下りて来たばかりの二階へと上がっていった。


「手紙に苦手って書いてあったが、話しかけただけでここまでしなくていいじゃん……」


 ポロっとそんな本音が漏れ、視線が落ち、重々しい息が自然と口から出る。

 同じ屋根の下で生活する女性にビンタされたのだ。

 誰だってこのような反応になる。

 加えて、これからどうしようという途轍もない不安が僕を襲ってきた。


「小好どうしたんだ?」


 声の主は一階に下りて来た奏多。


「おいおい、どうしたんだよ、その頬」

「星坂さんに話しかけたらさ、なんかビンタされた」


 肩を落とす僕を見て、奏多は可笑しそうに「なるほどな」と一言。

 僕の肩をポンポンと叩き、言葉を続ける。


「気にすることないよ。星坂は男性恐怖症だからな」

「え、あ、マジ?」

「マジマジ! そういうわけだからビンタは許してやってくれ」

「ああ、奏多の顔に免じて許しておくよ」


 奏多は自分のことじゃないのに、手を合わせ「サンキュー」と一言。

 感謝したいのは僕のほうである。ビンタされた理由が分かったのだから。

 それと僕だけが苦手でなく、男性全員が苦手ということも。

 あの反応からして苦手の域を超えてる気もするが。


「それで星坂に何話そうとしてたんだ?」

「あ、そうだった。実は日高さんがどこにもいなくて……」

「日高なら八時前にどこかに行くのを見たぞ」

「それは本当か⁉」


 僕は奏多の両肩を掴み、顔を近付けてそう聞く。

 奏多は少し引き気味に「う、うん」と答え、僕の手を優しく払う。


「スーツ姿だったから多分会社じゃないかな?」

「か、会社……」


 何で会社なんかに行ったのだ。

 まだ風邪が完全に治ったわけじゃないのに。

 それに会社なんかに行けば、また……。


「顔色悪いぞ? どうかした?」

「あ、いや、何でもない。それより日高さんの会社の場所とか分かるか?」

「知らん知らん。あんまり関わりないし」

「そうか」


 そう都合良く知ってないよな。むしろ、これが普通か。

 スーツ姿でどこかに行く。この情報を得られたことが奇跡なのだ。


「おっと、そろそろ時間だ。ボクは今から仕事なんでここらで失礼するよ」

「悪いな、仕事なのに引き留めて」

「別に構わないさ。そもそもボクが話しかけたしね」

「あーそうだったな」

「そうそう。じゃあ行くね。またな」


 奏多は軽く手を振り、男っぽい私服姿でぼさぼさの銀髪のまま出掛けていった。

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