第6話「同質」

 ハーヴェンとウェスキノは、神殿に集まった農民たちから事情を聞いた。

 今日、農民たちはいつも通りに畑を耕していたのだが、贄池から彷徨い出てきたゾンビに襲われた。

 ついさっきの出来事だ。

 話を聞いていたウェスキノが怒鳴る。

「誰かが刺激したからじゃないのか!?」

 その通りだった。

 ゾンビが畑にやってきたのは、昼間から遊んでばかりの村の不良共が原因だった。

 不良共は少年の頃から悪戯を繰り返し、大きくなったら度胸試しと称して村の掟を破ったり、贄池に行ったりと手が付けられなかった。

 贄池に至る山道は封鎖されているが、彼らは抜け道を見つけていた。

 彼らは禁止されている場所に入れたことが楽しくて大騒ぎをしたらしい。

 そんなことをすれば、ゾンビが集まってくる。

 一人が襲われ、血を見て恐怖した他の者たちは彼を見捨てて逃げ帰った。

 その逃げ帰った先が作業中の畑だった。

 農民たちはせっかく耕した畑に踏み入ってきた不良共を怒鳴りつけたが、それどころではなかった。

 彼らを追って、ゾンビ化した不良と池のゾンビ数体が迫っていた。

 逃げれば奴らを村へ案内することになってしまう。

 農民たちは応戦するしかなかった。

 けれど武器や盾もなく、あるのは農具のみ。

 痛めつけても気にせず突っ込んでくるゾンビに苦戦し、数人が噛まれてしまい、総崩れとなってしまった。

 せめて村には行かせまいと、逆方向のヘイルブルへ仲間を運んできたのだという。

「自分たちの不始末をヘイルブルに持ち込んだというわけか?この疫病神共めっ!」

 ウェスキノは彼らを罵るが、ハーヴェンは英断だったと褒めた。

 ヘイルブルには屈強な神殿魔法兵がおり、噛まれた者たちも〈浄化〉することができる。

 村にも神官がいると思うが、一人では手に負えず、次々とゾンビ化して村人を襲っていたかもしれない。

「公子、早く対処しなければ!」

「あ、ああ、その通りだ! まったく……」

 だが彼が何かを指図する必要はなかった。

 騒ぎを聞いていた神官が大体の内容を神殿魔法兵たちに伝え、彼らはすぐに武装を整えて出動した。

 あとは噛まれた者たちの処置だ。

 止めても尚、農民たちを罵るウェスキノに構わず、ハーヴェンは〈浄化〉の詠唱を始めた。


 ***


 贄池とは——

 北の山から下り始め、周囲から細流を集めてきた川が麓近くで溜まり、大きな池になっていた。

 最初から「贄池」と呼ばれていたわけではなく、元々はただの池だった。

 それがなぜ不気味な名が付いているのかというと、この池にはそう名付けられるだけの恐ろしい歴史があるからだ。

 古来より、この辺りの気候は寒冷だったため、食糧難に陥りやすかった。

 古代のヘイルブル人にとって池は農地を潤すだけでなく、豊かな魚も与えてくれる大切な〈神〉だった。

 古代人が山や湖沼等の自然を神格化するのは珍しいことではない。

 だから池を神として祀った。

 そして池の変化に一喜一憂するようになっていった。

 魚が獲れなければ何かの凶兆と捉え、水位が下がれば池の神様が怒っていると解釈した。

 あるとき水位が下がり続けたときがあった。

 古代人の解釈によれば神様が怒っていることになる。

 ……水位は乾期が少し長引いているだけであり、雨期になればまた元に戻ると思うのだが、古代人にとっては一大事だった。

 彼らは供物を捧げて神の怒りを鎮めようとした。

 畑の痩せた作物を捧げ、それで済まなければ獣を狩ってきて捧げた。

 しかし水位は戻らない。

 獣で怒りが鎮まらないなら……

 古代人は人間を捧げた。

 するとこの地域一帯に雨が降り、水位は戻った。

 不幸な偶然だった。

 遅かった雨期がようやくやってきただけなのだが、彼らは生贄を捧げるのが正解だったのだと学んだ。

 以来、恵みが続きますようにと生贄を捧げ続けた。

 結果、池は穢れてしまった。

 池には常に〈魔〉の気が満ち、悪霊やゾンビの溜まり場と化した。

 そして、それ以上のものも……

 長い年月、穢れは溜まり、やがて具現化したのが魔王だった。

 勇者によって魔王は滅ぼされたが池の穢れは消えず、いつしか〈贄池〉と呼ばれるようになった。

 以後、ヘイルブルでは池とそこから流れる水を諦め、沢山の井戸を掘って生活用水や畑を潤す水に利用するようになった。


 ***


 ハーヴェンは噛まれた者を次々と〈浄化〉していった。

 最も怪我が酷かった者の処置が終わると、次に酷かった者の処置へ。

 途中から神官たちが加わったため、全員ゾンビ化させずに済んだ。

 ウェスキノ司祭はというと……

〈浄化〉の作業中ずっと、何の意味もない指揮を執っておられた。

「急げ! ほらっ、あの者がいまにもゾンビ化しそうだぞ!」

 とか、

「ええい、何と手際の悪い! もっとテキパキ出来んのかっ!?」

 とか……

 ここの神官たちはよくぞ「うるさい! あっちへ行ってろ!」と追い払わないものだ。

 勇者への信仰心だけで耐えられるものではない。

 きっと精神が鍛えられているのだ。

 ハーヴェンは彼らの忍耐強さに敬服した。

 神官たちは邪魔な怒号に集中を乱されることなく〈浄化〉を完了したが、それで終わりではない。

 ゾンビ化を止めた次は〈治癒〉だ。

 噛み千切られた箇所から血が流れ続けているのだから、傷口を塞がねば。

 すべて終わったのは夜だった。

 ゾンビ討伐に出かけていた神殿魔法兵たちも無事に帰還し、互いの健闘を称え合った。

 いつの間にかウェスキノの姿が消えていたが、誰も気にしなかった。

 神聖魔法は使えないし、鎚矛も剣も使えないので〈浄化〉組にも討伐組にも加われなかった。

 面白くないので途中で帰ったのだろう。

 ハーヴェンは一人、礼拝所へ戻って椅子に腰掛けた。

「フゥ……」

 床に向かって大きな溜息を一つ落とす。

 勇者司祭様の怒号の中、浄化、浄化、浄化……治癒、治癒、治癒……

 長時間の祈りの後だったので、さすがに疲れた。

「ん?」

 顔を上げると、正面の教壇に放置された抜き身の聖剣に気が付いた。

 そういえば、農民の騒ぎですっかり忘れていたが、ウェスキノに素振りをやらされそうになっていたのだった。

「おいおい、いくら何でも——」

 素振りといい、放置といい、扱いが雑すぎる。

 あの公子は騒ぎ声に興味を引かれた途端、聖剣を放ったらかして正面玄関へ駆けていったのだ。

 自分で使った物は元の場所に戻しておくというのは、子供でも知っていることだろうに……

「はぁ……仕方がない」

 椅子から立ち上がり、教壇に近付く。

 本当は公子がやるべき作業なのだが、居ないものは仕方がない。

 聖剣を鞘に収めて台座に戻しておく。

 ところが、

「いや、待てよ……さすがにまずいか?」

 教壇に辿り着き、聖剣に伸ばそうとした手が止まった。

 外国人である自分が触れて良いものだろうかと悩み始めたのだ。

 いま礼拝所にはハーヴェン一人しかいない。

 誰も見ていないのだから、さっさと片付けてしまえばいいのに、真面目すぎるというか、石頭というか……

 どうしようかと悩んでいると、背後から足音が近付いてきた。

「お疲れ様でした、ハーヴェン様」

 イリスだった。

 彼女は今日、ウェスキノの従者として神殿にやってきて、礼拝所の入口付近で控えていた。

 だから兄が素振りで迷惑をかけていたのも知っている。

 彼女に神聖魔法の心得はなく、今日のような場面で役に立たないのは兄と同じだった。

 違う点は己にその能がないことを潔く認め、邪魔にならないよう、少し離れた場所に移動していたことだ。

 そして農民たちへの処置が無事終わったので、礼拝所に戻ってきた。

 だが兄の姿はなく、聖剣を前に悩むハーヴェンを見かけ、声を掛けたのだった。

「つまり、あの兄上は従者を黙って置き去りにし、一人で帰ったわけか?」

「はぁ、そうなりますね」

 彼と一緒に呆れるなり、怒るなりすればいいのに、イリスは苦笑いを返すだけだった。

 そんなことよりも、

「聖剣を元に戻しておかないと」

「ああ、そうなんだが……」

 ハーヴェンは悩んでいたわけを打ち明けた。

 外国人の手で触れるのは憚られる、と。

「そういうことでしたか。ならば私が——」

 と、彼女が進み出た。

「すまないが、頼む」

 彼女も勇者の末裔だし、ハーヴェンより適任者だ。

 一歩引き、彼女に場所を譲った。

「本当は私も触れてはダメなのですが、剣に触れないようにうまく鞘に入れば……」

 彼女は鞘を上手に操り、剣身を収めようと試みる。

 切っ先は簡単に入った。

 だが微妙に角度が悪かったのか、途中で止まってしまった。

「あれ? あれ?」

 慌てた彼女が小刻みに鞘を上下に振るが、聖剣は鞘の中で引っかかったまま角度が直らない。

 思わず、二人は顔を見合わせた。

「…………」

「…………」

 何となく、イリスの顔が面目なさそうだ。

 失敗といえば失敗だが、ハーヴェンは彼女を咎めるつもりはない。

 そもそも悪いのは、放置したウェスキノだ。

「仕方ない。手で直してしまおう」

「……そうですね。誰も見ていないですし」

 二人で悪戯っぽく笑った。

 将来、「あんなことがあったな」という思い出話になりそうな予感がする。

 角度を直すため、彼女は聖剣の柄をちょっとだけ摘んだ。

 すると、

「なっ⁉」

「えぇっ!?」

 彼女が手にした途端——

 聖剣が光った。

「~~~~っ!」

 ガシャッ!

 光ったといっても目眩ましになるような強い光ではなく、淡くぼんやりとした光だった。

 まるで眠っていた子供が薄目を開いたかのような。

 驚いたイリスが鞘ごと手を放してしまい、聖剣を床に落としてしまった。

 彼女の手を離れると、再び眠りに就くように聖剣は光を失った。

「私は一体……」

 彼女は動揺している。

 己の右掌を見つめたまま固まってしまった。

 ハーヴェンも驚いていた。

 ヘイルブルの人たちには悪いが、聖剣を本物だとは思っていなかった。

 それがまさか本物だったとは……

 そしてこれは不可解なことだった。

 不可解なことはすぐに明らかにしたいが、いまはそれどころではない。

 彼は聖剣を拾い上げた。

 もはや余所者だとか、人々の信仰などと気にしている場合ではない。

 動けない彼女に代わり、聖剣を鞘に収めて台座に戻した。

 彼女はまだ右手を見つめたままだが、早くこの場から退散した方がいい。

 ハーヴェンはその右手を掴み、強引に礼拝所から立ち去った。

 神殿の外に出ると、ウェスキノの馬車が主人の帰りを待っていた。

 彼は〈浄化〉の現場にいなかったので先に帰ったと思っていたが、まだ神殿内のどこかにいるようだ。

 本当は彼女も従者として、ここであの兄を待つべきなのかもしれないが、ハーヴェンは御者に告げた。

「彼女の体調が優れないので、先に戻る」と。

 御者は「〈治癒〉をしてやれば良くなるのでは?」と首を傾げていたが、二人は構わず神殿を後にした。


 ***


 勇者の末裔——

 ウェスキノとイリスレイヤ。

 兄は妹を卑しむが、母の身分が違うというだけであり、父から引き継いだ血は同量だ。

 聖剣にしてみれば兄が高純度で、妹が低純度ということはない。

 一滴でもいい。

 手にした者が勇者の血を引く者であれば力を発揮する。

 それが聖剣だ。

 さらにいうと手にする末裔が、人として正しいかどうかも問わない。

 父である領主殿はウェスキノ同様、軽蔑されても仕方ない人物だ。

 それでも領主自ら鞘に収めていたら、聖剣はイリスレイヤが掴んだときと同じ光を放ったことだろう。

 勇者直系のウェスキノが素振りしても反応しなかったのに、イリスレイヤが触れただけで聖剣が光った。

 この違いは何だ?

 ハーヴェンが不可解だと思ったのがこの点だった。

 彼は後に知る。

 この違いが重大な意味を持っていたことを……


 ***


 ハーヴェンとイリスレイヤが退散し、誰もいなくなった礼拝所。

 出入口に近い柱の陰から誰かが出てきた。

 ウェスキノだ。

 彼は先に帰ったわけではなかった。

 神殿内にいた神官たちに指導をしていたのだ。

 とはいえ、その内容は酷いものだった。

 ゾンビに噛まれた者は一刻の猶予も許さない。

 今回は間に合って良かったが、もっと迅速にしなければならない!

 ……という指導とは名ばかりの八つ当たりだ。

 決して認めはしないが、内心では役立たずだったと自覚しているのかもしれない。

 彼は現場で何の役にも立っていなかった。

 むしろ居ない方が捗る。

 それを打ち消すための八つ当たりだった。

 神官たちを一頻り怒鳴りつけて気が済んだ彼は、礼拝所に向かった。

 これから馬車で館に戻るので、ハーヴェンも一緒にどうかと声をかけてやるのだ。

 なぜ礼拝所かというと、神官たちを見渡してもハーヴェンの姿が見えなかったからだ。

 きっと礼拝所だろうと考えた。

 彼の予測は正しかった。

 入口からハーヴェンの背中が見える。

 だが、小さく舌打ちした。

 ハーヴェンの隣に妹がいたからだ。

 二人は教壇の上で何か真剣に作業をしているようだった。

 ——何をしているんだ?

 静かに見ているとやがて何の作業なのかがわかった。

 聖剣を鞘に戻そうとしているのだ。

 ——あいつら、勝手に聖剣を!

 ウェスキノの目尻が怒りで吊り上がっていく。

 元々、ハーヴェンに聖剣を見せびらかし、その後、教壇に置き去りにしていったのはウェスキノ自身なのだが……

 そんな些細なことはとっくに忘れ去っていた。

 だから彼にとって二人は、無断で聖剣に触れようとしている不届き者共だった。

「コラッ! 聖剣に何をする!」とすぐに怒鳴りつけてやるつもりだ。

 しかしその言葉を寸前で飲み込んだ。

 妹が鞘を器用に操って剣身を収めようとしているが、あんなやり方がうまくいくはずがない。

 必ずどこかで引っかかって聖剣自体を動かさざるを得なくなる。

 怒鳴りつけてやるのは柄に触れたときだ。

 心が決まったウェスキノは、足音を立てないよう入口近くの柱に身を隠した。

 柱の陰から教壇に向かって底意地の悪い視線を送る。

 ——さあ、柄を握れ。早く掴め。

 すると予想通り鞘の途中で聖剣が引っかかり、小刻みに振っても角度が直らない。

 二人が小声で相談した後、ついに妹が柄を指で摘んだ。

 ——よし、触れた!

 ウェスキノは怒鳴りつけてやろうと息を吸い込み、柱の影から飛び出そうとした。

 そのときだった。

 聖剣が光ったのは。

 ——何だとっ⁉

 二人は驚いているが、ウェスキノも驚いた。

 出鼻を挫かれて柱から飛び出せなかった。

 その後、ハーヴェンは聖剣を拾って元通りに台座へ戻し、動転して顔色が悪くなったイリスレイヤを連れて礼拝所から逃げていった。

「…………」

 ウェスキノ以外誰もいなくなった礼拝所を進み、聖剣の前に立つ。

 左手で台座から取り、右手で柄を握る。

 その手と顔にさっきのふざけた気配は微塵もない。

 神妙な面持ちで静かに聖剣を抜く。

「……どういうことだっ!?」

 抜き出された聖剣は、いつも通りの古ぼけた剣のままだった。

 父上の言葉が蘇ってくる。

 幼き日、父上が聖剣を見せてくれたとき、淡い光を放っていた。

 自分が触れても光らなかったが「大人になれば光るようになる」と頭を撫でてくれた。

 けれど、成長してからも聖剣は光らない。

 父上は困り顔で「魔王が蘇るまで聖剣は眠りについているのだ」という。

 ならば、なぜ父上の手では光ったのかと質問を重ねても「そなたはまだ当主ではない。聖剣の真の持ち主ではないからだ」と……

 到底納得できるものではない。

 でもいまは仕方がないことなのだ、と吞み込んで生きてきた。

 なのに、いま見せられた光は何だ?

 当主でなければ、聖剣は反応しないのではなかったのか?

 まるで、自分だけが勇者の欠陥品のように感じる。

 ウェスキノは聖剣を戻し、館へ戻ることにした。

 礼拝所を出て、廊下を通り、正面玄関へ。

 途中ですれ違った神官や司祭から挨拶されても何も返さない。

 返せない。

 いまの彼は挨拶どころではなかった。

 外に出ると、御者が馬車の扉を開けて出迎える。

「おかえりなさいませ」

「ああ、館へ戻る……」

 御者は彼の顔色の悪さが気になったが「かしこまりました」とだけ返して御者台に戻った。

 余計な詮索をして、八つ当たりされるのはご免だ。

 御者は言われた通りに館へ馬車を走らせた。


 ***


 神殿からの帰り道——


 馬車の中で、ウェスキノは震えていた。

 古ぼけた聖剣を台座に戻したとき、一つの仮説が浮かんでしまった。

 馬鹿々々しい仮説だ。

 しかしもし正しかったとしたら、幼き日から今日までの疑問に説明が付く。

 それだけに恐ろしかった。

 昨日まで考えもしなかったが、気が付いてしまった以上、確かめないわけにはいかない。

 真実が知りたい。

 父上に尋ねても無意味だ。

〈当主〉の話を繰り返されて終わるだろう。

 尋ねるべきは……

 母上だった。

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