おまけ:敗北

 ――――数年後


 レイン様はきっと本心から私のことを思って言ってくださっているのはわかってる。でも、そんな真っ当な理屈だけじゃなっとくできないことだってあると思うのだ。


 ここのところレイン様の下によくやって来る人間がいる。レイン様も時折その人間のことを話題に出される。


 東西茜とかいうらしいその女は、レイン様が親切にするのをいいことに、レイン様に甘えている。レイン様は誰にでもお優しく接し、人を気遣われる方だからこそ、その親切に付け込まれやすいところがある。あの女はそんなふうにレイン様を利用しようとしている一人だ。


 今まではレイン様がいる手前、どうにか我慢をしてきた。でも、私が我慢をすればするほど、他に誰が注意をするわけでもないから、あの女はさらにつけあがってレイン様に迷惑をかける。けど、今日は違う。レイン様は何やら外に用事がある様子で、早くに出ていかれた。聞くところによれば数日は戻らないらしい。ことを決するには絶好の日取りだ。


 一度、アリスにこのことを話したことがある。


 アリスは嫌いじゃない。レイン様に敬意を持って接しているし、ちゃんと線引きもしている。決して深入りはせず、かといって至らないわけでもない。できることと役目を弁えて仕える姿は、尊敬さえすることができる。


 もちろん、最初は少し訝しんだ目で見ていた。でも、日々を暮らす中でいろいろと見えてくることがある。これはその一つだった。


 けれど、こともあろうにアリスは私の提案を拒否した。



 ◇



「茜さんのことですか?」


「そう。あの女、レイン様がお優しく接してくださっているからって、すこし遠慮がなさすぎると思わない?」


 私は唯一の地球からの持ち物だった携帯を使いながら言った。


 もともとは大した使用用途もなかったが、レイン様が気を利かせてくださり、メールやインターネットなど一通りのことができるようにしてくださった。


「私はそうは思いませんよ。茜さんには茜さんなりの悩みがあるでしょうし、王がいらっしゃるとはいえ、相談しにくいこともあるでしょうから」


「けど、なら、他にもいるんじゃないの? アイツ、随分ヒイキされてるみたいだし」


「そういうことを言うべきではないと思いますよ。それにここは私たち人間にとっては過ごしづらい場所でしょう? 神さまがいるなんて、とても平静で居続けられるわけがない。いくら茜さんが最初からここで育ったとはいえ、結局、精神の根底はいつまでも人間のままなのでしょうから。ですから、そんなときにお姉さまのような方を頼りたいと思うのは普通のことではありませんか?」


 私はポチポチと操作をしていた指を止めた。ドットのクマが決められた一定の動きを画面の中でしている。


「そんなの、私たちだって同じじゃない――!」


 アリスが言ったように、確かにここは人間にとって必ずしも居心地がいい場所ではない。


 来たばかりのころは何もわからずに目を輝かせていたような気もする。近未来やSF――詳しくはよくわからなくてもそんな世界に来たような心地がした。ここでは考えることが何でも叶った。知らないことをいくつも体験することがこんなに楽しいとは思わなかった。けど、今では、そんな童心を沸き立たせていたことに吐き気さえ覚えている。


 人はこの城で暮らしている者たちのことをうらやんでいるという。人間の中から極まれに城の一員へと招かれることがあるという話は有名で、みなどこかで夢を見ているらしい。冗談じゃない。ここは楽園なんかじゃない。体のいいだけの地獄、いや、それ以下の掃きだめだ。


 たしかに、不老不死を与えられ、望むものは何でも手に入り、城に属しているというだけで畏れ敬われる。気持ちがいいものだろう。しかし、慣れてしまえば、こんなものはすぐにでも手放したくなる。長さが無限にある鎖につながれているようなものだ。何が自由なのかさえわからなくなる。


 それになによりこの城に元来から属している者たちは、ここの環境以上に反吐が出る。神さまなんて呼ばれているらしいし、そう自称しているヤツさえいると聞くが、コイツらはそんなふうに有難がられるような輩じゃない。傲慢で、利己的で、奔放で、がさつで、いつでもどこでも威張っている。こんなものが神さまなら、始めから人が信じている神はこの世にいないことになるだろう。


 何人か見たことがあるがどいつもこいつもひどいものだ。特に「王」。なぜかここに住まうやつらが雁首揃えて敬っている男だが、ソイツはずば抜けて最悪だ。子供がそのまま大人の皮を被っているようなヤツで、とにかくわがままだった。レイン様に無理難題を吹っかけているところも幾度となく目にしている。頼み方も尊大で、申し訳なさそうな素振り一つ見せない。当たり前のようにやって来ては、当たり前のようにふんぞり返って喋り、振舞う。この男のことは心の底から軽蔑していた。


 だから、私はソイツらに会うのがたまらなく嫌で、レイン様に貸していただいた部屋に籠るようになった。苦痛はない。でも、自分のなかの何かが緩やかにすり減っていくのを感じる。だから、ここは掃きだめなんだ。


 唯一レイン様だけが私の希望の光でいてくださる。あの方はこんな場所でさえ、誰にも穢すことのできない高貴さを身にまとっている。



 ◇



 私は結局誰の賛同も得られず、かと言って腹の虫はどうにも収まりそうになかったから、一人で計画を実行することにした。といっても実際に行動に移すのには随分かかってしまった。


 というか思い出させてくれたという言い方が正しいだろう。久しぶりに茜が部屋を訪ねてきて、レイン様と話をしていた。その言葉遣い、レイン様を悩ませる口調が消えかかっていた火を焚きつけた。


 計画の内容はとにかくあの茜とかいう女を痛めつけることに重点を置いている。一度力づくでわからせてやればいい。私の眼にできないことがないことはレイン様が教えてくださった。あの女は王とか言う男と一緒に暮らしているらしいから、そいつもいれば追加で制裁を行う。どうせ守られてばかりで大したこともできないに決まっている。


 だからいま、こうしてヤツらの部屋の前で待っている。最低な女は最低な男と暮らしている。その点だけは最高だ。


 気がかりなのはレイン様にきっとご迷惑をおかけすることになるということ。でも、理解は求めていない。私が勝手にやったということにする。それで気を晴らす。それだけだ。レイン様は決して理解者ではないけれど、私の行動を否定もしないだろうという確信があった。あの方は私のはるか先を見据えられているから。


 と、そんな考えもそこそこに、携帯の画面上に映されるドット絵の動物育成ゲームをし続ける。朝から待っているけれど出てくる気配はない。ずかずか入っていってもいいけど、玄関先の通路で声をかける方が効果的な気がした。城の中ではあるが、他の誰かに見られる可能性も上がる。メイドでもなんでもいい。誰かが私の糾弾を目にすれば、それだけで主張の正当性も支えられる。


「あの、もしかして私たちを待っていましたか?」


 いきなり目的の人物が目の前に現れた。いくら携帯に視線を落としていたとはいえ、まるで誰もいないところから急に出てきたみたいに目の前に東西茜が立っている。


 反射的に携帯の画面を隠してしまったが、冷静になってくると、また怒りがふつふつと湧いてきた。


「アンタが、レイン様の周りでうろちょろしてるやつ?」


 そう、言ってやった。


 女は動揺しているのか、私の言葉をあやふやに繰り返していた。その後ろで王と呼ばれている男が何とはなしにこちらを見ている。


「は? レイン様はレイン様でしょう? アンタそんなこともわからないで接していたわけ?」


 私の言葉を受けて女は振り返り、男に聞いている。それが苛立ちを増長させる。


 気やすく名前を口にするな。お前みたいな何も考えてなさそうな女が、あの方を呼ぶなんてふさわしくない。


 奥歯を噛み、どうにか訴えたい心を抑えて、堪え続ける。どうせこのあと私が好き放題いろいろとやるんだ。今ここで計画を自ら放棄する必要はない。


「それで、用件があるんですよね?」


 しらじらしい態度を貫くつもりらしい。だから、思わず、こらえていたものが漏れた。


 いや、やっぱり無理だ。順を追ってとか、計画の通りにとか、どうでもいい。というか標的えものは目の前にいる。会えた時点で成功しているじゃないか。だから、あとは最後の一押ししか残っていない。


「あのさ、ここに来てるんだから用事があるに決まってるでしょ。それくらいわかりなさいよ。まあ、アンタみたいな、お姉様に対して敬いを持った態度で接することができないようなヤツには、その程度こともわかんないんだろうけど」


「ええっと……」


「とにかく、用があんのはアンタとそこのアンタ。一言ずつ言ってやりたくて仕方がなくなって来たってわけ。一応レイン様がいる手前、今まで我慢してきたけど、今はいないからはっきり言わせてもらうわ。アンタたちは、レイン様への尊敬と感謝の念が足りてないのよ。レイン様は寛大な方だから、アンタみたいなヤツにも懇切丁寧に接してくれるけど、本来はアンタみたいなのが気安く話していい方じゃないのよ。それから――」


 指をさされても我関せずといった様子でひょうひょうとしてる男に視線を向ける。合わせる気はないらしい。


「アンタ、王とか呼ばれてるみたいだけど、はっきり言ってそんな器じゃないでしょ。レイン様にいつも押し付けて、頼って、縋って、レイン様がいなくちゃ何もできやしない。そのくせ感謝の言葉にひとつもありやしないなんて最低よ。アンタみたいなのは上からとっとと降りるべきなの。それとその顔。何でもできるって澄ましたようなふりして、わたしのことも後で適当に言いつけるつもりなんでしょうけど、そうはいかないわよ。レイン様は寛大でもわたしはそうじゃない。一度、痛い目を見て、その捻じ曲がったゴミクズのような性格を叩きなおしてやる」


 ほんとは茜が目的だった。でも、この男の態度を見て変わった。私が制裁を加えなくちゃいけないのはコイツだ。


 そうだ。こんな男がいるから、レイン様はいつだって笑顔を見せることができないんだ。コイツが厄介ごとばかり押し付けるから、レイン様ばかりが苦労をするんだ。こんなヤツが王だなんて、レイン様の主だなんてあり得ない。レイン様にお前は必要ない。私が、お前を殺して、レイン様を解放する。


「アンタは邪魔!」


 役目なのだろう。茜は王の護衛役をしているらしい。だから、突っかかってくるけど、そのすべてを無視して弾き飛ばした。思った通り大したこともなく簡単に吹っ飛ぶ。


 私は男を見据える。ずかずかと一直線に歩きながら、いくつもの眼を重ねた、はず、だったのに――――



 ◇



「そうか、やっぱりいなくなったか」


 お姉さまは驚くこともなくそう口にした。


「すみません。見てはいましたが、ほんの少し目を離したすきに……」


「アリス、いいんだよ。お前は悪くない。言っただろう、見ててくれればいいが、無理強いはしないって。そもそも、燐はアレでいて強情だからな。どこかで制御がきかないことだってある。腹の内はなんとなくわかるし、私のためっていうのもわかってる。城のことだっていまだによくわかっていないしな」


「でも――」


「だから、いいって。行先はわかってるんだろ、お前も」


「それは……はい」


「なら、きっとアイツがうまくやるよ」


「王が、ですか?」


「そうだ。まあ、お前もルカのことをよくは思っていないんだろうが、アレはアレで見えてるところが私よりもさらに先だからな。どうにかなるさ。とにかく気にする必要はない」


 安堵をしながらも、どこかで不安だった。


 お姉さまが言われたように私は王のことをよく思っていない。少し危険すぎるとさえ考えている。


 会うたびに思う。あの目はいったい何を見ているんだろうと。


 お姉さまは、私ごときでは理解できないことばかりだけれど、それでも、はるか彼方に希望を描いていると勝手に思っている。お姉さまは、私だけじゃなく、接する者たちすべてに対して慈しみを持っている。だからこそ、私は俗世を捨ててでも、お姉さまに付いていくと決めた。


 けど、お姉さまが仕える主――王は、正直なところ苦手だ。


 あの目は空虚でもない。話し方に偽りはない。態度は決して不躾ではなく、私への気配りをしてくださったことも覚えている。けれど、どこかで感じるのだ。あの男はどうにもこの城の中でさえ、異質すぎると。


「なら、いいですが……」


「――ああ、でも、これは簡単に予想できることだが、きっと部屋に直接は戻ってこないぞ。そうだな。三十分もしたらルカの部屋の前に行くといい。たぶんケガをしてるだろうから、私の方からアルルとヴィズに話は通しておく」


「それって」


「助けに行こうなんて考えなくていい。何度も言うが、お前は悪くない。酷な話だが、一度痛い目を見たほうがいい時もある。ああいうふうにどうしようもないときほどな。遅くはなったが、必要な処置だよ」



 ◇



 白髪赤目の女は無表情でこちらを見下している。年は私と同じかそれ以下に見えた。


 急に男の横から飛び出してきたかと思えば手も足も出なかった。


 最初の不意打ちはいい。男に隠れた死角に立ちそこから私を襲った。けど、問題はそのあとだった。


 男のために事前に用意していた眼はこの女につかった。けれど、すべて外れた。効かないかどうかは知らない。とにかく視えなかった。


 私の眼は、視ることで初めて成立する。視界に捉え、能力を投射することが前提条件になるのだ。けれど、この女は異常な速度と身のこなしで、私の視線を躱していた。とても人間業には思えない。というか、こちらをただの的のように凝視する目と交錯するたび、私は怯んだ。


 加えて躊躇いも一切ない。最初の一撃から、私がコイツに勝てないと悟って倒れるまでの間、コイツは私に隙の一つも与えずに圧倒し続けた。携えた双槍を一寸の狂いもなく振り回し、突き刺す。人が傷つくなんてなんとも思っていないみたいにひたすら突いてきた。


 それが私を一気に委縮させた。だって、想像できるはずもない。みることができたのは圧倒的な実力差だけ。それだけで、私はコイツに勝つことが想像できなくなってしまった。だから、最後まで視ることができなかったのだ。


 急所を外していたのはわざとだろう。きっとあの男の命令なのだ。最初は必死だった思いも、一瞬のうちに溶けて消えた。鈍化していた痛みがじわじわと精神をも締め出し、最後は身を差し出すしかなかった。


 諦め、改めて観察し直して思い出す。王にはお抱えの護衛役が東西茜のほかにもう一人いる。その詳細は覚えていないが、姿をこの目に見て、名前を思い出した。パヴィトゥラ・サマージ――。私はたぶん二度目があったとしても勝つことができないような気がする。


 寝転んだ床から見上げるのは生気のない目。こちらを覗き込んでいるはずなのに、瞳孔が滲んだように薄い。コイツも人間らしいが、一番神さまとやらに近い気がする。


「待ってください!」


 聞き覚えのある声がした。おそらくアリスのもの。けれど、体は重く、首を動かすこともままならない。目玉をわずかに動かそうとするだけで重労働だった。


 足音は私の側で止まった。声はパヴィトゥラに問うている。


「あなたが、これをしたんですか?」


 けれど、パヴィトゥラは答えることなく私から視線を逸し、視界から消えた。


「待ちなさい!」


 口にしたということはもういないのだろう。実際、気配がひとつ消えていた。代わりに別の足音がする。アリスもそちらに気が付いた。何やら焦って呼んでいる。


「お願いします! 脚と、腕、お腹のあたりも……。――それに、額のあたりが……」


 引きつった声だ。何をそんなに慌てている。


 背中はねばついて温かい。手が液体を感じ取っている。意識はそこで事切れた。

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神の眼を持つ少女 十 七二 @10s_

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