第二十一話 目覚め

 悪夢にさいなまれていたような気がする。


 何もかもを巻き込んで、私ごと、私に関わったすべてを消し去るつもりだったのに、なぜこんな夢を見ているんだろうと、夢の中で自分を俯瞰していた。


 夢の内容はえらく抽象的だった。私は黒くて白い空間の中心に立っていて、変化を止めた部屋の中で周囲のすべてを傍観している。歪んだ視界と、形容できない空間は、私の手には届かず、結局私は私にしか触れられなかった。


 極端に恐ろしいわけでもない。でも、真実を突き付けられているような気がして、私は後ずさった。まあ、足を動かしても本当に動いているかさえ曖昧だったけれど。


 それらすべての観測者も私自身。万華鏡の中に広がった景色のように無数の広がりを持つ私が中心の私を視ていた。


 夢はそんな光景を繰り返しながらほどけていった。やがて現実の体を自覚し、重さによって目覚めていく。記憶にない感触を肌に覚え、私はうっすらと目を開けた。


 いつものようにうつぶせで寝ていたらしい。頬にかかる髪のくすぐったさと、枕の柔らかい肌触りが撫でている。ぼんやりとした意識の中でも、なんとなく見知らぬ場所であるということはすぐにわかった。


 自分から分離していたような手足を引きずって動かし、意識の確認を行う。同時に記憶を手繰り寄せながら、今の自分との整合性を確かめた。


 どうやら生きているらしい。少なくとも最後の記憶は死ぬつもりだった自分がいる。なのに生きている。見知らぬ場所だけれど、ここが地獄や、まして天国でもないことくらいはすぐに見当がついた。この手触りと息をするときの妙な息苦しさと、肺を通り抜ける空気の生臭さは、確かに生あってのものだ。


 這うようにして体を布団から引きずり出し、手をついて上半身を起こした。私の体を覆っていた布団はかなりの分厚さがある。おまけに足元付近には金刺繍が施されたよくわからない布が掛けられている。ホテルか何かなのかもしれない、そう思って周囲を見渡せば、薄暗いこの部屋は自然とそういうたぐいだと認識できる。


 目についたランプと思しきものに近づき、スイッチを探す。けれど、ひももボタンも見つからず、動かそうとすれば何やらキャビネットに固定されているらしく、他に確かめようがない。仕方がないとベッドから立ち上がり、扉付近にあった備え付けのスイッチを押した。こちらは正解で、白色の光が部屋を満たす。振り返った視線の先にあったデジタル時計は18という数字を浮かべていた。


 私はカーテンを見つけると、そちらに歩み寄った。とにかくここがどこなのか、知っている場所であるかどうかを確認したかった。


 手をかけて思い切り引くと、そこには夜景が広がっていた。この部屋はかなりの高さにあるらしく、大抵のものは見下ろすことができる。闇色に染まった景色の中でいくつもの光が瞬いている。そして真っ先に目に飛び込んできたのはよく見知った東京駅丸の内口のドーム屋根だった。それだけで少なくとも今の私が東京にいるという事実を実感し安心することができる。


 とはいえ、解決しない疑問はまだある。そもそも私がなぜここにいるのかという問いだ。


 記憶を辿れば、思い出すことができる光景には、私が行ったという実感がある。理屈も説明できるし、理由にも納得ができる。つまり、私は自滅を前提として、ヤツら――対特殊異能班と名乗った者たちに復讐という名目を実行することを決めた。そして、この眼を使い、それは確かに働いていたはずだ。


 ふと、眼を探った。記憶で確かめた映像は、確かに自分のものだが、今までにない怖れを自分自身に対して抱いていることに気が付いたのだ。


 あれを私が……?


 実行に対する納得はある。行動の源泉も私ならそうするかもしれない。でも、それを本当に実行できるだけの思考が私に存在していたとは思えなかった。すべての記憶は私のものであるはずなのに、実行の結果に対して、実感が結び付かない。なぜなら、あれほどの行使を行えば、そもそも私自身が実行の前に崩れることを知っていたからだ。


 いくつもの違う眼を重ねる行為は、自傷行為と同義だ。下手をすれば死ぬ。その想像が、実行が、遠大であればあるほど、私に負荷がかかる。二種類だって一定以上の時間行使を続ければ頭痛や眩暈で集中力が途切れ、眼を閉じることを余儀なくされるというのに。


 また、同時の行使は、原理こそ理解していないが、どうやら発現する能力の出力が低下するらしいことも知っている。それでも、あの時の私の記憶を再現すれば、そんな制約のすべてが取り払われていたとしか思えないほどの行為を繰り返している。


 私はいったいどれほどの眼を重ねた? 私は一体どれほどの空想を視た? 記憶が確かに私であるがゆえに私は恐怖した。瞼を撫で、その下でぎょろつく眼球が、私から分離した私であるような錯覚に囚われた。


 押しつぶしてみようかと、指を押す。けれど、その手は眼球が訴える小さな痛みで止まらざるを得なかった。


 いや、いまはいいと頭の中を振り払った。考えるだけで自分を追い込む行為はしたくない。せめて現実を今から先を見つめ直そうと、思考を取り戻す。


 けれど、最後の記憶、土掛に別れの挨拶を済ませた後はどうあっても空白だった。映像は寸断され、何の音も光もない断絶のあとに私は目覚めている。


 となれば誰かが手を貸したに違いない。けれど、その正体に見当がつかない。もし、私を回収したのが、あの対特殊異能班とやらなら、こんな場所で私を寝かせておくはずがない。そもそも、私は自分が足場にしていたマンションのすべてを倒壊させた。その下敷きになるのは間違いないのだから生きているはずもない。仮に一命をとりとめたとしても、目覚める場所を間違えている。つまり、どうあっても私は詰んでいたはずだ。私に関わるすべてを捨てたのだから、私を掬い取れるはずのものはないというのに。


 私は改めて、触れることのなかった扉を見た。意識的に避けていたそれの先にきっと答えがあるはずだ。恐る恐る歩み寄り、金属製のドアノブに触れる。意を決して私は力をかけた。

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