第二十話 終幕

 正直に言ってしまえば、何が本心なのか、自分でもよくわかっていない。それでもこうして確信に満ちて行動できるのは、本心とは全く別のところで私自身が私を諦めているからでもある。


 どうでもいい、は自分を含んでいる。私にとってどうでもいいのはそういうことのすべてだ。願って手に入れようとしたことすら、私は心のどこかで諦めているんだ。


 勧修寺の話など、だからどうでもいい。誰が何を考えて、どんな行動をしたがっていたかなんて私にとってみれば些末なことだ。思いや信念はただの薪でしかない。そして、私は火によって動くわけじゃない。体を動かすための熱は存在しない。私を動かすのは、惰性によって冷え切った、もう捨てていくことで軽くなる、風に吹かれてされるがままの、私として残ることすらない、なにか、なのである。


 近づく私を注視しながら、勧修寺は憮然とした態度を貫いていた。


 と思えば、勧修寺は体で隠れていた左手を咄嗟に動かした。闇に紛れて何かが投げられる。それに気を取られ、正体を探ろうとした瞬間、視界は白一色に染まった。


 同時に、耳を異常に高い音が切り裂く。目と耳を同時に抑えることができない体は、反射的にのけぞるようにしてうずくまろうとした。


 けれど、バランスを崩した体は、おそらく背中側から、なにかが衝突したような衝撃によって打ち砕かれた。体中がいくつも鈍痛を感じる。しかし、私を何が揺り動かしているのか、全くつかむことができなかった。ただ、ほとんど正しい感覚がない中で、明らかに手足の自由は縛られていくのを実感した。


 耳鳴りの最中に人の話し声がする。けれど、白かった視界は黒くなるばかりで、何も戻ろうとしない。それどころか意識は遠のき、痛みは消え始め、不自由にされたはずの手足が浮いていくような錯覚にとらわれた。


 暗闇の中で、私は自分を取り戻すことに成功した。そこには私の知るものはなにひとつない。ただ、寂しくはなく、暗闇の中で私は自分を満たすなにかがあることに気が付いた。


 思わず自分の手足を確認しようと見やる。けれど、あるはずのものはそこにはない。というか、首から下、視界以外に知ることができる感覚がなにもなかった。というより、これは何かを見ているのか? 暗闇と形容はしたが、単純になにかを見ているという感覚さえないような気がする。私はどこにいる? 


 でも、と、自然と直感できることが一つだけあった。


 私はこの目で見えずとも、この眼で視ることができると。


 視界は確かに何もない。でも、視える。そこにあるものを。私は視ることができる。


 探した。私が視たいものを。そう、例えば、今の私の状態。私が今、どうなっているのかを、探る。


 そして、それはすぐに見つかった。私はマンションの一室で転がっている。手足を縛られ、目隠しをされ、口と鼻を布で覆われている状態で。どうやら死んでいるらしい。でも、なぜか恐ろしくはない。自分の死人姿を視ても、ああそうか、と納得するだけだった。ただ、むごいことをするものがいるなと、静かな怒りを覚える。


 視界を広げれば、映るのは夕方に押しかけて来たときの四人。私を囲むように立ちながら、土掛が誰かに連絡を取っていた。他の三人は立ち尽くした私を見ている。


 殺したのはきっと彼らだ。その再現すら私には視えている。しかし、確かに咄嗟の閃光と音による制圧は有効だろう。勧修寺が言っていたか、無慈悲なやり方が一番効率がいい、と。しかし、それは結局常識が通じる程度の、ただ特別な相手にだけだろう? 私はそんなものじゃ止まらない、止めてしまえることなんてできない。


 始めよう。復讐なんて、そんな言葉で収まる程度のことじゃない。もうそんな理由もどうでもいい。ただ、やりたいと思ったから、やることにする。


 まずは、あの大男。真っ先に飛び込み、私を力によって制圧した男に、狙いを定める。背中を視、そこに投射できる眼を重ねる。


 大男はうずくまる。背中がじんわりと赤く染まり始めていた。背広が中心から一直線に破れ、中身が露わになる。背中の肉は布を裂くように亀裂ができ始めていた。


 大男の叫びに、周囲は気づく。そして、慌てふためいては状況を掴もうとする。けれど、眼前で起きている現実に理解が追いつかず、彼らは立ちすくむ。


 混乱とは裏腹に、状況は刻々と過ぎ去り、背中の亀裂は臀部から二股に別れ、脚に到達する。上は頭皮まで達し、赤い血がどくどくとあふれ出る。そしてついにはうずくまることすら不可能になり、肩から一気に床へと転がった。


 次は眼鏡の男。コイツはもっと単純に行こう。そう、例えば、落ちてもらうとか。


 眼鏡の男は立ったまま顔を引きつらせ、恐慌状態に陥った。声は上げていないが、表情が明らかに異常な状態にあることを物語っている。


 そこで土掛が気が付いた。目の前で死んでいる私に原因があると。


 きっとそうだろう。私にも原理はわからない。でも、私がやっているのだからきっとそうだ。原因は私にある。けれど、土掛はそれ以上思いつかなかった。だって、目の前の原因は何もできないはず。なぜなら死んでいるのだから。だから、言葉を発しては、なにを言っているのかわからない自分に焦燥感が襲う。


 勧修寺はその言葉に理解を示しながら、できることはないと諦めているようだった。ただ、力なくソファにへたり込むと、乾いた笑いを発した。


 だから、面白くないからこいつもとっとと殺すことにした。もうとっくに死んでいる干からびた眼鏡男を放り出し、勧修寺の四肢を無理矢理動かす。操り人形の操作は難しい。でも、ただ壁に運べばいいだけだから簡単だ。


 引きずられるようにして勧修寺は部屋の壁に到達すると、まるで液体の中に取り込まれるように、男は壁の中へと入っていく。そして十字架に磔にされたように、両手を伸ばし、脚を垂直に垂れ下げ、首をもたげて埋まった。そしてそこへ眼鏡男が飛んで行き、ぶつかり合って果物のようにはじけ飛んだ。壁には罅と、血で塗りたくった、飛沫の絵画が出来上がっている。


 さて、最後は土掛。アイツは私をずっと苦しめてきたから、一番つらい方法で殺してやろうと思う。けれど、生きぎたないアイツらしいというか、まだ、生き残る方法があるはずだともがいているようだった。だから、私は直接告げてやろうと思い、肉体へ戻る意識を視た。


 視界は覆われた布のせいで暗い。けれど、見えなくても視えている。


 手足を縛り付けていた紐を視るように解き、随分と痛む体で立ち上がった。土掛は目の前で起きる出来事に理解が追いつかず、ただ見ていることしかできないようだった。


「ねえ、理解した?」


 私の声は意外としゃがれていた。


「お前のせいだ。……そう、きっとお前の」


 一歩近づく。彼は覚悟を決めたように唾を飲み込んだ。そして、口もきけないような顔をしていたはずの男は、言葉を綴った。


「俺も同じように殺すつもりか」


「生きたいですか」


 ほんの少し思案してから、恐怖を忘れたかのようにこちらを見つめ返した。


「当然だ。俺には義務がある。お前のようなやつからこの国を守る義務が」


 その言葉に私は妙に苛立ちを覚えた。あまりにも誠実に生を願う男。在り様からして高潔で、私とは相いれないタイプの人間だと理解する。


 わかっていたことだ。初めて会ったあの時から、コイツは多分一番苦手なタイプだと感づいていた。きっと無意識のうちに睨みつけてさえいただろう。


 だから、と、殺す以上に嫌がらせができるのではないかと思った。


 だって、生きたいと願うコイツは、同時にこの場で死ぬことを恐れていないように見えた。生きることと死ぬこと。相反する二つが、この男にとっては真実でもあったのだ。ならばと、その責め苦は同時に受けるべきだと思った。生きながらに死んでいくように、コイツは在るべきだ。


「じゃあ、生きればいい。――でも、同時に後悔しなさい、そう願ったことを。そんな世界をお前に見せつけてやる」


「何をするつもりだ」


「このマンション。私が来ることを想定して周囲の家々も含めてみんな避難させてしまったんでしょう? でも、ね、視えるの私には彼らがいる姿が」


 土掛は表情を曇らせた。理解をしようとして、それでいて拒んでいる。そう、それでいいんだ、お前は。


「皆殺し。私も含めて全部。ただ、あなただけがこの場の唯一の生き残りになればいい」


 視界は天にある。私は視始めていた、このマンションの日常風景を。繰り返されるはずだったいつもを演算し、投影した。ただ、この部屋だけを除いて。そこにはもう死んでいる三つと、土掛、そして私がいる。


 私は土台のねじを抜くように、このマンションを支えるすべてを崩し、破壊する。そのすべてが、この一帯が一瞬にして崩れ去るように、私は何もかもが消えゆく光景と、そのすべてを背負って生き残る一人の男を視た。


「さようなら」


 眼を閉じて、私はそう口にした。

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