第五話 再来

 家に帰るといつも通りママが待っていた。ここにいるのも最後だろうと思い、買ってきたケーキを渡す。誕生日でもないから当たり前に驚かれた。


「どうしたの、今日なにかあった?」


 そう聞かれ、私はなんでもないと答えることしかできなかった。


 早々に自室に籠り、とにかく今は今後のことを考える。


 スクールバッグを乱雑に投げ、ベッドに転がった。話しかけてきた二人の男のことを思い浮かべる。


 一人は


 土掛帷――確かにそんな名前をしていたような気がする。詳細はいまだ不明瞭だが、アイツが私の家族を奪った張本人の一人のはず。私と家族を引き離し、それで、確か……。


 思い出せない。どうしても、あの日のことが不明瞭だ。


 ただ、腕を掴まれた記憶はある。今日と同じように、私の手首を、細いわりに強い力で握ったのを覚えている。台詞も今日と似たようなことを口走っていた。


 そしてあの日の記憶にいたもう一人。名前も顔も、こちらはなにもわからない。ただ、今日やってきた勧修寺という男でないことは確かだ。いや、そうだ、女性だった。ずっと、私に付きまとっていた女。私の家族にあることないことを吹き込んだ女。


 そう、元凶。元凶だ。思えばあの女がすべての始まりだ。


 鮮明になっていくあの日の記憶が。


 確か、アレは私が学校から帰宅したときのことだ。リビングには両親と、土掛、女が向かい合って座っていた。みんな深刻そうな顔をして、入ってきた私を見つめていた。


 途端、また、頭痛。思い出しかけていた記憶が一気に崩れていく。額を抑え、天井を見上げた。


「どうして、ばれたんだろう」


 そんな言葉が口を突いて出た。


 私は一言では理解しなかった。代わりにもうひとつ言葉が出た。


「いや、追われてる。そうだ、ずっと追われてる。だから、逃げて、今、ここにいる」


 と、口を押えた。私は今、何を口走った?


 いや、とても、大事なことのような気がする。本当は忘れてはならないこと。今日接触してきたあの二人の男に関することのはず。


 思考があやふやになっていく。


 そもそも私はなぜ最後だなんて考えているのか。一度、失敗したとは、一体何のことだ? 


 ベッドにうずくまる。頭を抱え、膝を折りたたみ、頭蓋が割れそうな痛みに堪える。枕を噛み、目を強く瞑った。


 私はあなたたちを知っていると口走った。まるでその言葉が真実であるかのように。しかし、聞かされたこと以上に事実の実感は湧いてこない。さっきまで私が考えていたことも都合のいい妄想のようだ。


 何かの間違いだ。あるいは何かの夢だ。


 でも、声が再生される。何もかもが不明瞭なのに、いろいろなことが蘇る。記憶、記憶、記憶。濁流は、すべて知っている出来事。


 今日やってきた二人。高校でのホームルーム。その前。未友との思い出。秘密を打ち明けたこと。進級。進学。両親。逃亡。死別。悲劇。あの日――私を引き裂いた、あの日。穏やかで平穏だった日々。視るものすべてが、楽しくてならなかったあの日々。


 ここは、そういえばどこだったっけ?


 その時、音がした。


 部屋の向こうで聞こえている。ママがその音に気が付き、ぱたぱたとスリッパで早歩きをする気配がする。インターフォン、来客らしい。通話をしている声がかすかに聞こえる。


 私は何気なく探りを入れてみることにした。何か嫌な予感がする。


 ベッドの上に座り直し、眼を動かす。適した機能を析出する。必要なのは遠見。壁をすり抜けて様子を確認できる機能。できることならカメラのように音声も聞こえることができれば最適だ。


 見つけた。あとは取り出し、レンズを瞳に重ねる。


 ママはちょうど通話を終え、応対に出ていくところだった。待たせないようにと気を遣っているのだろう。急ぎぎみで廊下をかけていく。扉に近づき、ドアガードを外した。ゆっくりと開かれる。


 そこにいたのは、土掛と勧修寺、それに先ほどはいなかった二人だった。見知らぬ人物はどちらも男。やはりスーツ姿で、一人は眼鏡をかけた線の細い男。エリートサラリーマンのような風貌で、切れ味のよさそうな目鼻立ちをしている。もう一人は手袋をした、肩幅や腕ががっしりとした男。筋骨隆々とした肉体が、スーツ越しからでもわかるほど、布地が突っ張っていた。


 状況を理解し、私はとっさにベッドから体を起こした。まさか、こんなに早くやって来るなんて。


 扉の向こうではバタバタと音がしている。もう視ている暇なんてない。玄関へ急がなくては。また、家族が奪われる――――!


 けれど、出ようとして扉にぶち当たった。ドアノブが回らない。カギがかかっているみたいに固く、どれだけ体重をかけても回る気配がない。ガチャガチャとなんども動かそうと試みるが、固まったままだった。


 こちらかから施錠しなければ、本来、鍵はかからないはず。けれど、そもそもノブの下にある錠前は縦向き。つまり、私を阻んでいるのは鍵ではない。


 そこで今度は体ごとぶつかってみる。けれど、それでも扉を破ることはできず、腕や肩に痛みが蓄積されるばかりだった。そこでようやく、この扉を眼で壊せばいいことに気づく。


 思考が遅すぎる。焦っている。わかってる。扉の先でしている物音が何を示しているかなんて。早く行かなくては、ママが危ない。


 析出し、投影。視たものを問答無用で動かすことができる眼。一歩下がり、ドアノブに集中し、一気に破壊する。奇妙な金属音と、周囲の木製部分が音を立て、亀裂が入っていく。ノブはあらぬ方向にひしゃげ、ねじ曲がり、つぶれていく。


 間延びをした三秒間はようやく達しきり、ドアノブが床に転がった。木片が散らばったが、踏みつけるかどうかなんて気にしていられなかった。思い切りドアを足蹴にし、廊下に飛び出る。


 そして、玄関に飛び込もうとして、見てしまった、ママがぐったりと倒れ、男に抱えられようとしているところを。


 止まりかけた体と思考を無理矢理動かし、駆け寄ろうとする。でも左足だけがなぜか満足に動かず、地面に転がった。勢いよく、顔から床にぶつかり、それでももう一度立ち上がろうとするが、今度は両足が動かない。思わず見やると、私の足首に、少し前、土掛の袖口から見えた、鎖のヘビが巻き付いていた。

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