第二話 対特班

 反射的に声のした方を振り返った。そこにはスーツにコートを羽織った二人の男が立っていた。


 若い方の男がコートの内側に手を入れ、何やら探り出してから、黒く薄いものを取り出した。折りたたまれているらしく、広げてその中身を見せてくる。


「警察です。お話を伺ってもいいでしょうか」


 名前を確認する暇もなく、警察手帳は閉じられた。ドラマで見たことがある光景だと思っていると、心配そうに近寄ってきた未友が私の右腕にそっと触れた。


「すみませんが、お友達の方はどこか別の場所で待っていてもらえませんか?」


 未友に言っているのだろう。けれど、私の腕を掴む手は強くなる。私も左手を未友の手の上に重ねた。未友の表情は曇ったままだった。


 警察を名乗った若い男は、服装こそきちんとしているものの、とても公職についている人間には見えなかった。厚手のコートの隙間から覗く首の部分にタトゥーが入っているのが見える。無精ひげと、刈り上げられた髪形は、どちらかと言えば、警察に捕まえられる側の人間に見えた。


「いきなりで悪いんだけどね、君に聞きたいことがあるんだ。時間は取らせないからさ」


 黙りとおしだった、もう一人の中年の男性が声を上げた。


 小太りで、しわが十分に刻まれた顔、オールバックで固められた髪は、この男一人だけなら、ベテランの刑事のように見えるだろう。しかし、もう一人の見た目が、中年の男性の印象さえ変えていた。


「あなたも警察なんですか?」


「そうだよ。おじさんも警察だ」


 わかっていると言わんばかりに警察手帳を取り出し、こちらに見せてくる。相変わらず名前まで確認する余裕はなかったが、貼られた顔写真は確かにこの中年男性のものだった。


「わかってくれたかな」


 緊張を和らげようとしているのか、深いしわにさらに影を作って笑みを浮かべている。


「どうしよう……」


 未友の方を振り返ると、目線が重なった。不安なのは互いに同じだ。


「断ると印象が良くなくなるって聞いたことはあるけど……」


 言いながらに、男性二人の方に視線を投げていた。


「何かの事件なんですか?」


「申し訳ないんだけど、君のその質問には答えられないんだ。でも、犯人として疑いをもって聞いてるわけじゃないってことだけは、言えるかな」


「じゃあ、聞くだけ聞いてみたら? 中で待ってるからさ」


 そう言って私の腕から未友が離れた。未友を見ると、表情で合図を送ってくれているのがわかる。中で待っている、ということらしい。

 

 乗り気ではないが、未友が言った通り、たしかに断ってもいいことはなさそうだ。


「いいですけど、手短に済ませてください」


「もちろんだ。外は寒いからね」


 店内に駆けていく未友を見送った。扉を開けて入るときも不安そうにこちらを見ていた。できるだけ早く済ませなければと思いながら、二人を見据える。


「いい友達だな」


 若い方の男が主導権を握っているのか、話しかけてくる。


「何を聞きたいんですか?」


 私の質問に男は大仰に顎をさすって悩んだような表情を浮かべた。何を聞いてくるでもなくこちらを眺めたままでいる。


「何ですか?」


 思わず、少し強い口調で聞くと、男はようやく口を開き、意外なことを質問した。


「まさか、本当に覚えていないのか?」


 何のことを聞かれているのかわからず、戸惑っていると、男の眉間にしわが寄っていく。対して中年男性の方は腕を後ろで組んだまま、どこを見るでもなく見ていた。


「俺のことを、本当に知らないんだな?」


「何が言いたいんですか?」


「わかった、いいだろう。ここはカンさんの言った通りに進めさせてもらう」


 また、スーツの内ポケットをまさぐっている。取り出されたのは先ほどよりも小さい金属の板だった。何かの容れ物らしく、蓋を開けて中から手のひらサイズの紙を取り出した。それをこちらに差し出してくる。


「これを見て、思い出すことはあるか?」


 渡されたそれを注視する。どうやら名刺らしい。名前は「土掛帷」。どう読んだらいいのかわからず、次に進む。目に入るのは「警視庁」の三文字。やはり警察なのかと思いながら、視線を動かし――――


≪公安部対特殊異能班≫


 頭痛がした。


 頭の中に嫌な映像が流れ始める。これは誰の記憶だ? 或いは白昼夢でも見せられているのか。ただ、白い光に照らされて、不明瞭な視界の中に捉えられる景色は、どこかで記憶にあった気がしている。


 私は頭痛を振り払うように頭を振り、名刺をポケットに押し込んだ。


「何か思い出したか?」


「あなたは……どこかで、会っていますか?」


「それが限界か?」


 男の声は先ほどよりもよく耳に届く。ただの声なのに妙に嫌悪感が湧いてくる。なぜか、知っているはずのないあの記憶の中で、この男の声がした気がした。


「改めて問うが、対特殊異能班、という言葉に覚えはないか?」


「そんなの、知りません……!」


 断言する言葉は、どうにもしっくりこなかった。何かを間違えている。もしくは何かを忘れている。そんな気分だ。


 ただ、それ以上に、頭痛のがひどい。耳鳴りさえしている気がする。


「すみません、体調がすぐれないので、もういいですか?」


 そう言って店の中で待っている未友の下へ向かおうとする。けれど、逃げ出しかけた私の腕を男は掴んでいた。


「待て」


 記憶が重なる。頭痛がやまない。それほどひどい痛みじゃないはずなのに、とても、痛い。


 覚えている。あの記憶。映像。リビングに立つ私。ここは私の家。あの景色を見ているのは、不明瞭な白昼夢の主人公は、私だ。


「今度は逃がさない」


 腕を掴む男の袖口から、口を開けたヘビの頭が見えている。それは生きているかのように体をくねらせていた。けれど、胴体はヘビのそれではない。なぜか鎖でできている。喉を鳴らし、舌を震わせるヘビを幻視する。


「本当は思い出し始めているんだろう、お前は――」


 ――そうだ。私は、追われている。

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