第一話 再会

 教室内にホームルームの終了を告げるチャイムが鳴り響く。担任の山中先生はチャイムが鳴る数秒前に、いつものくだらない雑談を終え、腕時計と教室の壁に掛けられた時計を交互に見ていた。


 高校三年の十二月に差し掛かり、センター試験が近づいているためか、先生の雑談も学生時代の思い出を交えた教訓じみたものが多くなっている。一度きりという言葉が口癖であり、一週間も経てば、生徒はみな同じような内容に聞き飽きていた。


 とはいえ、必ずチャイムを越えることなく話は終わるから、みんな何となく聞き流しながら、終了の合図が鳴り響く瞬間を待ち構えている。


 山中先生の合図で、クラス委員が聞きなれた声で号令をかけ、皆が礼と挨拶を終えると、教室はざわめきを取り戻す。受験が迫り、ピリピリとした緊張感がいつでも漂っているからこそ、放課後の始まりのこの短い時間は、みな一様に気を休ませている。


 私は何気なく立ち上がり、周囲の様子をうかがいながら、スクールバッグに荷物を詰め始めた。すると、いつものように軽やかな足取りで未友みゆがやって来る。


 彼女――柏木未友かしわぎみゆは私の一番の親友であり、ただ一人の秘密を共有できる人物だ。


 私と違ってとてもまじめで、人当たりもよく、誰からも信頼されている。成績も優秀で、難関大学に進学することを予定している生徒ばかりが集められたこのクラスの中でも、常に上位に名を連ねている。加えて、部活動に所属しているわけでもないのに、運動部顔負けの身体能力を持っている。


 さらにすごく美人。特別気にかけているわけではないと言っていたが、切りそろえられた艶のあるショートヘアは未友の少し大人びた雰囲気にぴったりだった。正直、同い年とは思えないほど、何もかもができすぎている。


 そんな未友と私はなぜか仲がいい。きっかけは彼女のほうからだった。


 私は人と関わることが苦手で、一年生のころには人間関係でちょっとしたトラブルもあった。そのため、友達はほとんどいないと言ってもいいほど。そんな状態で二年生に進級することになったとき、文系の私のクラスに転校生としてやってきたのが未友だった。


 私が通う桜丘学園高校は、進学校に分類される。そんな高校にわざわざ転校生としてやって来るのだから、きっと優秀なのだろうとは思っていた。何とか文系の上位クラスに滑り込むことができた私とは大違いの存在だ。


 だというのに、彼女は私に積極的に話しかけてきた。


 転校生というのはやはり珍しがられるもので、最初の一週間は特に話題の中心として持ちきりだったし、誠実で人当たりのいい受け答えをする未友は、すぐにクラスになじんでいた。友達ならその時にいくらでも作れただろうに、彼女はわざわざ、大して近いわけでもない私の席までやって来て声をかけた。


 曰く、このクラスであなたとはまだ話したことがない、という理由らしい。


 なんとも眩しかった。休み時間は、机に突っ伏して仮眠をとっているか、置いて行かれないように勉強をして――本当はなにもしないで過ごすのが辛いだけで、読んでいる内容はほとんど頭に入ってこない――いるだけで、友達らしい友達と会話をすることもない。聞く必要ができたときに、一度息を吸ってから話しかける、そんな人間だ。


 そんな、やっぱり何もかもが正反対に思えてならない私に、未友はなぜか強情にこだわった。最初は生きている世界が違うと思って、適当にあしらっていた私も、話しかけられること自体は嬉しかったから、だんだん自分からも話しかけるようにもなった。


 そして、ふふっ、私と未友の二人だけの秘密さえ共有できる中になった。


 私の学校生活もかなり好転したことは言うまでもない。勉強のアドバイスは貰えるし、未友といることで交友関係も増え、無駄話ができる友達も何人か作ることができた。


 そして、やっぱりその中でも未友はずっと特別なまま。今では会話さえせずに、ホームルーム後の教室でどちらが話しかけるかさえわかる。つまり、今日は未友が私に声をかけてくる日なのだ。


「ねえ、今日もなにもないでしょ?」


 未友は軽そうなスクールバッグ片手に、通りのいい声でこちらを覗き込む。


「うん。今日も付き合ってもらっていい?」


「もちろん! りんのためだもん」


 未友はその成績優秀さや、学校内での良好な生活態度が評価され、推薦入試によって進学先がすでに決定していた。だから、私が未だに頭を抱えている大学入試から、ひとあし早く解放されて身軽になっている。


 けれど、そんな悩んでいる私を見兼ねて、未友は私に勉強を教えることを申し出てくれた。これまでテストのたびに何度も助けられていたから、これほど心強い助っ人はいなかった。


「じゃ、あそこでいい?」


「うん、落ち着くし、甘いものもあるから」


「オッケー、そうしよう」


 行先は未友が最近見つけてきたというカフェ。ここ最近はそこに入り浸って勉強をしている。隠れ家的な場所なのか、静かで落ち着く雰囲気であり、私も気に入っていた。


 「あっ、ねえ、そうだ!」


 学校を出て、歩き出し、道端で二人きりになったころ、未友は何かを思い出したように口を開いた。私は、その先に出る言葉が何となく予測できた。


「また、アレ、見せてほしいな」


 私は二つ返事でうなずく。


 これこそが私たちだけの秘密。私がただ一人、未友にだけ打ち明けている、ある力に関することだ。


「でも、その前に」


「わかってる。ちゃんと勉強は教えるわ。それは別、でしょ?」


 頬を赤くして、照れくさそうにしながら、はにかんで笑みを見せる。クールだと思われている未友のこんなあどけない表情を知っているのも、たぶん私くらいだ。


 カフェは、高校がある渋谷駅の近くから反対の方向の、大通りから外れた路地にある。最初に案内されたときは、よくこんなに奥まった場所に見つけたものだと驚いたけど、三度目ともなれば道を覚えてしまった。


 木目調の板張りの壁に、欧風と和風が混じったような外観が目に入る。薄暗い店内は外から見えづらいが、入りやすいようにするためか、親切に外にメニュー表が置かれている。


 私は今日の日替わりスイーツを確認しようと、未友より先に駆け寄った。


 見えたのは、「自家製モンブラン」の文字。魅力的なワードに心奪われながら、未友にそれを伝えようと顔を上げると、なぜか立ち止まってこちらを見ていた。その眉間にはしわができており、目はどこか不安そうだった。


「どうかした……?」


 そう言いかけたとき、背後で、聞き覚えなんてあるはずのない、男の声がした。


七海燐ななみりんさん、だね?」

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