第5話 女神のひざまくら

 なにやら頭がボーッとする。  目の前に見えるのはペルさんの綺麗な顔と豊かな胸の膨らみ。


「気が付いたか?  」


 そうか…… 俺はあの後、のぼせて倒れたんだっけ。


 彼女をバスルームに押し込んだ俺は、結局頭から足の指先まで洗う羽目になってしまった。 袖と裾を捲り上げ、ついでに鼻の穴にティッシュを詰め込んで一心不乱に彼女の全身を洗った。  タオル越しに伝わる彼女の柔らかな感触。 もちろん前もしっかり洗い、クラクラしながら彼女を湯船に放り込んでドアノブに手をかけたところから記憶がない。


「すまなかったな。  少し無理をさせてしまったようだ  」


 ペルさんはソファでしばらく膝枕をしててくれたらしい。 後頭部に感じる太ももの感触が心地いいけど、女神に膝枕させる俺って!?


「ご、ごめん!  」


 申し訳無くなって起き上がろうとすると、額を掴まれて戻されてしまった。


「まだこのままでいい。  残念ながら私は回復系の力は持っていなくてな、癒してはやれんが少しは楽だろう? 」


 いやいや、十分に癒されてますよペルさん。

 

「それに、こうしていると私も心地いいのだ  」


 子供を見守るような優しい笑顔に、肩の力がフッと抜けた。 なんだかこれだけで幸せだ。 


「こちらの風呂というのは気持ちいいものだな。 あちらでは儀式の前に身を清めるくらいなものだからとても新鮮だ 」

 

 儀式というのがどういう意味なのか気になる所だが、今は詮索しないでおこう。


「うん? 」


 ふと気付いたが、彼女越しに見えるリビングの天井の一部がモヤモヤと歪んでいるように見える。  俺は眼を目を擦って何回も瞬きしてみたが見間違いではない。


「どうした? 」


「ペルさん、あれは?  」


  俺が指を指した天井を彼女は見上げる。  まるで水の波紋のように波打った天井。 するとその部分に光の魔方陣が描かれ、その中から突然青髪の少女が顔を出した。 ペルさんのド派手な登場シーンがあったから別に慌てたりはしないが、人が天井から湧き出てくるのは見ていて気持ちいいものじゃない。


「やっと見つけました!  お姉さま! 」


 声でかっ! 


「リーサ!  」


 ペルさんを『お姉さま』と呼んだ少女は、魔方陣から滑り落ちるように出てきて見事な着地を決める。 そのまま俺達の元にパタパタと寄ってきて、涙ぐみながらけたたましい声を上げた。


「あの魔法陣からお姉さまの気配が突然消えてしまったのでどうしたのかと思ったら人間界で何をやってるんですか!  」


「見ての通り膝枕だが? 」


「膝―― って! どれだけ心配をしたと思ってるんですか! $@&#!…… 」

 

 涙と鼻水を撒き散らし、耳にキンキンくる甲高い声はもはや聞き取れない。


 ペルさんによるとリーサはセイレーンという種族らしいが、セイレーンと言えば神話では下半身が魚の人魚のような姿だ。 所詮神話は人間が盛った逸話かもしれない。


「何をやってると言われれば、この男の嫁をやっているのだが  」


「よ…… 嫁ー!?  」


 声量だけで吹き飛びそうな程のデカい声に思わず耳を塞いだ。 声で人の髪がなびくのを初めて見たかもしれない。 


「おおお…… お姉さま!  ハーデス様がいながら不倫とはなんたることですか!  」


「あのバカ者とは既に破局していると何回言えばわかってもらえるのだ?  」


 ペルさんはため息をつきながらリーサをなだめていた。 そう言えば神話でもペルセポネは冥王ハーデスの奥さんなんだっけ。


「バカ者だなんて……  ハーデス様落ち込みますよ?  」


「あちらに帰ってあのバカ者に伝えろ。 二度と私の前に現れるなと  」


 ペルさんがそう言った途端、今度はテーブルの上が光り輝く。 体が硬直しそうなビリビリした威圧感に、次に魔方陣から現れる人はただならぬ気配を感じたのだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る