第36話 口約取引〈河原崎沙衣〉

 トシエは気がついてる。俺が持っているものに。


 忍ばせた胸元に、不思議なパワーを感じてる。肌で感じる細動のような。



 上手く言えないけれど、これには確かに何らしかの力があるのがわかる。


 ──なあ? ここまで近くにあると苦しい? でも俺は放してやんないよ?



 こんな紙切れに効果があるのか一抹の不安があったけれど、二見さんを信じて一か八かの勝負だった。もし、効かなかったら隣の部屋までナイフを取りに行こうと思っていた。


 

 トシエをキツく抱きしめてる。


 放すもんか!


 俺のこの覚悟は、意識を奪われようが、体は覚えてて実行してくれるレベルだぜ?



 ほら、俺を吸いつくさないと、どんどん力が入らなくなってんだろ? 俺を奪え! 奪っても御札に抗うために費やされ、やがて俺らは揃って尽きるんだ。


 離れたいけど、離れらんないトシエは、俺から生気というエネルギーを奪い続けるしかない。



 そんで、俺もトシエも尽きて、この世から消え去ればいいんだ。


 二見さんの『最強アイテム』とやらの、この俺の懐に入れた御札の力で。



 これでおあいこ、相討ちじゃん。



 きっと地獄に行くんだ。俺たち揃って。



 ふふっ‥‥‥ざまあwww



 まるで、深く深く愛し合い求め合っているかのような、むさぼるようなキス。内実は憎しみ合っているってのに。


 滑稽だよな。俺たち。好きでもないヤツらと平気でこんなことばっか。


 血も繋がってねーのに、似た者同士だったよな。あ?



 ──長い‥‥‥



 まだかよ? いつまでこんな、べちゃべちゃやらせんだよ? まだ俺の命は尽きねーのか? ヨダレだらけになってっけど。


 目を開ける勇気はない。二見さんに見られてんの、わかりたくない。



 ‥‥おかしい。結構時間が経ったのに、奪われた気がしない。俺の意識もハッキリしたままだ‥‥‥



 ‥‥‥ん?


 キツくホールドしているトシエの体に違和感。気づけばキスの感触が全く変わってる。  


 俺の要求に合わせているような、ぎこちない口づけ。



 俺は薄目を開けてみた。



「‥‥!」



 ──ビックリして唇と身をパッと離した。


「だっ、誰だお前ッ!!」



 そこには少女が立っていた。


 見覚えがある。どこかで‥‥‥



「あ‥‥嘘だろ‥‥‥」



 トシエと入れ替わっていたのは、『おはつちゃん』だった。


 白無垢さんの本来の姿。俺だけが知っている、かわいらしい女の子の姿。



「ごっ、ごめん!」



 俺はパーカの袖で、テカってるおはつの口許と自分の口の周りをささっと拭った。


 どうなってんだ? 更に一歩身を離した。だって、下の妹の夜明より幼い感じだ。


 いつの間に?


 これじゃ俺は、今の世の中の倫理上では犯罪者だよ‥‥‥相手は幽霊だけど。



 妹たちに知られたらドン引きされる。


 あいつらに白い目を向けられる自分を想像して青ざめる俺。




《お兄ちゃん、トシエが好きなの? だからこんなこと?》


 おはつちゃんが、モジモジしながら聞いて来た。あの、恐ろしい白無垢さんと同一人物だとは全く思えない。声も子どもっぽい。


 足首の出る質素な着物を着た純情そうな女の子。黒髪を後ろでひとつに束ねて。働き者だって一目でわかる。荒れたその指。



「ばっ‥‥んなわけねーよ。トシエなんてキライだっちゅーの。お互いになっ」


《じゃあ、死にたかったの? 生気を奪われて》

 


 レイラや夜明と違って遠慮がちな仕草はかわいいけど、質問はストレートだな。


 ほほを染めて興味深げな上目遣いで俺を見る。


 ダメだ。見かけに騙されちゃ!



「‥‥まあ、さっきはヤバい一人で盛り上がって投げやり挑んだけど。だからって敢えて死にたくはないよ。まだ、妹たちが心配だし」


《じゃあ‥‥妹たちがいなくなれば死んでもいいのねッ?! 》


 パアッと笑顔になった。なんだか、反作用? ゾワゾワする。



「‥‥そういう訳じゃない。俺って、人生捨てて生きてんのに、スッゲェひねくれててさ」



《じゃあお兄ちゃんは、どうなったら死んでもいいのっ? 教えて!》


 せっつくように俺に抱きついて、胸元から俺を見上げてる。ち‥‥近いだろ‥‥



「ウウンッ‥‥おはつにわかるかわかんないけど‥‥。俺さ、この俺の不幸の根本を社会的構造と、与えられた倫理観上の問題として見極めて自分を俯瞰出来てから死にたい」


《どういうこと?》


「ちっちゃいありんこが俺。それを人間が観察するように。巣はデカくて複雑で、地下の全体像は不明じゃん? なのに、何も知らないまま、言われるまませっせと穴掘って、仲間のために餌探して貯めてさ、目の前数センチの世界しか見ないで死んでくのだけは屈辱に感じるんだ」


 おはつの肩を掴んで引き離しながら、一応説明した。


《よく、わからないわ。今はダメってことしか。ならいつなら死んでもいいの?》


「‥‥俺だっていつになるかわかんねーよ。俺、この世の絡み合った支配の仕組みを見極められるほど賢くもねーし。‥‥‥ま、そうは言っても、気力はわかねーし、実際知ったからって絶望しかない現実突きつけられんだろ‥‥って予想は当たってんだろうし、状況が変わるわけでねーし、ま、いつ死んでもいいような気はしてっけどね」


《いつでも? 本当に? わーい! じゃあ、今でもいいんだよね?》


 なんで喜ぶ? やっぱ、可愛い姿に変化したところで悪霊だもんな。


 俺の命、奪おうとしてるんだ。


 でも、これじゃ無駄死に。



 どういう訳かトシエは消えてるし、俺はこのまま役立たずで終わるわけには。



 気づけば魔法円は、円周に沿って闇の壁が立ち塞がり、中が見えなくなってる。


 どうなってんだ? 

 


「‥‥って、あ。やっぱだめ! することあっから。忘れてた、ゴメン」


 この子見てたら妹たちを思い出して‥‥



 ──帰ったらローストビーフ焼かなきゃなんないんだった。死んだら焼けねーよ。


 死に触れるギリギリの所で、興奮は覚めて平常心に近づきつつあった。



 ──俺はさっきはなんであんな自殺覚悟の無謀な気持ちになってたんだ? 



《ふうん‥‥それは残念ね。じゃあ、どうしたいの? 今のは何がしたかったの? 誰でもいいから女の人と口づけしたかっただけなのかな? あの男を力ずくで押し退けてまで。‥‥‥お兄ちゃんも、そういうけだもの男なの?》



 眉をしかめて汚物を見るような視線を投げ掛けて来た。


 もしレイラと夜明にこんな目を向けられたら、スッゲー落ち込むわ。



 俺は日常、無理やりなんてしたことねーし。来るからいただいとく。それだけ。あ、さっきのトシエのは確かに無理やりだったけど。



「ちっ、違うってば! 俺はただ‥‥‥身を呈して俺を庇ってくれたシンさんと、善意で助けてくれた二見さんに、これ以上迷惑かけらんないって思った。せめてトシエを連れてあの世に行けたらって‥‥。俺の失態でシンさんと二見さんになんかあったら俺は一生後悔すんだろ?」



 そうだ! 御札を今、懐から出せば!


「これ!!」



 バーンとおはつに掲げて見せたけど、なんの効果も無し。



《ふふっ、そんなものトシエには効いてもあたしに効かないわよ? あたしの方が上だし》



 余裕で返されちまった‥‥‥



《お兄ちゃんは、あの二人が大切なの?》


「俺の大事な人って訳じゃないけど、この状況下を無事に抜け出させたい。目的を果たして」


《‥‥目的って、私たちを封印すること?》


「‥‥‥怒ってんだろな? 受け入れられるわけないよな。こんなこと。わかってんだ。けど‥‥今すぐ成仏しないんなら、トシエと白無垢さんには取り敢えず、用意した桐箱に入ってて欲しい。時が来るまで」


《どうして? 人を呪い殺すから?》


「まあ、そんなとこだね」


《‥‥‥いいよ。私、トシエも道連れで入ってあげても。一休みしたかったしね。最近二人一気に頂いたばかりで満ち足りてるし》



 ああ、きっとシンさんの両親のことだ。



《その代わり、お兄ちゃんもあたしのお願い、聞いてくれるなら、だよ? いいでしょ?》


 可愛らしく首を傾げる。



「えっ! ホントにマジで?‥‥‥で、俺にお願いって何?」


《あたしが次、封印から出た時にね、お兄ちゃんに教える。あたしのお願いを聞いてくれる約束を今してくれる? そしたらあたしはトシエと封印されたげる》



 ──きっとその時には俺たちはこの世にいないと思うけど。長く幽霊やってると、その辺の感覚が狂ってんのかも。


 いいのかな? 出来ない約束しても。でも、今はこの子にお願いするしかないのかな‥‥


 騙すみたいで申し訳ないけど、許してくれ。


 俺の失態で、二見さんとシンさんを危険にさらしてしまった埋め合わせをしないと。


 この子だって、なぜか今はこんな普通の女の子してるけど、またいつあの恐ろしい姿に変わるかわかったもんじゃない。油断しちゃダメだ。


 俺は今はナイフを持っていないし、この子には御札の効果が全く無い‥‥‥


 俺ら、本気出されたらひとたまりもないんだろうな‥‥


 さっき髪で締め殺されそうになったのも、おはつのお遊び程度だったのかも。



「わかった。俺、約束する」


《但しね、トシエは封印から出た時、すっごく怒ると思うけど? いいよね? そこまであたしは知らないよ?》


「それって今の俺たちのこの状況よりマシなんじゃない? 今すぐ桐箱に入ってくれんなら、そういうことでいいよ」



 ──どうせ、トシエがいくら怒ったところで、その頃は俺たちだって死んでるって。



《うふふ‥‥‥約束よ‥‥‥お兄ちゃん‥‥‥嘘ついたら針千本だよ‥‥‥》




 頭ん中がグラリと揺れた。



 あれ? 俺‥‥また‥‥やらかしたような? 


 そういや、幽霊の‥‥言うこと‥‥聞いちゃ‥‥ダメだ‥‥ったんじゃ‥‥‥ね‥‥?



 目眩めまいと渦巻く黒いモヤ。




 暗転────














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