第31話 封印開始〈河原崎沙衣〉
二見さんの指示の下、準備は整った。
時計を見ると、もうすぐ夜中の1時。
まさか、ただの隣家へのお悔やみがこんな展開を迎えるとは思いもしなかった。
外は雨が降り出して来た模様だ。厚手のカーテンの向こうの窓に、雨がポツポツ当たっている音がする。
俺のケータイには、楽しげな写真が添えられてのおやすみなさいのメッセージが、カラオケオールのレイラと、お泊まり会の夜明からそれぞれいつの間にか届いていた。
俺は明日の夕食はローストビーフだと宣言し、楽しみにしてろおやすみ~とメッセージを返しておいた。
こんな平凡な日常だけど、失ってしまっていたかもと思うと、今更ながら恐ろしくなる。
──俺は無事に帰宅して絶対にローストビーフを焼いてみせる!
床には、緑青のナイフにより、俺たち3人を保護する魔法円が刻まれた。意味ありげな24文字の漢字に円周を縁取られている。文字は、『尽』とか『仁』とか『勇』『隠』とか、その他もろもろ。中心部は開いた五弁の花のような模様。
純和風の魔法円。ま、ここは日本だしね。
そのすぐ上には、霊を呼び寄せるための三角形の魔法陣が描かれ、各辺には『召』『籠』『絆』と、1つずつ並んだ漢字が描かれた。
この三角の中に、『呼び寄せ』、『閉じ込め』、『
『絆す』というのは、人の自由を拘束するという意味で、『絆』というのは、元々は動物をつなぎ動けなくする縄という意味だと教えてくれた。
きずなって文字、ある意味怖いな。なんとなく純粋な愛情友情系の繋がりのポジティブな印象を持っていたけど、ある意味一度繋がれたらちょっとやそっとじゃ逃げられないような拘束的な雰囲気醸してんな‥‥‥
これらを床に刻むのは大変な作業だった。一字一角たりとも間違いは許されず、完成後、3人でそれぞれミスチェックした。
文字を間違うと、効果無しとなる可能性があるとかで。若しくは予想だにしない未知の効果になってしまえばカオスに陥るそうで。そうなったら、二見さんでは手に負えないそうだ。だから、慎重に慎重を重ね、3人がかりでも時間がかかった。
それ以外の細かい小物設定は二見さんがてきぱきセットしてくれた。
俺はそんな二見さんを見てて、この人が俺のお母さんだったら、俺の人生だだ変わりだっただろうなって思う。明るくて、優しくて、しっかりもので、世話焼きで、資産家で。
あーあ、生まれた場所で人生ほとんどは決まってんな‥‥‥
ただいま魔法円の中心にて、スマホを見ながら、呪文らしきお経のような言葉を小声でぶつぶつと反復練習している二見さん。
なぜだか、先ほどから二見さんを見るたびに、右脇腹の鈍痛を伴う違和感と、微かな怯えを感じる。
俺も儀式を前に緊張しているらしい‥‥‥
呼び寄せの三角形の各角には、皿に盛られた塩に、ろうそくがセッティングされてる。
俺たちにも用意されてる。1人1本、『
儀式の途中で自分の根基の灯火が消えたら、直ちに残りの二人のどちらかの炎を貰って灯し直さなければならない。何らかの障害で、本人が出来ない場合は、どちらかが持っている炎を、消えた人のろうそくに直ちにつけてあげなければならないそうだ。すなわち、相互扶助。
もし、それが叶わなかった時は‥‥‥? これで何がどうなるってんだ?
二見さんは、『まだ私が直接知る限りでは事例がなくて、聞いただけの不確かなことだけど』と、前置きした上で、炎を保っていれば霊が誘う幻覚の夢の世界に入り込まなくて済むらしいと話した。
消えている時間が延びると、その間に精神だけが幻夢の世界に取り込まれ、精神が肉体を認知しなくなるので、意識の無い寝たきり状態になってしまう可能性があるらしい。
もし3人とも炎が消えてしまったらどうなるんだろう‥‥‥? ろうそくが尽きてしまったら? それは儀式の失敗を意味するのだろうか?
なんだかとても不気味だ。あ~、なんで俺がこんな目に‥‥‥
今夜は情緒不安定俺は、大昔の、すっかり忘れ去られていたことを思い出して気分が悪い。
トシエが俺の前に現れた当初、幼い自分は恥ずかしがって避けていたが、内心すっごく喜んでいたこととか、夜明が生まれてトシエの母乳を飲んでるのを見て、すごくうまそうに思えてレイラと二人で羨ましがっていたこととか。大昔の思い出。
とっくに死んだあのくそ女に未だ振り回されてる自分にも腹が立つ。
──さっさとカタ、着けようぜ?
悪霊のままほっとく訳にもいかないしね。どのうちこのままじゃいずれ俺も呪われる運命だろうし。
さっきのことも途中までは所々覚えてるんだ。トシエが俺に、死ねばいいとかって暴言吐いて来たこととか。
自分、ショックで涙が出てたこととかも。
チクショウ‥‥なんで俺は今さらセンチメンタルになって泣いてたんだ? 俺としたことが。考えても意味不明だ。
トシエの声が頭に響いて来たら、だんだん頭ん中がふわふわしちまって‥‥‥
深い夢の中ではトシエに優しくされて喜んでいたような気がする。すごく心地良くて気持ち良くて、ただただ快楽的な気持ちよさだけが残像として頭に残ってる。
トシエに癒されんのが、気づかない自分の深層心理だなんて、この俺が認めるわけねーだろ。
きっと二見さんが言ってた、『あの手この手で惑わして来る』ってやつかもな。幽霊は、俺たち生ける者には理解出来ない現象起こすってのは昔からだし。
夢で心地よくなってる間に命を削られるに違いない。シンさんのあの姿がそうだった‥‥‥
ゾワゾワすんな‥‥‥悪霊だしな。
気になるのは白無垢さん。
働き者のずいぶんかわいい子だったらしいのに、哀れな運命だったとは思う。
っていうか、美しさゆえに目をつけられた受難人生だったのかもしれないけど。
なんで俺を呪い殺すのをやめたんだ? 時間切れ、とかだったのかな?
あの子‥‥どんだけ長年悪霊やってんだろ? いい加減やめてさっさと成仏すればいいのに‥‥‥
二見さんがパンパンと手の音を響かせた。
「さあ、準備は調ったわ。二人ともこの円の中に来て。これを見て。私のこの祈りを捧げて灯したろうそくの炎を
二見さんが一本の灯ったろうそくを俺たちの前に掲げた。
「ついに始まんのか‥‥。頼むぜ、二見さん」
シンさんの喉がゴクリと鳴った。
「さあ、この炎を自分のろうそくに受け取って。絶やさぬように気をつけて。予備も一本ずつ渡しておくから隠して持っていてね。万が一それまで失った場合は私が懐にさらなる予備を隠し持っているから、失った場合には言って下さい。これが灯っていれば、幻覚に引き込まれずに済むらしいから。知らんけど」
──ちょい待って。最後に余計な一言ついてたけど?
「知らんけどって‥‥どういう?」
「えっと、そういう設定で伝えられているのよ。さっきも言ったけれど、私たち一族が関わった儀式の最中に自分の炎を失った人はこれまでいなかったのよ。だからハッキリ言って、このろうそくの効果のほども定かではない。まさかわざと消して人体実験するわけにもいかないでしょ? 呪われる可能性があるのに自ら禁忌を破る意味もないし。伝えられてる文献によれば、失った時間が長くなると精神が囚われて戻れなくなるらしい‥‥ということよ」
そういうもん? わりとふわふわしてんな。ま、科学的に証明されるような分野ではないもんな‥‥‥
儀式って、結果オーライで、絶対的な手順が確立されるもんでもないんだな。
ますます不安が募る。だけど、本物の幽霊を体験した以上、この二見巫女さんに任せるしかない。
「わかりました。続けて下さい」
シンさんと共に2本ずつ受け取った片方の予備を上着のポケットに入れ、もう1つに二見さんのろうそくからの炎を受け取った。
「では、それを使ってあの召喚の三角の角にセッティングしたろうそくに1つずつ火を灯してください。私たちに味方する炎で障壁を強化しましょう。頂点は私が。底辺の角にそれぞれお願いします。そして、その灯した角に待機して下さい。角の炎が消えたら自分の炎で再び灯して下さい」
それからも、シンさんと俺は二見さんの指示のままに従った。
自分の『根基の灯火』を、用意されていた小さな白い皿にロウを数滴垂らして接着して立てた。それを、魔法円の中に刻まれた24文字の漢字の中で、パッと見て一番呼び寄せられる文字の上に置くように言われた。
俺は最初に目に飛び込んで来た『尽』という文字の上に置いた。シンさんは『赦』、二見さんは『視』。
この三角の角の自分が着けた炎が消えたら、円陣から『根基の灯火』を取って来て、再び灯さなければならない。魔法円のろうそくが消えたら、他の2本のどちらかから炎を貰う。
「では、シーリングライトは消して、神聖な炎の灯りの下で始めましょう‥‥‥」
パッと薄暗い空間に変わった。まるで一瞬の内に違う場所に来てしまったかのようだ。
「万が一‥‥危険が及びそうな時は、魔法円に退避して下さい。ま、そんなこと今まで数えるほどしか無かったけど。私も神主役は今回初めてだし慎重にしないとね‥‥‥。大丈夫よ、スマホあるし。さっきメモ送って貰ってあるから見ながらやれば」
──ええっ! 二見さん大丈夫‥‥!?
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