第10話

「カサンドラが居ない?誘拐されたかもしれないだって?」

 授業に現れない自分の婚約者を心配して、側近のクラウスを探しに行かせたのだが、想像したくもない結果をクラウスはもたらした。


「試験という訳じゃないんだよな?」

「確かに入学後、三ヶ月以内に擬似誘拐を行い、王子とカサンドラ様の対応についての判断と指導が入る予定ではありましたが、今回は試験などではございません」


 小声となって囁き返すクラウスを見上げると、筆記道具を片付けながら立ち上がる。

 今の時間は自習時間に当てられていて、教師は不在、生徒たちは思い思いに過ごしているように見えた。

 この時間を勉強に充てる生徒もいるし、友達と楽しそうに話している生徒も多くいる。カサンドラが不在な事に不安を感じている様子の侯爵令嬢二人も立ちあがろうとしたが、二人を視線で止まらせる。


 そうして自分の教室を一周、ぐるりと見回したアルノルトは、伯爵令嬢であるクラリッサ・アイスナーの席へと近づいていった。

 誰にも向けた事のないような甘い笑みを浮かべたアルノルトは、クラリッサの顔を覗き込むように見ると、

「せっかくの自習時間だから、少し付き合ってくれないか?」

と、近くの生徒にも聞こえる程度の声量で耳元に囁いた。


 クラリッサは顔を真っ赤にして俯き、周りの女子生徒が黄色い悲鳴をあげ、男子生徒は驚愕の声を上げる。カサンドラが居ると大人しくて静かになる教室も、彼女が居ないだけではしゃいだようにうるさくなるようだ。


「さあ」

 エスコートするように右手を差し出すと、躊躇なくクラリッサは自分の手を置いた。


 紫がかった髪色に翠玉の瞳を持つ彼女は、クラスでも美人の部類に入るだろう。アイスナー伯爵は貿易で成功した新興貴族となる。投資で失敗して勢いを落とした、貴族派筆頭であるエンゲルベルト侯爵家に迫るほどの勢いがあり、カロリーネがアルノルトの婚約者候補から外れた事で、自分の娘こそ次期王妃に相応しいと考えているふしがある。


 財力で言えば問題ない、ただ、歴史と家格を問われれば不足を問われる家柄でもある。

 コンスタンツェ嬢とカロリーネ嬢が婚約者を決めた今の時点で、もしも、婚約者であるカサンドラに何かの不幸が訪れたとすれば、新たな婚約者候補として名前が挙がるのがクラリッサ・アイスナーという事になるのだろう。


 アルノルトの用意した弁当を毎日カサンドラは食べているのだが、嫌がらせ目的で、手ずからアルノルトに食べさせるような行為をカサンドラが行う事が度々ある。


 周囲の人間は、アルノルトの用意したものはカサンドラが自ら作っているものだと考えているし、独占欲を見せつけるために、あえてカサンドラは毎日、アルノルトに手製の弁当を食べさせているとも思われている。


 そんな二人の姿を憎々しく見つめていたのがクラリッサであり、この学園の中でカサンドラを一番排除したいと考えている令嬢はクラリッサという事になる。


 カサンドラの誘拐は学園長だけでなく王宮にも伝わっているようで、騎士団の姿もちらほら見えた。王子の指示を待っているのかもしれないが、その前に、アルノルトにはやるべき事が見えていた。


「アルノルト様!どちらに行かれるのですか?」

 人が居ない方へと手を引かれて行くクラリッサはわざとらしい程の恥じらいを見せながらアルノルトを見上げてくる。


「私、殿下をお慕いしております」

 しおらしく目線を伏せながら、

「カサンドラ様よりも美味しいランチをご用意いたしますわ!ですから、明日から私と一緒にランチをいたしませんか?絶対に後悔なんかさせません」

 クラリッサは頬を染めてアルノルトを伺い見る。


『ヒロインは見つけられていないんだけど、悪役令嬢として代理をさせるのなら断然クラリッサ・アイスナー嬢ですわね』


 脳裏にカサンドラの言葉が蘇る。


『取り巻きの令嬢も多いですし、何しろ彼女にはお金がありますもの。邪魔者を排除するのにお金に糸目をつけませんし、その者がどうなったとしても、良心の呵責なんてものは生まれないでしょう。世界は自分を中心に回っている、アルノルト王子は自分の目の前に跪くために存在している。国母となるのは私以外に存在するわけもなく、きっとお父様もお喜びなるでしょう。なんて考えの方でしょうから、もしもヒロインが平民だったらひとたまりも無いでしょうね』


 侯爵令嬢で自称悪役令嬢のお前はどうなんだ?勝手に攫われてんじゃねえよ!


 人気のない校舎の裏へ足を踏み込んだアルノルトは、護身の為に隠し持っているタガーナイフを引き抜くと、クラリッサの頬にナイフを走らせた。


「え・・・」


 後に倒れそうになる彼女の胸ぐらを掴むと、ナイフを反対側の頬にも走らせる。

 白磁のような肌に血の線が二本走り、痛みと共に真っ赤な血が頬を流れ落ちる。

 それは一瞬の事で、次には眼球を突き刺す寸前にまでナイフを迫らせた王子が、酷く冷めた声で言い出した。


「次は眼球を突き刺す、それでも話さなければ顔の皮を全て剥ぎ取る。とりあえずお前に問いたい、カサンドラは何処だ?」


 アルノルトは物語に出てくるような美しい顔立ちの王子様であり、背が高く、剣術を得意とする事から引き締まった体つきをしており、いつも柔和な笑顔を浮かべ、人当たりも良い。人当たりが良すぎるからこそ、入学式を終えて数日間は多くの生徒に取り囲まれるようにして学生生活を送っていたし、婚約者のカサンドラが独占欲を爆発させるまでは、軽いおふざけをしても許してくれる、フレンドリーな王族だと言われていたのだ。


「ひっひいいいいいっ」

「悲鳴あげても誰も来ない、カサンドラは何処だ?」


 いつもの柔和な王子は何処にもいない、逃げようとしても逃げられない。

「私は知りません!私は知りません!」

「まだ言うか」

 顎の下にナイフを食い込ませたアルノルトが、

「皮を剥いだら王妃希望どころの騒ぎじゃないな」

と言うと、ナイフが肌の下にめり込んで激痛が走る。

 足の間から流れる液体が地面へと広がり、目と鼻と口から液体が溢れ出し、流れた血液と混じって制服を濡らしていく。


「私は知りません!知っているのは父です!父が知っています!」

「お前は知らないのか、じゃあここで死んでもいいよな」

「港町です!タグス港の倉庫にいます!誘拐した後は海外の商船に乗せ込む予定でいたんです!」


 胸ぐらを掴んだ手を離されたクラリッサは倒れこみ、アルノルトは血を拭ったタガーナイフを鞘に収めた。

 

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