山ジィ

九月ソナタ

本文

私の高校は地方にある女子ばかりの私立。

二年の冬だったか、新しい英語講師がやってくるという噂が流れた。

男性教師だ。

わわっ。

それだけで、大ニュースだ。


市で一番の進学高校からくるのだという情報が流れた。そんな先生が、どうしてうちなんかに来るのだろうか。学生運動をあおったか、または人妻と問題でも起こしたかと浅野かおるが言っていた。

クラスでお局と呼ばれている子だ。


退屈なわれわれは、冬の間中、想像をふくらませてわくわくしていたのだが、春になり、現れた彼の姿を見て、がっかりした。背は高いが、年寄りだった。

定年になり、小遣い稼ぎに来たのだろう。


なんでも、うちにいると奥さんがうるさいので、勤めることにした、という情報が流れてきた。なるほど。

クラスの中には、勉強がだめでも、あだ名をつけるのが特別にうまいとか、探偵並みにリサーチ力があるとか、そういう才能に長けた生徒がいた。

クラスの探偵は浅野かおるだ。


その日のうちに、呼び名が「山ジイ」と決まった。

そういうことと、早飯を庇うことだけでは、結束力のあるクラスだった。


有名高校で、できる生徒ばかりを相手にしていた山ジイが、いったいどんな教師で、どんな教え方をするのか、興味と期待はあった。そういう教師についたら、われわれだって、少しは英語力が伸びるかもしれないと思った。


しかし、そんなうまい話はない。

教え方がうまいもなにも、山ジイの授業は、半分以上が自慢話なのだった。


われらに教えても仕方がないと諦めているのか、自自分があれをしたこれをしたことばかりを語り、自分だけよい気分になり、講師料をもらって帰っていく。

馬鹿にするな、とわれわれは内心思ったのだが、誰も口にだしては言わなかった。


私が覚えている山ジイの自慢話をいくつか書いてみよう。


「きみたちは、この日本で、一番最初に、トマトを食べた人間を知っているか」

とある日、山ジイが言った。


なんでも、山ジイの父親はあの日本一の帝国ホテルの料理長で、当時は日本人がくさいと言って食べなかったトマトを庭に植えたのだ。それが実った時、

「みんなが嫌がるのを尻目に、それを一番先に食べたのは、六歳の、この私なのであります」


嘘か本当かは知らない。

当時はグーグルもスマホもないから、調べようがなかった。


いつか、山ジイが東京の高校で行われた研修会に出席した時のこと。

黒板に「WELLCOME}と書いてあった。

しかし、全国から来たどの教師も、その間違いには気がつかなかった。


そこで、山ジィが立って、

「WELLCOME ではなくて、WELCOME。 Lはひとつだと指摘したのであります」

と訂正したのだった。


以後、クラスでは「なのであります」が流行った。


山ジイが汽車に乗っていたことがある。

アメリカの軍人が乗っていて、英語でパンパン(売春婦のことだが、山ジイがそう言ったのだ。山ジイはいったいいくつなのだい)に、○○の駅はどこかと訊いた。

すると、そのパンパンが頭をひねって、

「next next next」と答えたのだという。


そのパンパンは「3 stations next」といういい方を知らないが、それでも、知っている単語を並べて伝えることができたと褒めた。

山ジジイがほめた唯一の例だ。


われわれは、なぜ山ジィ自身が、アメリカ兵に教えてやらなかったのかとは思ったが、沸騰する湯には指をいれるな、という教訓は自然と身につけていたので、誰も何もいわなかった。


山ジイが、山道を走るバスに乗っていたことがある。

「ここは危険だから、気をつけて運転しなさい」

と山ジイが運転手に注意をした。


すると運転主が「わしもう二十年も運転をしているが、一度も、事故を起こしたことがない」と言った。


だから、山ジイは、

「昨日まで、一度の事故がないといっても、今日、事故があるかもしれない。その腕に、わしの運命がかかっているのだ。慎重にやれ」

と説教したのだという。


それはまぁ、言えているけれど、別に運転手に言わなくてもいいのに、と私は思った。山ジィは言わなくては気がすまない性格なのだ。


山ジイは自分で言うのは好きだが、人から反論されるのが嫌いらしい、とわれわれは気がついていた。

ある日、ひとりの生徒が「黒板の先生の字が達筆すぎて読めません」と訴えた。クラスメートが「達筆」という難しい言葉を使ったのには、感心した。質問の仕方を考えてきたなと思った。


本当に山ジイの字は読みにくいのだ。

すると、山ジイが案の定かんかんに怒って、なんやかんや言ったが、誰も聞いてしいなかった。

その発言をした彼女はちょっと癖があって、好かれてはいなかったのだが、この件ではわれわれは彼女をリスペクトした。


山ジィは一年で、もう来なくなった。

契約が更新されなかったのだ、と浅野かおるが調べてきた。

われわれが何も言わなくても、見ている人は見ているものだと感心した。

でも、山ジィは言っているだろうな。やる気のない生徒たちに失望したから、

「私から、辞めたのであります」と。


数年後、私は市の中心にある大きな図書館に行った。

そこの端の席に、山ジィがぽつんと座っていた。なんか、随分小さくなり、勢いもないように見えた。

まだ昼間なのに、どうしてここにいるのだろうと思った。

やはりうちにいると奥さんがうるさがられ、仕事も見つからないから、ここにいるのだろうか。

浅野かおるがいたら調べてくれるけれど、彼女は東京の大学に進んでしまった。



























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