ウォレットを探すな

境 仁論(せきゆ)

ウォレットを探すな


 2022年7月15日———つい先日のことだ。

 私は二人の知り合いと共に、今京都市民並びに観光客を大いに盛り上がらせている「祇園祭」へと赴いた。出立の時間は大体、18時前だっただろうか。乗り慣れないバスには大学から下校する学生や祭りに向かうのであろう老人たちが詰められていた。知り合いのうち女性の方は空いていた席に座り、もう一人はその近くで立っている。私は最近話題のゲーム機に熱中している少年の隣が空いていたのでそこに座らせてもらった。

 私はワイヤレスイヤホンを耳に、サブスクで最近夢中になっているドラマを見るなどしている。後ろで知り合いの二人は和気藹々と談笑している。

 なぜ2人の会話に加わらないのか。自分と知り合い二人の関係について話そう。

 男性の知り合いをT、女性の知り合いをKとしておく。

 率直に言うと、その知り合い2人はお付き合いをしている。2人がお近づきになって日は浅いがそれなりに仲睦まじくしている。

 そもそもその2人とは同じクラブに所属していてそこで私は仲良くさせてもらっていた。Tは一年、Kは半年程の知り合いだ。2人がぞっこんになったのは私がKと知り合いになって二か月経ったときだった。食事中にTから付き合い始めたという旨を聞いたときは、喉がご飯を通らなかった。

 つまり私は祇園祭、2人のデートに+αとして着いてきたという状態だったわけである。

 しかし言い訳をさせてほしい。私は自分も祭りに行きたいからという理由で2人のデートに割り込んだというわけではない。ちゃんと私にも、そこに行かなければならない理由があったのだ。

 それはラウンドワンの割引券である。我が父が株主優待券で手にしたラウンドワン500円割引券。

 「これで友達と遊びに行け」と手に握らされた私はその日までにこれを使わなければならなかったのだ。割引券の有効期限は7月15日。つまりこの日までである。さらに複数枚あるため一人で使い切ることは不可能。

 そのため予て3人で祇園祭を楽しむついでにラウンドワンに向かい、券を使うと決めていたのだ。

 では前向きはここまでとして、本題に入っていこうと思う。

その日私たち3人に降りかかった悪夢のような時間について———。


「……あれ」

 Tがバスに揺られてあることに気づく。

 「どうしたの?」

 Kが不思議そうにTを見上げていると、Tはポケットに手を突っ込んだりバッグを開けたりしている。

 「財布部室に忘れたかも……」

 「ええ……」

 その様子を見ていた私は呆れてため息をしてしまった。

 途端、降りる予定のバス停に着くというアナウンスが聞こえてきた。

 「ここで降りたいんだけど」

 Kが呟きTが慌てる。

 「どうしようどうしよう」

 「一旦私払うから降りよ」

 TはKの分も払うことにして、四条烏丸で降りた。

 やはり大勢の人々がここで降りるようだった。Kは両替をしていてTは相変わらず慌てている。

 降りた後、私たちは歩きながら財布のある場所を考えていた。

 「部室に置いてきたかも。そうだ、バッグから財布出してそのままほっといたんだ」

 どうしてそのままほっといたのかと思っているとKは

 「部室にまだ先輩いるかもだから確認してもらったら?」

 と提案する。Tは言われた通りにその先輩へ確認を取った。

 「財布あります……?ああ、はい、わかりました……あったって」

 しかしその場に財布はない。一体どうやって祭りを過ごすつもりなのか。

 「私が払うよ」

 「わかった」

 Kの提案をTは迷うことなくすんなりと受け入れた。

 自分から知り合いのことを客観的に述べるのもどうかと思うが、TはかなりKに頼ってばかりのどうしようもない男性で、Kはそのどうしようもない男性にとことん尽くしてしまうような女性だった。

 結果KはTの分のお金も払うことになった。

 私の方はというと、特にお金は貸さなかった。けち臭いのではなくお金の扱いには厳しいのだと思ってもらいたい。

 そうして私たちは、大体21時ほどになるまで祇園祭を歩いて回った。山鉾行事を見たり屋台を回るなどした。途中で私は人生で初めてりんご飴を食べたが、もさもさしていて美味しいとは思わなかった。しかし横で2人が美味しそうに食べていたのでそういうものかと1人自分を納得させていた。

 Kはカステラを食べたいと言い始めた。祭の屋台にカステラがあるのかと疑問に思ったが、どうやら彼らの地域では定番であるらしい。私の地元にはなかったので軽いカルチャーショックを受けた。

 しかし歩いても歩いてもカステラの屋台は見つからない。大体1時間ほど歩いて探した。何度も黄色の布の上に「からあげ」と書いている屋台をカステラ屋と勘違いした。

 「カステラなんてコンビニで帰るでしょ」

 「屋台の出来立てのやつがいいの!」

 Kはカステラに関しては妙にこだわりがあるようだった。しかし結局最後までカステラは見当たらず、私が冷凍プリンなるものを初めて食べて感動したところで祇園祭巡りは終了した。

 次はいよいよ父から受け継いだラウンドワン割引券を使うときだ。覚悟を決めて施設へ向かっていると、Tの携帯に着信が入ってきた。

 「もしもし、あ、Sさん?」

 Sとは後輩のことである。

 「今?祇園祭から帰ってラウンド……」

 「言わないで」

 「帰るところ」

 Kはラウンドワンに向かっていることを秘密にしたいらしかった。

 「え、財布?持ってきてるの?」

 どうやら先程電話した先輩が財布を届けに行くという名目で後輩2人を引き連れて祇園祭に来ていたらしかった。

 「今から渡しに来るの?」

 「断って」

 「いやあ、もう帰ってるところだから」

 どうして頑なに秘密にしたがるのか。

 そのまま私たちはラウンドワンのカラオケコーナーにフリータイムで一人約1000円の料金で入っていった。

 ルーム内のソファに座ってKが話す。

 「だって3人で楽しんでるところに他の人に入ってほしくないじゃん」

 「財布渡しにくるだけでは?」

 「絶対その後混ざって着いてくるよ……それが嫌だ」

 そんなことあるかと思いながらもなんとなく先輩ならあり得そうなことだと思った。Kは今大勢で遊ぶといったことはしたくないらしい。彼女自身、多くの人と群れるのは嫌いというわけではない。だが今日は誰々としか遊ばない。その日は他の誰とも会うつもりはない。だが明日は全員に会いたい、など、一度決めた予定に変更を加えることをしたがらないタイプだった。突発的かつ衝動的に行動を起こすことも多々あるため総じてそういう人間であるわけではないが。

 結局祇園祭に訪れているという他の3人にはもう帰っていることにして、私たちはカラオケで各々好きな曲を歌うことにした。

 私は敬愛するブランドのゲームソングや特撮ソングを、誰も知る人がいないとわかっていながらも熱唱した。

 Tは年代の古いダンディーな選曲。Kはアイドルソングを思い思いに歌っていた。フリータイムは翌朝の6時まで。今日はカラオケでオールだ徹夜だと騒いでいた。

 しかし、歌い始めて一時間経ったあたりから、何やらおかしな雰囲気が漂い始めた。

 私がまたしても自分しか知らないであろうゲームソングを歌っていたところ、裏で2人が何か焦った様子でお互いの携帯を見ている。気掛かりだったがそれはそれ、これはこれとして私は歌い続けていた。私の番が終わった後、Kは何事もなかったように歌い始めた。私はそれをヘドバンするなどして盛り上げてTも手拍子をしていた。そして次にTの出番。私も途中で茶々を入れる。Kも盛り上げる。

 そしてまた一周回って私の出番に。またしてもマイナーな曲を選び熱唱していた。

 「どうしよう」

 「やばい」

 なぜ私が歌っているときだけそんな風に慌てているのか。

 気掛かりで仕方がない。

 確かにこの曲はマイナーだ。誰も彼もが知っているわけではない。だがしかし私はこの曲を、私の声を聞いてほしいのだ。カラオケとは知っている曲だけで盛り上がる場所ではないと私は思っている。カラオケとは、それぞれが好きな音楽をお互いに紹介し合う場だと私は認識している。どうして聞いてくれない?そんなに……そんなに私の選曲は痛々しいのか?こんな痛々しいものを敬愛する私を受け入れてくれるのが君たちではなかったのか?

 「何をしてるの?」

 曲が終わり、歌用に高くした声のまま話しかける。するとKが不安そうな表情で携帯の画面を見せてきた。

 「これ見て」

 そこには、祇園祭に来ている先輩たちからの不在着信が何通も。

 私も自分の携帯を取り出して確認してみると、こちらにも着信はかかっていたらしかった。私は基本携帯の通知を切っているのでほとんど気づかなかった。

 「帰ってるって言ったのに……」

 「お酒飲んでるんじゃ?」

 しかし着信は先輩からだけでなく後輩からも来ていた。

 「今どこにいるんですかって……」

 帰っていないとバレている。

 「……あ」

 そういえば、部室を出る際、私たちは残っていた先輩たちに

 「これから祇園祭とラウンドワンに行きます」

と豪語して出て行ったのだ。

 出発が18時で現在の時刻が23時。たった数時間でもう帰宅しているとは考えにくい。まだどこかにいると考察して連絡をしてきているのだ。

 「財布返したいんだけどって」

 先輩たちはどうやら財布を届けようとして連絡をずっとし続けているらしい。

 「どうしようどうしよう」

  Tが慌てているとまた電話がかかってきた。Tは出ようとするとKが制止する。

 「今出たらカラオケいるってバレるじゃん!とにかく出ないで!」

 ……出た方がいいのではないだろうか。先輩は何度も電話をしているわけなのだから。

 「すみません今電話に出れないですって送って」

 「わかった」

 そのまま送るT。まるでラジコンのようだ。

 その後何事もなく歌い始める。K、Tと続き再び私の番。

 次の曲は私が幼少のときに放送されていたヒーロー番組のオープニング……

 「うわあまたかかってきた」

 「とにかく出ないで!」

 「でも出た方がいいって」

 「ここまでかけてくるの先輩がおかしいよ。私が代わりに出るから、カラオケにいるってバレないところで電話しよ」

 2人は、私を残して出て行った。

 部屋には私1人。寂しさで涙が出そうだったが、曲の明るさと相殺して虚無へと至ったので泣きはしなかった。そして私の歌声だけが部屋中に木霊した。

 一曲終わり、1人淋しく立ち尽くしていたところ2人が戻ってきた。

 「どうだった」

 「どこに行ってもカラオケってバレるから電話無理だった」

 結局しなかったのか。

 「これ見て」

 Tの携帯には先輩からの怒りの文面が。

 「財布届けようとして何回も電話したのに出ない上に、今は出れませんって流石に態度悪すぎとちゃうか?後輩2人の時間も無駄にしてんねんけど」

 これは確かに恐ろしい。しかしその怒りももっともである。

 「電話すればいいのでは?財布貰いに行けばいいのでは?」

 「絶対着いてくるから嫌だ……」

 ここまで来たら流石に着いてこないのでは。

 「財布忘れただけなのに……財布あるか確認だけしてもらえればよかったのに……持ってこなくてもよかったのに……」

 「君が財布を忘れたことが元凶では?悪いの普通に君では?」

 「うわあああああ!」

 Tが発狂してしまった。

 私はただラウンドワンの割引券を使いに来ただけなのに、なぜこんな目に?

 そこから数十分、私たちはひたすらに先輩方に送る謝罪の文言を考えていた。とはいえ、必死に考えていたのはTとKの2人だけで私は部屋の隅に体育座り。ぼーっとその様子を見ていた。

 私も必死にどう謝るべきかを考えた方がよかったのだろうか?いやしかし、Tが財布を忘れて先輩方に謝らなければならない件と私には何ら関係がない。だというのになんだというのだ、この雰囲気は。私だけが知らんぷりをして、妙な疎外感がある。

 何も罪は犯していないというのに、罪悪感がある。

 ……先輩からの着信に通知の関係で気づけなかったことには若干罪の意識があるが。

 「終わった。これは完璧な謝罪文だ」

 TとKはどうやら謝罪文を打ち終わったらしい。

 「うおおおお!これで自由だあああ!」

 Tが吠える。

 そんな彼に私は握りしめていたマイクを手渡した。

 「ほら歌え。君の番だろ」

 「うおおおおお!」

 Tは言われた通りに曲を入れ、歌い始めた。これ以上ないほどの熱唱。曲に対する愛以上に、地獄のような状況を脱したことを歓喜するかのような雄たけびだった。

 曲に対して失礼では、と1人思った。

 カラオケとは己と音楽が向かい合う場。音楽と己が対話する場。音楽に呑まれないように、音楽への愛を表現する場であるべきだ。

 私はカラオケとはただ遊ぶ場、気分を高める場として捉えたくはない。音楽に対する一途な愛を示す場の一つと思っていたい。

 たかが財布如きに、私の聖なる儀式は邪魔されてしまったのだ。

 しかれば、財布など最初から探さなければよかったのに。

 

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