四、卵が先か鶏が先か?



 人食い蝶の噂。


 それは、元々は"青白く光る蝶"であること。

 死体を喰らった蝶は、"赤く光る禍々しい蝶"へと変わるとか。

 散った後はひとの形は留めておらず、髪の毛と骨だけが残され、地面に転がっていたらしい。


 その光景を目にした者たちは、口々に囁く。


「それは人を喰らって赤い蝶となり、夜の空へ群れを成して去って行った」と。



******



 茶屋にて。

 げっそりした表情の蒼藍ツァンランとは打って変わって、あんなに不機嫌だった紅藍ホンランは上機嫌になっていた。


櫻花インホアちゃんたちはどうだった?」


 自分たちが得た情報を先に話し、目の前に置かれたお焼きとお茶を両手に紅藍ホンランが訊ねてくる。


「それが······人によって蝶が死体を喰らって飛び去ったと言う方と、魂が蝶になって飛び去ったという、ふたつの見解があるようで。実際に見てみない事にはわからないというのが、私の結論です」


「卵が先か、鶏が先か、ってやつだね」


 死体から蝶が生まれたのか、それとも蝶が死体を作ったのか。つまり、"どちらが先なのかがわからない"ということ。


「しかし、どういう条件でそれが起こるのかまではわかりません。この地特有の言い伝えのようなものもあるようですが、」


 昔話のような抽象的な話で、そこに史実があるかは定かではない。それがなぜ今になって何度も起こるのか、そこが問題だろう。解決するには、その根源を知る必要がありそうだ。


「結局のところ、そういう怪異が起こっているっていう噂はあるけど、そのどれも噂の域を出ていないのよね」


 そもそも皆が口々に「聞いた話では」というのだ。実際に見た者には会えていない。そしてもうひとつ、共通していることがあった。


「その聞いた話の"場所"だけは、同じだったってことくらいかな?」


 肖月シャオユエは茶を啜りながら肩を竦める。

 それ以上の情報は逆に言えばないのだ。


「強運と幸運の持ち主がふたりもいれば、遭遇する確率も高いんじゃない?」


 それくらいふたりの能力は異能で、持って生まれた独特な才能なのだ。


「では、今夜はその噂の墓地で一夜を過ごすことになりそうですね」


「やだこわーい」


 棒読みで、紅藍ホンラン蒼藍ツァンランの袖を掴んでわざとらしく言う。あはは····と櫻花インホアは頬を掻いてそのやり取りを受け流す。


「俺も墓地で一夜は怖いな、」


「ふふ。君でも怖いものがあるんですね、」


 冗談だと解っていたが、頬杖を付いてそんなことをいう肖月シャオユエに微笑みかける。ふたりで情報を集めている時も、こんな風に笑わせてくれた。お陰で、あの恥ずかしい気持ちもいつの間にか消え去ってしまったのだ。


「なんだか、櫻花インホアちゃんたち、新婚さんみたいでいいなぁ」


 紅藍ホンランがぽつりと呟いたその言葉に、櫻花インホアは「ち、違います! 私たちはただの、」とそこまで言って首を傾げる。


「あれ? 私たちって、なんなんでしょう?」


 自分で言っておいて、ものすごく不安そうな顔になった櫻花インホアを見て、くつくつと肖月シャオユエは机に伏して笑いを堪え、肩を震わせていた。


(ただの主と従者って言えばいいのに、本当に可愛らしいひとだな、)


 そして夜の帳が降りた頃、四人は噂の出どころである墓地に足を運んでいた。



******



 燈のひとつもないその禍々しい空気を纏う場所に、ぽつりと火の玉のようなものが浮かんだ。

 紅藍ホンランが手を翳して灯したその火は、四人の顔がはっきりと見えるくらいの明るさに留め、その時を待っていた。


 しん、という静寂もそうだが、春でも夜はひんやりと肌寒い。それはどこかぞくりとする冷ややかさで、墓地特有の重苦しさも感じられた。


 時間だけがどんどん過ぎていく中、その異変は突如起こった。


「······これは、」


 盛り土だけの墓地に、青白い光を湛えた蝶の形をしたモノが一頭、何の前触れもなくそこに現れたのだ。


 紅藍ホンランがその手に灯していた火を消す。途端、その光はより鮮明に闇夜に浮かびがった。


 それは次々に増えていき、気付けばその盛り土を覆い尽くすほどになっていた。


「この蝶は、死体を喰らうために現れたのではなく、残っていた魂が蝶になったと考えるのが正しいようですね」


 蒼藍ツァンランは感心するように頷いた。


 一説では、死んだひとの魂が蝶の姿になるという言い伝えもあるらしい。まさに目の前で起きていることがそれだろう。青白い光は幻想的で、それが魂の欠片だと言われれば理解できなくもない。


 それくらい目の前の光景は美しく、しかしどういう原理なのかはわからない。


 大人しかった蝶たちは、びっしりと盛り土を覆い尽くした後、それぞれが不規則に翅をひらりひらりと揺らし始める。


 しばらくして、青白く発光する蝶たちが一斉に闇夜の空へと舞い上がった。それはまるで星の海のような光の洪水。群れを成して天高く舞い上がった蝶たちを、四人はただ目で追うことしかできない。


「うん、ひとの魂は美しいんだね。あの蝶は確かにそれと同じだ」


 怪異は怪異だが、ひとに害を与えるものではないようだ。どういう因果でそうなっているのかは不明だが、人食い蝶の噂はこれにて解決といっていいだろう。


「死んだひとの魂が美しい蝶になって、闇夜に飛び去って行ったっていう報告でいいのかしら?」


市井しせいの民たちにも、そのように伝えましょう。皆の不安も、これで解消されると良いですね、」


 櫻花インホア紅藍ホンランを見上げて頷く。


「結論を出すのは、早いかもしれません······死体は盛り土の下に埋まってます。それなのに、どうして蝶が去った後に、髪の毛と骨だけが残っていただなんて噂が流れたんでしょうか?」


 蒼藍ツァンランのそのひと言に、安堵したのも束の間、櫻花インホアは曇った表情で首を傾げる。


「そう言われると······確かに気になりますね、」


「そう? 単に噂に尾ひれがついただけじゃない?」


「そういえば、噂では人を喰らうと"赤く光る禍々しい蝶"になるんじゃなかった?」


 もう終わったこと、と気が抜けていた紅藍ホンランはあまり気にならないようだが、肖月シャオユエは顎に手を当てて、なにか思うところがあるようだ。


「さっきの蝶とは別に、本当の人食い蝶がいるか、あるいは······」


 そこまで考えて、肖月シャオユエは眼を細める。

 他の三人も同じように気付いたようだ。辺りの空気が一変する。それは重たく淀んだもので、先程までとは全く違うものだった。



 そんな中、警戒していた櫻花インホアの視界がぐらりと揺らいだのは、本当に瞬きひとつ、まさに一瞬の出来事であった――――――。



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