四、いつも、ありがとうございます。



 櫻花インホアがもう一度あの村に行きたいと言うので、仕方なく肖月シャオユエは頷いた。本当は連れて行きたくなかったが、あのまま骸を放置することを櫻花インホアは望まなかった。


「あの時、できなかったから、」


 と、悲し気に言われてしまったら、誰も駄目だとは言えないだろう。


 昨日降った雪で、骸も、それを染めている赤も覆われていて、それでも飛び散った肉片や血飛沫は隠せない。悲痛に歪んだ顔も、まるでこちらを見て怯えているかのようだ。


 凝固している骸に触れようとしたその時、ふたつの光の玉が、突如目の前に現れた。それは弾け飛ぶように強烈な光を放つと、人の形を成した。


「俺たちが追ってる奴が関わってるかもしれないっていうのは、今回こそはどうやら本当らしいな!」


「うるさい、黙って」


 黒装束を纏った青年と、白装束を纏った少年が、骸を避けるように地面に降り立つ。


 姿を取るなり騒ぎ立てる黒装束の青年に、間髪入れずに白装束の少年が牽制する。青年に対して少年は頭ふたつ分は背が低く、その表情も真逆だ。


「誰? この分身ひとたち」


 地面に膝を付いていた櫻花インホアの腕を引いて、自分の後ろに立たせる。

 

 肖月シャオユエは怪訝そうに、目の前に現れた怪しい分身を見据えた。本当は予想は付いていたが、わざとそんな言い方をしてみせる。


白藍パイラン、お久しぶりです。ついでに黑藍ヘイランも」


 少年にはいつも通りの櫻花インホアだったが、青年に対しては珍しく嫌そうな顔をして頬を膨らませて言う。青年もむっと不機嫌になって、腰に手を当ててふんと鼻を鳴らした。


「なんであんたがここに? 悲惨な姿の骸を眺める趣味でもあるのかよ」


黑藍ヘイラン、黙れって言ったよね?」


「なんでお前に指図されないといけないんだ? 俺がお前になにかしたか? 別になんにもしてないだろう? その前に突っ込むところがあるだろうがっ」


 黑藍ヘイランは、櫻花インホアを隠すように立つ肖月シャオユエを指差して、言い放つ。


「こいつ、化身だぞ。なんで精霊が地仙と一緒にいるんだよ」


「あんたには関係のないことだよ、」


「こいつ、今、俺の事あんた・・・って言ったか!? この俺を誰だと思って、」


「品行が最低最悪の、黒竜様だろ?」


「どうやら死にたいようだな、」


 ふたりが睨み合う中、櫻花インホアは音もなく横にやって来た白藍パイランに、袖をくいと引かれる。その小さな子供のような仕草に、櫻花インホアは花が咲いたように明るい表情を浮かべた。


 無表情だが、秀麗で美しい少年を見下ろし、思わず同じ目線まで腰を屈める。肩までの綺麗に切り揃えられた白髪と、瑪瑙色の瞳が特徴的な白藍パイランは、四竜のひとり、白竜である。


櫻花インホア、君がここにいると聞いて、飛んで来た。こんな所にいて平気?」


「はい。昨日は不甲斐なくも倒れてしまったんですが、もう、大丈夫です。肖月シャオユエのお陰で、気持ちが楽になりました」


 白藍パイランの眉が一瞬ぴくっと動いたが、櫻花インホアが気付くことはない。後ろでは肖月シャオユエが、あの時のことを嫌みを込めて蒸し返していた。それに対して黑藍ヘイランはいつもの如く、俺は悪くないと言い切っている。


「あの化身、まだ君に付きまとってるの? 君、僕たちにはひとりが好きとか言っておいて、結局そこの化身に絆されちゃったの?」


 抑揚のない声だが、畳みかけるように問いかけてくる。ええっと、と櫻花インホアは言いにくそうに苦笑を浮かべた。


「それは······色々と、その、ありましてですね、ええっと、」


「色々ってなに?」


 普段無口なのに、どうして今日に限って······と櫻花インホアは返答に困る。まさか、唇を奪われたばかりか、身も心も奪われてしまったとは言えない。


「契約をしまして······私が天仙になる手助けをしてくれるそうです」


「別に、君は手助けなんてなくても、天仙にくらい簡単になれるでしょ?」


 数年前に紅藍ホンラン蒼藍ツァンランに言われたことを、同じように言われ、櫻花インホアは言葉に詰まる。


「······あまりそこは触れないでください」


 本当に困った顔をして、謝って来る櫻花インホアに、はあと嘆息して白藍パイランが肩を竦める。


(ホントは、紅藍ホンランがペラペラと訊いてないことも勝手に喋ってくれたから、全部、知ってるんだけど)


 こっちこそごめんね、と白藍パイランは白装束の袖に右手を入れ、何かを取り出す素振りをした。


 屈んでいた櫻花インホアは、気付けば跪くように雪の上に座り込み、すみません、ごめんなさい、と何度も頭を下げていた。


 その頭が止まった時、白藍パイラン櫻花インホアの結い上げている髪の毛の、その左側になにかを押し込んだ。


「あげる」


 目を細めて、白藍パイランは見下ろすように短く、わざと素っ気ない感じで言い放つ。


 櫻花インホアの髪の毛に飾られたのは、黄色い花びらを付けた蝋梅ろうばいであった。

 真冬に花開く、梅に似たその黄色い花は、櫻花インホアの髪に飾られてもなお、仄かに甘い香りが漂う。


「いつも、ありがとうございます」


 そのやりとりに、肖月シャオユエばかりでなく、黑藍ヘイランまでもがすごい顔でこちらを見てきた。


「はあ? お前、いつもそんなことやってんの!? いや、お前らのそいつに対する過剰な庇護欲は、一体何なんだっ!」


「は? 君のせいで櫻花インホアは、なりたくもない天仙にならなきゃいけなくなったんだろう? 行きたくもない天界に行かされる、彼の身にもなりなよ。ホント、馬鹿なの?さっさと土下座して呪い解きなよ」


「それは、こいつがすることで、俺がすることじゃない! それに謝れば赦すって言ってやってんのに、いつまでも意地を張ってるこいつが馬鹿なんだっ」


 途端、櫻花インホア以外のふたりが、揃って黑藍ヘイランを憐れな眼で見据える。


 前に、櫻花インホアが言っていたこと。

 今の黑藍ヘイランは、ある意味、流転したて(といっても百年以上は経っている)の黒竜で、過去の記憶も無くなっているらしい。


 しかも、誰もそれを教えていないので、本人はまったく気付いていないらしい。つまり、その前の自分が他の四竜と同じく、櫻花を庇護していた過去さえ憶えていないのだ。


(なんだか面倒なひとだな····一回死んで流転する前、自分も同じことしてたってこと、誰か教えてあげなよ、俺は嫌だけど)


(······それ、櫻花インホアから聞いたの? でも言ったら彼、舌噛んで死ぬかもね。なんだかんだで黑藍ヘイランが一番、櫻花インホアのこと大事にしてたんだから、)


 こそこそと肖月シャオユエ白藍パイランが囁き合う。


 ふたりの可哀想なものでも見るような表情に、黑藍ヘイランはまるで自分が間違っているかのような気持ちになるが、その手にはのらない!


「あ、あのぉ······? ふたりとも、そのくらいに、」


 当の本人はまったく気にしておらず、へらへらと笑って間に入って来る。


 そんな櫻花インホアの前に肖月シャオユエは立ち塞がり、悪戯っぽい表情を浮かべたと思えば、口元に人差し指を立てて「しー」と音を立てる。


「喚いてる暇があるなら、さっさとこの惨劇を起こした犯人でも捕まえてきなよ」


「言われなくてもそのつもりだ!」


黑藍ヘイラン、うるさい」


 三人はそれぞれお互いに牽制しながら、最後にはふんと同時に顔を背ける。


 櫻花インホアはやれやれと頬を掻き、はあと大きくため息を吐き出すのだった。



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