三、君だけに、あげる。 ※注
乱れた衣を直しながら、鎖骨辺りに咲いた赤い印にそっと触れ、ゆっくりと隠す。誰にも見せたくない。自分だけが知る、印。
何度も交わした口付けを思い出し、
(俺は、卑怯だ。あなたの優しさに甘えて、自分の欲を満たした)
両腕でぎゅっと抱きしめる。
「俺はあなたが好きだよ? あなたも同じ気持ちだって、今だけは思い上がってもいい?」
抱きしめたまま耳元で囁く。
桜を好きと言った時の
「······
少し苦しそうに言葉を紡いでいた
身体の両脇にだらんと垂れていた腕が、ゆっくりと
こんな風に誰かに縋ることを、怖いと思っていた。手を差し伸べることはあっても、自ら手を伸ばすことをしてこなかった
「君は、そうやって······私の初めてを、奪っていくんですね、」
言って、
まだ寝ぼけているのか、掠れた声が妙に艶っぽかった。その言葉だけで、自分の胸がばくばくと高鳴っているのが解かる。
「夢の中で、蹲っていた私を助けてくれたのは、君、だったんですね、」
起きた時は曖昧だったが、こうなる前に見たあの暗く悍ましい夢を、美しく愛おしい花びらが舞う夢に塗り替えてくれた、ひと。
頭を撫でてくれたのは、目の前の白髪の青年だったのだと、確信する。
お互い抱きしめ合ったまま、余韻に浸る。
珍しく、
夢を覗かれたこと、過去の出来事を知られたこと。話したくなったら、なんて言っておいて。
「君が桜を好きだと言ってくれたこと。私を、好きだと言ってくれたことも。本当はすごく、嬉しかったんですよ?」
あの日、目の前に現れた不思議な雰囲気を纏った白髪の青年。突然、好きと言われ、奪われた唇。恐怖というよりは困惑。悲しみよりも、疑問。
どうして自分のような者にそんな言葉を向けてくれるのか、正直、理解できなかった。
「不思議ですね。いつの間にか、私は君のことばか······り、」
言いかけて、
『いつの間にか、君のことばかり考えている』
寝ぼけていた頭が、急にすぅっと晴れた。虚ろだった瞼が開かれ、驚き、握りしめていた衣から指を離す。しかし、
(この気持ちの、想いの答えは、いつも君が言ってくれる言葉と同じなのだと、今ならわかるような気がします)
まるで夢の中で話していたような感覚だった。それが自分の口から出ていたのであれば、それは、間違いなく。
「······放して、くれませんか?」
「あなたが、嬉しいことを言ってくれたせいで、顔を見せられない」
しばらくして落ち着いたのか、ぴったりとくっついていた身体が離れていく。
その喪失感を埋めるように、
「あなたが望むなら、何度でも言うよ?」
「え········、」
顔を上げて、
「俺は、あなたが好きだよ」
それは、まるで光のように。
朝露に光る葉のように。
その青銀色の瞳から、目を離せなくなる。
「あなたの気持ちは?」
その問いの答えを、
「私、は、」
その少し後、その唇から零れるようにぽつりと落ちたその言葉に、
外は雪で冷たい空気が漂っているというのに、ふたりの周りだけは、まるで春の陽だまりのようにあたたかかった。
この気持ちは、言葉にすれば脆く、けれども大切な、モノ。
そのかけがえのない感情は、初めての、モノ。
この想いは、言葉は。
君だけに、あげる。
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