動きたい公女様

 その日は私が前世の記憶を思い出した翌日だった。


 


 ――テリア・マイティ・オステノヴァ、八歳


 


〝本当に呪わしい女だ。まるですべてを台無しにするために生まれたようだ〟


〝君がいない世界で生まれなかったのがボクの人生唯一の汚点だ〟


 朝から思い出したのは、『バルセイ』の攻略対象者たちが私に浴びせた悪口だった。


 まぁ、そのゲームの私はあんなこと言われても仕方がない悪人ではあったけど。


「終わりました、お嬢様」


 メイドの言葉に頷いて答え、鏡に映った自分の姿を見る。


 長くて綺麗な銀色のストレートロングヘアとサファイアのような瞳、そして鋭い目つき。そしてメイドたちが心血を注いで飾ってくれた身なりと顔。


 服自体は外部に誇示する為の派手なドレスではなく、楽で簡素な服だ。でもそんな服さえも輝いて見えるほど、私の容姿は美しかった。


 ……というのはゲームでの描写だけど。あれが私を描写する言葉だと思うと訳もなく恥ずかしい。


 でも私に対するメイドたちの態度には緊張が感じられた。単純に美少女に対する緊張感とは全然違う。


「ふん」


 小さく不満を示し、部屋を出た。


 けっこう綺麗で豪華な廊下。大きさもかなり大きい。そして窓の外に見える庭はそれ以上に大きくて広かった。


 それもそうはず。そもそもオステノヴァ家は平凡な庶民のようなものではないから。


「……つまらない」


 ぽつんと漏れ出た言葉。


 とても小さな呟きに過ぎないけれど、メイドたちの間にさらに緊張が広がっていくのが感じられた。


 その瞬間、私は笑顔で庭に通じる窓を直接開けた。


「あっ……!」


「お嬢様、どうしたのですか!?」


 突然の行動にメイドたちは驚いたけれど、ただ言葉で私を心配するだけで、近づいてきて積極的に止めようとする気配はなかった。


 まぁ、むやみにそうするわけにもいかないだろう。


 私のラストネームであるオステノヴァはこの国、バルメリア王国貴族の頂点にある四つの公爵家、すなわち四大公爵家の一角だ。そのオステノヴァの直系の長女である私に気兼ねなく接することができる使用人なんて少ないからね。


 しかし、私は以前からそれが不満だった。


「さようなら!」


 短くその言葉だけを残して、私は窓枠に足を乗せた。そして、びっくりしたメイドたちが止める前に体を飛ばした。


「お嬢様!!」


 驚いたメイドたちの悲鳴を後にして、ほんの一瞬の風を楽しんだ。


 私が飛び降りたのは三階。地面に着くまではそれこそ一瞬だけど、その短い瞬間に私は近くの木の枝をつかんで回転した。そしてその木の枝の上に着地するやいなや、ふらりと跳躍して庭の真ん中にある他の木の上に着地した。


 前世の病弱だった私なら絶対不可能だった妙技……というか、そもそも前世の常識通りなら八の少女にできることではない。でも今の私には当たり前にできることだけだった。


「お嬢様、危ないです!」


「誰かトリア様に……」


 ったく、訳もなく大騒ぎするね。


 邸宅から慌てて飛び出した使用人や庭にいた使用人たちが私の周りに集まってきた。そのうちの数人は、私が落ちたら下から受け取ろうとするかのように木の下の方に来たりもした。


 でも私は服が汚れることも気にせず、木の枝の上に器用に横たわった。


 まるで街の男の子たちがやりそうな行動に使用人たちが驚いた。でも私はその反応がもっと楽しかった。


「お嬢様!」


「うるさいわね。不満があれば上がってきて直接引きずり下ろしたらどう?」


 品位なく舌を出しながら言い放ったら、使用人たちが困っている様子が感じられた。ふん、意気地がないよね。


 ……まぁ、実は無理難題を押し付けている自覚はある。仕える家の令嬢を無理やり引きずり下ろすことができる使用人だなんて、常識的にはありえないからね。


 頭では分かるけど、どうにも不満なのは仕方がない。昔から私は固い関係があまり好きではなかったから。それもそうだろう、正直もどかしい限りだもの。


 その理由は少し前までは分からなかったけど、前世の記憶を思い出した今なら分かる気がする。おそらく前世の記憶や感情が無意識に影響を及ぼしたのだろう。


 ありきたりじゃない? 病室にだけ閉じこもって暮らして死んで、せいぜい健康な体で生まれ変わったのに、周りの人たちはみんな私と距離を置くからね。


 両親は優しくて良い御方たちだけど、偉い御方とはずいぶん忙しいものだ。私と遊んでくれる時間なんてないし、あるとしても平民のように気兼ねなく遊んでくれるような関係にはならないだろう。


 そんなことを考えていると、突然私に話しかけてくる声があった。


「お嬢様、またですか?」


 びくっと驚いて立ち上がった。そのせいで木の枝が揺れ、下から悲鳴が上がった。


 でも声をかけてきた人はただ他の木の枝の上に仁王立ちになって、私をじっと見下ろすだけだった。


 長くて煌めく金髪をサイドアップテールで結び、綺麗に輝く両目はルビーのように赤い。クラシックなメイド服に包まれていても分かるほど体つきも良く、まるで絵で描いたような美人だ。


 メイド服を着てはいるけれど、実はそれは個人的な好み。実際には女性使用人の最高職であるハウスキーパーを務める才女、トリア・ルベンティスだ。


 もちろんハウスキーパーも普通は仕えている主人に対抗できないけれど、トリアだけは少し違う。


「降りましょう」


「嫌だ。貴方こそ降りなさい。命令よ」


「私はお嬢様が自ら危険な仕事をされる時に限り、お嬢様の命令を無視できる権限をご主人様に直接いただきました。よくご存知だと思いますが」


 もちろんよく知ってるよ。そのせいでたくさんひどい目にあったのだから。


 でも、だからといって素直に従ってくれる私じゃないわよ!


「じゃ、捕まえてみて!」


 私は舌を出してすぐに別の木に跳躍した。


 しかし――


「もう一度申し上げます」


 私が移動した木には、すでに私より先に到着したトリアが平然と立っていた。


「!?」


「降りましょう。危ないです」


 トリアは両手を合わせてじっと立っていたけれど、その体からは尋常でない気運がムクムクと立ち上った。あらゆる現象を起こして世界を改変できる力、魔力だ。


 私の前世の世界では空想に過ぎなかったこの力が、この世界には実在する。身体強化や念動力なども可能で、本物の魔法のような神秘的なこともそれなりには可能だ。私が八の子供なら不可能な身体能力で木の上を走り回るのもその魔力のおかげだ。


 しかし、魔力でトリアに立ち向かうことは不可能だ。


 その理由は……。


「ふん! 捕まえてみてって言ったじゃない!」


 もう一度跳躍して、他の木へ。


 しかし私がその木の枝に着地しようとした瞬間、魔力を結集して物理力を発揮する弾丸、すなわち魔弾が飛んできて枝をポキッと折った。


「きゃ……!?」


「無礼をお許しください」


 落ちる瞬間、またあっという間に近づいてきたトリアが私をそっと抱きしめた。結局私はトリアにお姫様抱っこのまま地面に降りさせられた。


 トリアが私を地面に降ろしてくれるとすぐに、私は頬を膨らませながら「ふん」と顔を背けた。


「今日いつもよりひどいですね。何かございましたか?」


 トリアは淡々と尋ねたけど、私は頑固に口をつぐんだ。


 いつもあったことだからかしら、トリアはため息をつくだけで、それ以上問い詰めなかった。


「少なくともいい加減にしてください。使用人たちが心配しますから」


 実際、使用人たちは私を心配そうな目で眺めていた。


 ……いや、それだけではないだろう。


 ともすれば突発行動をして皆を困らせる公女。それが私のイメージだということくらいは私も知っている。


 前世の記憶を思い出す前から、このように勝手に走り回ったりいたずらをしたりしたことは多い。気分が良くない時は使用人たちに悪いことをしたり、私を止めようとする使用人を逆に苦しめたこともあった。


 両親も私のこのような面をある程度知ってはいるけれど、一線を激しく越えたわけでもないので制裁するのも曖昧だった。


 ……前世の記憶を取り戻した今思えば、ギリギリ怒られないほどに調節するその芸に感心するところだね。


「……んね」


「はい?」


 首を背けたまま呟いた。でも小さすぎの言葉だったせいか、他の使用人どころか、すぐ隣にいるトリアさえもまともに聞いていないようだった。


 恥ずかしく二度言わせないで――と言いたいけど、トリアならきっと「そもそも恥ずかしいことをしなければいいんです」と言うだろう。


「……ごめんね、みんな。心配させて」


 使用人たちの目が丸くなった。隣にいたトリアも少し驚いたように目が震えた。


 その姿が余計に腹立たせた。


「何よ。不満あるの?」


「……いいえ、ただちょっと驚いただけです」


 トリアの言葉に使用人たちがこっそり頷くのが見えた。……こいつらムカつく。


 しかし、前世の記憶が勝手に私の口を動かした。


「私が悪かったことだから。そのくらいは私も知っているよ」


「……」


 そこ。顔に「間違っていると知りながらそうしたんですか」と書かないで。表情から全部見えるよ。


 使用人は誰もが困惑している様子だった。多分私がこんなことで謝ること自体が初めてだからだろう。


 というか、急なことに喜ぶというよりは、やってないことをすると何か違う胸中がいるんじゃないかと疑っている感じだね。


「もういいわよ。みんな邪魔してごめんね。仕事に戻って」


 最後にその言葉を残して邸宅の方に向いた。もともと私についてきたメイドたちとトリアだけが私の後を追ってきた。


「急にどうしたんですか?」


「そんな日もあるのよ」


「さぁ、あるんでしょうか?」


 その言葉に苦笑いをしてしまった。


 どうにも私を信じられないようだね。信じられない子だということは認めるけれど。


 一方、トリアは深く掘り下げることなく話題を転じた。


「お嬢様、今日の予定はご存知ですか?」


「うん? うーん……歴史の授業だったっけ?」


「私の授業です。……いつも私の授業の日にだけわざと覚えてないふりをするのは、やっぱり故意ですよね?」


「あはは、ごめんね」


 でも反応が面白いんだもん。


 授業という言葉が示すように、トリアは私の家庭教師の一人でもある。本来貴族の子供たちの家庭教師はそれだけの素養と身分を備えた人々が引き受けるものだけど、トリアはハウスキーパーでありながら家庭教師を兼ねるという特異なケースだ。


 もちろん、それだけの能力を父上に認められた結果だけど。


 とにかく、そのおかげで彼女は私に対する態度が他の使用人とは少し違った。


 当然だけど、使用人の気まずい態度が嫌な私にとっては、トリアのそのような態度が本当にありがたかった。


 ……まぁ、本人にこんな話を直接したことはないけどね。


「ふふっ」


「お嬢様?」


「何でもないわ」


 妙に気分がよくなったせいか、足取りが軽い。


 そのように一人で浮かれていたけど、邸宅の正門近くに行った時、突然大きな声が響いた。


「呆れたな! オステノヴァは使用人にどんな教育をしてるんだ!?」


 ……あの声は、まさか。


 その瞬間、ゲームの場面が思い浮かんだ。


―――――


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