新生・日本

 2025年、日本が親中議員・企業の思惑通り大阪万博で沸くであろう時期に小さな小競り合いから台湾有事が勃発する。台湾海峡で睨み合う中酷と米国。以前にも旧式の米軍輸送機に中酷戦闘機が挑発するように6m迄の急接近を行った事があった。奢りの表れだ。この際も悪いのは急に進路を変えた米軍だと言い張ったが、その模様はビデオに撮られており、「嘘」であることは明らかだった。今回は、それが衝突を招いてしまった。これを米軍は先制攻撃されたと解釈し、台湾海峡にいた軍事船を撃破。

 次期も実権を握りたい秀欣平は経済的にも追い込まれ、戦争突入を余儀なくされた。台湾総統選も思惑通りに進まないでいた。米国では現・バイト政権への批判が高まり、次期大統領にカードが有力視される状況下だ。半導体が入手できない中酷は是が非でも台湾を傘下に置きたい。しかし、インドも隙あればと中酷の弱体化を望んでいる。そんな中で台湾に一転集中できない。人民解放軍だけでは勝てない。部品の調達にも事欠く。空母は図体は大きいが役に立たない。発着時に空母にぶつかり自滅するのも笑い話ではない状態だった。

 しかし、台湾を直接攻撃すると西側諸国をも巻き込む可能性が大きい。でも、面子がある。そこで秀欣平は日本への圧力を高め尖閣諸島の魚釣島を包囲して見せた。これに弱腰の日本はいつもの遺憾砲を放つのみだった。台湾海域で起きた勃発は中酷・米国の思惑もあり、外交的恫喝合戦に色合いが転じていた。沖縄の汚醜異知事は、日本が沖縄を攻撃させていると大騒ぎして悪いのは日本だと地元新聞社と共に県民の日本批判を煽った。

 日本のマスゴミもその流れに乗り、日本が戦争に巻き込まれると国民を煽った。大阪万博会場では戦争反対の中酷人、その支援者のデモが活発に行われた。大阪知事も日本一審党も声を上げた。冷酷新選組や元大阪府知事のタレントも参画し、あんな小さな島なんてくれてやれ、それで戦争が回避出るなら、と騒いだ。

 ここぞとばかりに総理の目を失った意志破解議員は、与党批判を真っ赤な顔でテレビで訴えた。親中地方知事もその流れに参画した。日本は親中と反中に二分された。隣国缶酷も日本バッシングに勢力を注いでいた。ただ、その訴えは慰安婦だ、徴用工の賠償だと的外れな抗議だった。この様子を「何やってんだ」と米国は冷たい視線を向けていた。

 日本は戦争回避の道筋を模索していた。親中派の経済連や親中議員はマスゴミとタッグを組み、「尖閣何てくれてやれ」と声を上げた。コメンテーターもウクライナみたいに日本をしてはならないと国民の意志の誘導に躍起になっていた。ネットでは台湾海域が中酷に支配されれば海路が中酷に握られ、従わなければ物価の高騰を招くと訴えるも、だから、中酷の傘下に入るべきだと反論され追い詰められる。

 日本の不穏な動きは米国の危機感を煽った。弱腰で強酸党に毒された議員や活動家を名指しで批判した。日米安保を盾に米国は緊急処置としてスパイ防止法を発動し、日本にいるスパイ容疑のある者を日本政府の一部の許可を得て捕獲し始めた。中酷は国際法違反だと米国を批判し、米国によるスパイ捕獲を人民軍を投入して妨害に出た。いつの間にか中酷と米国の争いは日本国土で行われようになっていた。米国は痺れを切らし、同盟国を攻撃したと中酷を批判し、撤退しなければ強酸党を崩壊させると宣言。これには秀欣平も黙っていられないと一枚岩でなかった強酸党を米国から守ると宣言し、結束を固めるために尽力した。再び強酸党の揺るぎないトップに君臨するための宣言であったが、米国はそれを反逆行為と捉え、海軍と空軍による長距離攻撃が北京に行われた。

 「まさか」の秀欣平の思惑と異なり、北京は戦場と化した。中酷は米国本土を攻撃できない。米軍はすでに調査を終えている長距離ミサイル基地を容赦なく攻撃した。実際の戦争経験のない中酷国民に動揺が広がった。当初は強酸党は何をしていると不満を上げていたが勝ち目がないと悟ると強酸党は中酷にいらない、との抗議デモが国内に広がりを見せた。米国はそれを見て中酷人の資産差し押さえを米国内で発令。日本にも「守ってやるから、この際、膿を出し切れ」と呼びかけ強引に中酷人の資産を没収させた。日本に資産を持つ中酷の富裕層は、日本批判ではなく強酸党批判として広がった。

 人民軍には根気と言うものがない。戦況が不利と感じ始めてから戦場逃避が日常化し、士気は一機に低下した。現場は強酸党の鎖から逃れた。秀欣平は亡命先を模索した。しかし、受け入れ国は足元を見た多額の金銭を要求。仕方なく米国に助けを求めた。米国はそれを受け入れた。情報提供と生涯拘束を引き換えに。

 強酸党の崩壊。人民は解放され民主主義に移行し、民主国によって統治され、10年間を掛けて国の立て直しを手に入れた。現在の住居は個人所有となり手続きが急遽行われた。強酸党員の内外の資産は没収。その金は高齢者や農村部の改革に当てられた。領有権は以前に戻され、国際法に違反した支配は復権のない全面撤廃など傲慢な行為を償わせた。日本からは反日教育の禁止や中酷人や企業の資産没収。国を司る議員は人民による投票で決める。強酸党員の立候補は禁止。賄賂などの癒着には厳しい罰則が儲けられた。大手不動産会社は解体され、その補填・再生に没収資産が用いられ、足りない分は国の借金とされた…などなど民主化に向かって改革が進んだ。

 各国に散らばった人民滞在者には一時帰国が義務付けされ、厳しい審査の後、入国が許された。親中議員や民間人は米国主導で捕獲され北海道のど真ん中に作られた簡易収容所で再教育を受ける事になった。施設には塀などはない。逃亡は自由だ。しかし、人里までは何百kmもあり、生死の保証はなかった。日本はこの機に乗じて反日教育を行う国との関税を10%とした。また支店や支社を設ける企業体にも同じように付加した。

 日本では地方も含め大量の議員が失職し、厳正な選挙が行われ反日勢力は壊滅に追い込まれた。

 何とも住みやすい日本になったのだろうか、これでいいのだ。

 

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Crazy Red 龍玄 @amuro117ryugen

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