第二十七話 楽々と沙羅と児童館

「ふあああ……ねむ……」


 カチャカチャと音が聞こえる。

 瞼を擦って目を細めると、誰かが朝ご飯を並べていた。

 天使のような顔に、黒い長髪。


「あれ……?」

「おはようございます。律くん、お邪魔してます」

「おはよ、ら……あれ!? 沙羅!?」

「はい、そうですよ」


 そこに立っていたのは、エプロン姿の沙羅だった。

 次の瞬間、奥の扉が開く。

 現れたのは、お風呂上りの楽々。


「ふう、気持ち良かった。おはよう! 律、シャワー借りたよー?」

「あ、え? あ、それはいいけど、どうして沙羅がここに?」

「予定変更になりました。それで私も行きたいのですが、大丈夫でしょうか?」

「もちろんだよ。ちょっと驚いて」


 良かったです、と笑う沙羅。

 楽々は椅子に座り、朝食に目を輝かせた。


「おいしそーっ! 律、顔洗ってきなよー! 早く、食べよう?」


 まるで二人と同棲しているかのようだ。

 生活を共にしたら、こんな晴れやかな気持ちで目を覚ませるのかと、嬉しくなる。


 歯を磨き、顔を洗って戻ると、沙羅が温かいお茶を入れてくれた。


「律くん、さあ食べましょうか」

「ああ、ありがとう」


 三人で手を合わせる。


「「「いただきまーす!」」」


 ◇


「それではどうぞこちらへ」


 館長のおじさんに誘導され、俺たち三人は中へ入っていく。


 支度を終え家を出た俺たちは、電車を乗り継いで児童館なる施設までやって来た。

 そこまで大きくない建物だが、入口付近にはいっぱいの花壇があり、奥には緑豊かな庭が広がっていた。


 館内では、木のぬくもりが漂う床や壁が目に入る。カラフルなオモチャや絵本が本棚に並べられており、奥から子供たちの元気な声が聞こえてきた。


 今日はこどもの日、身寄りのいない子供や親が忙しい子供たちが集まり、イベントを行う。

 そのボランティアとして鯉のぼりを大量に作ってきたのだ。


「えへへ、可愛いねえ」


 楽々が、元気に遊ぶ子供たちを見て微笑ましく呟いた。その顔は孫娘を見ているようだ。

 沙羅は注意事項であったり、館内についておじさんに訊ねている。

 非常口や、最寄りの警察署、病院、何があっても行動できるようにしているらしい。

 流石は沙羅だ。


 しかしイベントといっても、鯉のぼりを外の棒に吊るしたり、遊んだりする程度で、何か大きなことをするわけではない。


 楽々と沙羅は、昔、施設にいた期間があるとのことだった。

 だからこそ、些細なことでも力になりたいそうだ。


 二人曰く、どんな小さなイベントでも、子供にとっては一生忘れられない思い出として残る。

 凄い重要なことなんだよ、と楽々と沙羅が笑顔で語っていた。


「ねえねえ、お姉ちゃんも混ぜてくれるー?」


 楽々がさっそく子供たちの輪に入っていく。

 いいよー! と笑顔で迎え入れられ、キャッキャッしながら楽々はすっかり溶け込む。


 こういうフットワークの軽いところが、楽々の良いところだろう。


 まだ時間が早いので、人が来るまでは自由にしておいてほしいと言われた。


「あら、もう楽々がどこにいるのかわかりませんね」


 沙羅が説明を聞き終えて戻ってくると、すぐ楽々と子供たちに気づいた。


「多分だけど、自分が一番楽しんでるね」

「ふふふ、間違いないと思います」


「ねーねー」


 すると、一人の少女が、沙羅の手を引っ張っていた。

 沙羅はしゃがみ込み、女神のように微笑む。


「どうしたのかな?」

「あそぼー? 風船つくろー!」


 少女が指を差した先には、いくつもの風船が浮いていた。

 なるほど、準備をしているのか。


「おおっ! お姉ちゃんも手伝っていいの?」

「うん! いいよお!」

「えへへ、たのしみー」


 子供目線に合わせて口調を変える沙羅が、凄く新鮮だった。

 気づけば二人がすっかり馴染んでいる。


 ほんと……優しい二人だな。


「ねーお兄ちゃんもあそぼー?」


 ぐいぐい、少年に袖を引っ張られる。

 その手には、人形を持っていた。


「よおし、遊ぶぞー?」

「やったー!」


 どうやら、俺も子供になれるようだ。


 ◇


「それでは、皆様ご注目くださーい!」


 外庭に、大勢の子供たちと職員が集まっている。

 大きな長い棒に、糸が吊されており、俺たちの作った鯉のぼりが並んでいる。


 職員が力いっぱい引っ張り上げると、鯉は生きているかのように自由自在に動き、命を吹き込まれたかのように動きだす。


 子供たち、そして俺たち三人も感嘆の声を漏らした。


「凄いですね、二人ともお疲れさまです。とっても綺麗」

「頑張ったかいがあったねー、お、律のお目目の部分もぱっちりだにゃー」

「ああ、ここまで喜んでもらえると嬉しいな」


 最後に掛けられた大きな鯉のぼりが風に舞い上がり、空高く舞っていく瞬間、誰かが拍手をした。

 それは大きなうねりとなり、職員が、俺たちに手を向けた。


「鯉のぼりを作ってくれた彼らに大きな拍手を!」


 照れくさくて頭を下げることしかできなかったが、とても誇らしかった。

 楽々は笑顔で手を振り、沙羅も両手いっぱい子供たちに手を振っている。


 ここへ来て良かった。本当にそう思った。



「さあて、帰ろっか? なんだか、子供たちより、私たちが元気をもらえたね」

「そうですね、今日は微笑みすぎて、頬が少し筋肉痛になりそうですよ」


 ちょっとした冗談を交えつつ、職員たちからもお礼を言われながら帰ろうとした。

 しかし、楽々を遊びに誘った女の子が、ゆっくりと歩いてくる。


「ねーねー」

「どうしたの?」

「きいていいー?」

「いいよお?」


 すると女の子は、俺に顔を向けた。


「あら、律に聞きたいことがあったんだね」


 何だろう? 首を少し傾げていると、女の子が言う。


「三人は仲良しなのー?」

「ああ、仲良しだよ」

「ふーん、お兄ちゃんのかのじょってどっちー?」

「え、か、彼女!?」


 まさかの質問に、思わずたじろいだ。楽々と沙羅に助けを求めるが、笑っているだけで何もしてくれない。

 くう、どうしたらいいんだ。


「た、大切なお友達なんだ」

「そうなの? でも、お姉ちゃんたちは、お兄ちゃんが大好きって言ってたよ―」

「え、ええ!?」


 いつのまにそんなことを……なるほど、だから二人は笑っているのか。

 純粋な少女を悲しませるのは心苦しい……。

 恥ずかしいけど、本音を――言おう。


「ええとね、実は……二人とも大好きなんだ」

「えー! やっぱりー! きゃっきゃっ!」


 厳密に言うと質問には答えてないのだが、どうやら答えに満足したらしく、女の子は去って行く。

 とにかく恥ずかしい……。

 

 急いで帰ろうとしたら、右腕に楽々、左腕に沙羅がぎゅっと掴んできた。


「え、え、どうしたの!?」

「ほら、まだあの子が見てるよ? 私たちのこと大好きなんでしょー」

「ふふふ、そうですね。女の子が見えなくなるまではこうしないとだめです」

「沙羅まで……」


 そうして俺たちは、児童館の外まで、なんだったら駅まで三人一緒で帰ったのだった。


 

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