後編

 ――俺は生まれた時から、この目が見えないのです。


 一度だけ。

 たった一度だけ、彼は自分の過去について語ったことがある。


 当然、子供相手に壮絶な語り口調というわけではなかったが楽しげな話ではないことは程度にわかっていた。それを、年齢を重ねる毎に視覚障害というだけで家族から入院を強要されているのはおかしいということも。


 所謂、彼は厄介払いされた。


 御堂家は由緒正しき優秀な医者の家系。人の命を救う者として、はたまた悪質な嫌がらせなのかはオレの知るところではないが……この事実を得た時にあらゆることを納得してしまった。


 たとえ努力して認めて貰えなくても勉学に励んでいたこと。


 患者を診る立場で不本意ながらも盲目なのは確実に欠点、酷い言い方をすれば使い物にならない。


 そして燃え盛る闘志の奥底でどこか諦めてしまっているような、それに気付いたのはいつだっただろうか。


「っと、話が逸れてしまいましたね。あ、そういえば先程、扉から入ってくる際に先生と呼んでいたような気がしたのですが」


「えっ」


 儚げな表情から一転。心なしか悪戯な笑顔に見えるのはオレが昔の、大人なのに道新を持っている彼を知っているからだろうか。


「実は俺、前にも『先生』と親しくしていた小学生の子から呼ばれていたことがありまして。一回りほど離れていましたので、なんというか可愛い弟みたいで。ああ、教え子とかではないんですけどね?」


「そ……う、ですか」


 まさか、と脳裏に過る。

 痛い目に遭遇したばかりなのに、阿呆みたいに希望を抱いてしまう。して、御堂さんの口角がほんの少しだけ上がった。


「ふふふ、すみません。少々悪い冗談が過ぎましたね」


 あまりにもお変わりなく、純粋な反応をするので。


 そう付け加えて彼は続ける。綺麗な顔立ちのまま上品な笑みを停止させて。


「大きく……いえ、姿はあの頃から見えませんが。声や口調が大人へと成長しても君は甘

えん坊さんですね。――お久しぶりです、巽君」


「っ! せん、せ……オレのこと、覚えてるの?」

「勿論ですよ。自分から約束を持ち掛けておきながら、忘れてしまうほど三十路の俺でも記憶は劣ってはいませんよ……って、うわぁ!」


 抱きつく。それも感情的に、何かに吹っ切れたように。温かい、先生の体温。あの頃と何ら変わらない姿は確かにあって心が熱くなった。


「よかったぁ、本当によかっ……オレ、マジで先生に忘れられているかと思ってめっちゃ

取り乱して……すげぇ格好悪いところを見せたけど」


「あはは、すみません。貴重な巽君を知れてお得……いえ、俺としても本当に迎えに来て

くれるとは夢にも思っていなくて。ちょっとした悪戯心が芽生えてしまいました」


 先生の優しい顔、先生の落ち着いた声音。そして安らぎを自然と与えてくれる良い匂い。


 ああ、幸せだ……彼の居る、幸福に満ちた空間に。


 それからというもの、昔話や近況報告で話は盛り上がりを見せた。……先生のご実家は相変わらずみたいだが、彼は彼なりにオレとの約束が支えになっていたようでお陰で決心がついた。


 そう、オレたちの関係はまだ――。


「あの、先生……桐弥さんさえよければなんだけど、オレが高校卒業したら一緒に、その住まない?」


「え?」


 絵に描いたような驚き。

 それも当然だろう、前触れもなくそれだけを告げた上にたった三ヶ月だけの出逢いで同棲しようと申し込んでいるのだから。我ながら勝手だとは理解している、それでも……この気持ちを伝える覚悟が今無いのならの可能性に賭けたい。


 そう、願うのは傲慢だろうか。


 沈黙に似た長い思考後、彼の表情は不安を混じらせながらも笑みを浮かべていた。


「……ええ、よろしくお願いします」


 こうしてオレたちはまた新たな約束を交わした。この小さな恋心が届くように、と小指に想いを乗せて……未来の自分に託す。



 絶対に叶う、叶える、そう信じて。



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