誼の丘に花が咲く

鈴ノ木 鈴ノ子

よしみのおかにはながさく



 ふと過去を思い出していた。

 

 泥沼の離婚を経験して紆余曲折を過ごした私は地元の公園にあるブランコに座っていた。

 公園は丘の上に作られていて、立派に整備された遊具や運動場などが備わった総合公園のような感じだ。駐車場もしっかりと整備されているから、ランニングや犬の散歩で様々な人が歩いているのが、丘の高台にあるブランコからよく見えていて、その中に見慣れた人影も見つけることができる。

大きなひまわりを模したステンレスの大時計が2台、この高台と対になるように設置されて、大広場の一角に置かれている時計はもう間もなく午後5時へと針を近づけつつあった。


 

 

 数年前、離婚によって精神を病んでしまい、ずっと外、いや、もはや外界と言えるほどの世界に恐れ慄いて、殻に籠る貝の如く、身を寄せたアパートで体は徐々に食べることを拒否してゆき、1人、ひっそりと痩せ細ってゆくと、ついに死の寸前のところまで至った。

 

 生きることへの希望が湧かなかった。

 

 大切な人に裏切られる行為も傷ついたが、それよりもまして、泥沼と化した離婚裁判で義理の両親から受けた仕打ちは言葉にするのも悍ましほどに我が身と心をズタズタに切り裂いた。

 献身的とはいえないかもしれない、でも、それでも身を粉にして尽くしてきた数年間の生活は、夫の裏切りと彼の家族の裏切りによって露と消え果て、真っ白な純白の結婚式で始まった生活は汚泥の色で塗りつぶされて終わりを告げたのだった。


「ようやく・・・。かな・・・。」


 カサカサになった唇で、骨と皮だけになった力のこもらないカミソリでつけた躊躇い傷だらけの手首とそして木乃伊のようになった両手を室内を照らした夕日へと向け、私はこの絶望の人生がようやく終わることに少し安堵しながら、もうすぐ来るであろう終わりを待った。

 夕暮れ時の時報のを知らせるメロディーが聞こえてくると、そのもの悲しささえも愛おしく思えるほどだ。私の最後を飾ってもらえる素敵な音だと勝手に思い込んで、伸ばした両手を薄汚れた床へと落とした。

 視線を上げてみればテーブルの裏が見え、そこに黒いゴキブリが這っている、普段なら叫んで叩き殺してしまうはずなのに、その生きている姿はどこか神々しく見え、じっとその場で動こうとしない姿がまるで私を心配しているようにも、そして、早く私が死ぬことを望んでいるようにも思えた。


 不意に音が聞こえてきた。


 安アパートの壊れかけた玄関扉の鍵を焦っるように開錠しようとしている音がしばらく続いて、やがて扉の開く音が聞こえてきた。きっと、猫の額ほどの小さな土間で室内の惨状に恐れおののいて立ち止まったであろう足音は、靴を脱ぐ音をさせてから、きしむ床の上を音を響かせながら、ゆっくりとこちらへと向かってくる。

 

「ゆみねぇ、いる?」


 懐かしい呼び声が聞こえた。

 

 幼い頃、近所に住んでいた8歳年下のたっくんが私を呼ぶときの呼び方だ。私の後ろをついて、臆病で、すぐに泣く、でも、負けん気が強く、正義感が強くて、彼が小学校の時には、私が虐められたのを知ると、2年生なのに中学生のクラスに乗り込んできた姿が懐かしく思い浮かんだ。


「ああ、見つけた」


 足音が止まる、そして、私の視界にたっくんの大人になった顔が現れた。帽子に白いワイシャツと紺色のネクタイを締めた彼が和かな微笑みを浮かべて私をじっと見た。


「さぁ、ゆみねぇ、いくよ」


 内側も外側も汚れ切っている私を彼の両腕が軽々と抱き上げる。今どきの浮浪者ですら避けるであろうほどに酷い姿なのに、そんなことすら気にも留めることはなく、それが当たり前であるかのようだった。

 恥ずかしさもなにもかも、いや、贖う力すら残っていなかった私はなすが儘になるしかなかった。


「そとは・・いや・・・」


 かすれ声で駄々をこねる子供ようなことを言った私をたっくんの素敵な笑みが打ち消してしまう。何も言えなくなった私は薄暗い闇の漂う部屋から抱き抱えられて連れ出されていく。

 玄関扉から出た世界で見たのは夕焼け色に染まる空だった。


「きれいな夕焼けだよ、ゆみねぇ」


 濃い赤色、いや、茜色に染まる遮るもののない空がアパートの共用廊下から見えた。薄暗い色しか受け付けていなかった私にはその色は神々しいまでに眩しい色合いだ。顔を動かして視線を移してゆく、夕日の眩しい光が差し込んでくるのを手で覆いながらも、その指の合間から見える夕焼けに目を奪われた。

 

 『おかえり』と世界が言っている気がした。

 

 夕焼けの温かさ、体にあたる夕日の温かさ、そして、伝わってくる人の温もり、どれほど久しぶりに包まれて味わったことだろう。

 

 気が付けば目元から涙が溢れていた。

 

 潤みで歪み溶けた視界にも夕焼けの色合いは優しく入り込んでくる。汚れた片手で涙を拭い、そしてたっくんを見た。

 凛々しく優しい眼差しがこちらを見つめて微笑んでいる。夕焼けで照らされた表情に幼い頃の懐かしい面影が重なる。

 青い制帽に輝く警察章のエンブレムがきらりと光を放った。


「お巡りさんになったんだね・・・」


 子供の頃からの夢を叶えたのだと分かった。将来の夢、たっくんが書いた小学生の作文に「おまわりさん」になることが夢だと書かれていたことを覚えている。


「うん、だから、ゆみねぇを見つけれたよ」


 そう返事をして微笑みを深めた彼が頷くと、私を抱き抱えたまま、ゆっくりとアパートの階段を下りてゆく。やがて、パトカーと救急車が見えてくると、私はそのまま救急隊のストレッチャーの寝台へと下ろされた。


「あとで行くからね」


 そう言って彼は名残惜しそうに私の頭を数度撫でるとその場を離れていく、思わず伸ばした手を別の手が優しく握ってくれる。


「お、お母さん・・・」


 連絡を避けていた年老いた母が私の手を握ってそこにいた。涙を浮かべて私を見つめる懐かしい眼差しの優しさを見たのはいつのことだったろう。

 青色の防護衣を着た救急隊員に手当をされて白い車内へと収容される。室内の明るさに思わず驚いて身を震えた私だが、母の手は離れることなく、その懐かしい温もりは私をひたすらに支え続けてくれていた。


「体に機械をつけますからね、少し冷たいですけど、大丈夫ですからね」


 女性隊員さんがそう言いながら、私の体に器具をつけていく、でも、その手が時より戸惑うのが分かった。それほどにひどい体だったのだから。


「あなたのお名前を教えてください」


 別の隊員さんそう声をかけくる。


「新藤弓子です・・・」


「生年月日は言えますか?」


「はい・・・」


 一通りの質問を終えると、市民病院に向かいますと短く言われ、救急車がサイレンを鳴らして動き始める。その音に私は再び外の世界へと戻ったことを悟ったのだ。


 

 午後5時の時報の音楽が公園内のスピーカーから流れ始めると、空の色が徐々に茜色に染まり始めてゆく。青い色が赤色に変化する様を眺めながら、ゆっくりとブランコを漕いでみる。金属の擦れる音が響き、体が徐々に角度を帯びると、空の広がり方が変わってゆく。

 その空は溶け合った色が交じり合い、そして徐々に茜色に変化していった。


 

 市民病院に搬送された私はしばらくの間、入院することになった。救急当番でそのまま主治医となった香川先生がぼろ雑巾のようになった体を回復へと向かわせてゆこうとするのだけど、心がそれを頑なに拒否して、食べ物を食べようとする行為を拒絶していた。乳酸菌飲料やちょっとしたスープを数口飲んだだけで食欲を失ってしまうことに、私自身、情けなさが募り、そのことで自分自身を責める。そんな日々が1週間ほど続いたある日、再び、あの優しい笑みが訪ねてきた。


「ゆみねぇ、いる?」


「いるよ」

 

 個室の部屋にそんな声が響く。部屋を訪ねてきた、いや、幼い頃からの呼び方は変化がなくて、昔のようにすんなりと返事を返すことができた。


「調子はどう?」


「どうかな・・・」


 腕に刺さった点滴の管を指さして、ぎこちない笑みを浮かべると、少し困ったような笑みを見せる。


「今日は、これを買ってきたよ、どう、少しでも食べてみない?」


 そう言って彼がベッドテーブルの上に鳥の柄が印刷されたケーキ箱を置いた。


「木口屋さんのケーキ?」


「懐かしいでしょ、ちょっと出かける用事があってね、買ってきたんだ」


 箱を開けるように促されて開けると、昔よく食べたショートケーキが2つとクッキーが1袋入っている。木口屋さんは実家の町内にあったケーキ屋さんで慣れ親しんだ味だった。


「今日、誕生日でしょ」


「あ・・・」


 壁に掛けられたカレンダーを見る。日付は確かに自分の誕生日だった。この年になれば祝うことなんてほとんどないのだから、すっかりと忘れていた。


「1口、2口くらいは食べてよ、余ったら僕が食べるから大丈夫だからね」


 ふっと懐かしさが込み上げる。

 彼が引っ越していく前まで、お互いの誕生日を祝いあっていた。彼の両親は共働きで、我が家は自営業だったから彼を預かることも多く、必然的にそうなっただけだけれど、彼は寂しがる素振りも見せずにケーキを2つ食べれる言い張ってと無垢な笑みを見せていた。


「すこし、食べてみようかな」


 側面の切れる箱を広げてベッドテーブルの上で開く。テーブルを移動しようとすると、ベッド脇に座る彼がテーブルの脇へと椅子をずらした。


「動かさなくていいよ、あ、そうだ、ゆみねぇ、コップはどこかにあるの?」


「洗面台の横に置いてあるけど・・・」


「ちょっと待ってね」


 席を立った彼が私のコップと紙コップを持ってきてテーブルへと置く、そこにペットボトルの紅茶を注いでゆく、赤褐色の素敵な色が白い無機質のプラスチックコップを満たして天井の蛍光灯が澄んだように色合いを際立たせていた。


「さ、頂こうよ」


「うん、ごちそうになります」


「どうぞ」


 パナージュで艶を帯びた程よい大きさのいちご、純白のホイップクリームに包まれたスポンジケーキの優しい黄色が懐かしさと彼の優しさに感謝して、プラスチックのフォークを入れた。食べながら彼の話を聞いていく、憧れた警察官になったこと、交番勤務で私が住んでいることを知ったこと、そしてあの日のこと、そして最近のテレビのことや読んでいる小説のこと、私も小説を読むのは好きで母が持ってきてくれた小説を読み返していた。その話をすると彼も読んでいたようで互いに思い出しながらではあったけれど話に花が咲いていく。

 話を終える頃には互いのショートケーキの姿は綺麗に消え去っていた。


「また、来るね」


「う、うん、迷惑じゃなきゃ・・・」


「迷惑なら来ないよ?」


「ち、ちがう、そういう意味じゃないから・・・」


 にやりと笑う彼に私ははっとした。そして素直に彼の目をしっかりと見つめる。


「待ってます」


「う・・・うん」


 顔を真っ赤にした彼へやり返したことへの微笑みを私が見せと、やられたといったように彼が頭の裏を掻いた。

 

「でも、本当にありがとう」


「気にしないで、じゃぁ、また来るね」


 そう言って彼は帰っていった。

 室内に彼が来る前の静けさが漂うと、とたんに心細くなる気持ちを抑えながら、ふと、テーブルの上にカードが置かれていたことに気が付いた。開くとそこに誕生日祝いの言葉と彼の携帯とアドレス、Rainのコードが彼らしい丸みを帯びて少し歪んだ字で書き記されていた。


「伝えるの苦手なのは変わってないんだね」


 私はそう言ってそれを胸元に大切に抱え込んだのだった。


 

 夕焼けが空を染め上げて夕日が山に落ちていくのが見えてくる。ブランコを漕いでいることが恐ろしいことであることに気が付いて、慌てながらもゆっくりと止めると色の強く眩しい夕日に目を向けた。あの時と同じように鮮やかな色合いだ。その美しさに見惚れた。


 

 病院の退院の日は父と母、そして驚いたことに彼がいた。両親も高齢だし店の軽自動車では大変だろうからと、彼が大きなSUVを出してくれたのだそうだ。荷物を積んで見送りに来てくれた看護師さんにお礼をいい病院を後にする。1時間ほど走ると懐かしい街並みが見えてきた。インターチェンジを降りて並木道を抜ける、そして丘の上の公園が見える街並みを走り抜けると懐かしの我が家へと止まった。


「おかえり、ゆみねぇ」


「うん」


 あの日の姿とは見違えるほどに、血色も少し付きすぎた肉付きだけれど、回復した私は懐かしの実家へと帰り着いた。療養がてらに両親の仕事を手伝い、通院には木口屋にケーキを買いに来る彼が車で送り迎えをしてくれる。過ごしていく日々が伸びてゆくと、懐かしい友人たちと再会して喫茶店でおしゃべりができるまでになった。

 1人で久しぶりに街へと出た帰り道のことだ。ふらりと立ち寄った書店の週刊誌に元夫の写真が写っていた。

 その姿を見て心が軋みを上げる、呼吸が乱れて苦しくなり、その場を足早に離れて店内の椅子へ座り込むと、その姿と顔色に気がつき心配した店員さんが駆け寄ってきてくれた。


「お客さま、いかがなさいました?」


「いえ、ちょっとめまいで、大丈夫ですから・・・」


「でも・・・お顔の色が・・・。あれ、弓子先輩?」


「え?」


 こちらを覗き込む店員さんの名札は見覚えのない名前だったけれど、顔を見てふと思い出した。


「あたしです、あたし、梶川麻衣子、まいまいですよ。先輩」


「あ、まいまい」


 高校の文芸部で1学年下の後輩、学生の時に新人賞を受賞して作家となった子だ。


「まいまい、ここに居たのね」


「ええ、作家もしてますけど、やっぱり刺激も欲しいからアルバイトしてます。先輩も大変だったみたいですね」


 元夫の家は県内でも有名な会社を経営しているから私のこともうわさで知っているのだろう。


「でも、戻て来てくれてうれしいです。犯罪者の奥さんなんて願い下げですもんね」


 まいまいのズケズケいう癖は変わっていないようだ。

 そこで初めて元夫が横領と詐欺で逮捕されたことを知った。彼の実家も捜査対象となり地元の名士として名声も地に落ちて地域から弾き出されたとのことだった。

 結局、書店で少し休ませてもらい、私はバスで帰路へとついた。調子を崩したせいで時間が遅くなってしまったと焦りながら降りたバス停から実家へと足早に歩いてゆく。今日は彼が食事に来る日だった。


「おい、弓子」


 不意に呼びかけられて足が止まる。それと同時に全身が震えた。


「な・・なんで」


 そこに元夫の姿があった。皺のついたスーツにシャツを着て無精髭伸びた汚らしい姿は、昔の姿とは似ても似つかぬほどに変わり果てている。


「警察から逃げたんだ。お前、金持ってるだろう、全部出せ。もともとは俺のもんだろう」


 血走った目でそういうと、元夫がハンドバッグに手を伸ばしてくる、取られまいと私は後ずさろうとすると、彼の平手が左頬を力いっぱい叩いて、私は地面に倒れこんだ。


「どこまで俺に恥をかかせるつもりだ?望んで離婚してやっただろうが」


 倒れこんだまま、私は拳を握って震えながら言い返した。

 

「貴方が原因でしょ!ふざけないで!」


「俺は悪くないだろう、お前がいろいろと悪いんだからな。父も母もお前が悪いと言ってるぞ、それに女の1人や2人・・・」


 彼がそこまで言い放ったところで横から走ってきた人影が元夫の顔を拳で殴りつけて地面へと倒した。


「暴行の現行犯で逮捕する!」


 その力強い背中と聞きなれた声に安堵した私はそのまま意識を失い、目を覚ました頃には実家近くの病院のベッドの上だった。時計は0時を回っていて近くの椅子には彼が壁にもたれ掛かってうたた寝をしている姿が見えた。


「たっくん」


 思わず声をかけてしまう。体の角度が椅子から落ちそうなくらいにまで歪んでいた。


「う・・・・、あ、ゆみねぇ、起きた?」


 そう言って慌てて立ち上がった彼がこちらへと慌てて近寄ってくる。

 実家に先についていた彼は、どうしてか知らないが、まいまいとは親しったらしく、体調が悪いことを教えてもらったようでバス停の近くまで迎えに出ていたらしい、そうしたら私の声が聞こえて慌てて駆けつけたとのことだった。元夫は彼に逮捕されて警察署に連れ戻され、私は病院で治療と事情聴取を終えたのち、彼の車で実家へ帰路についた。

 道すがらは互いに無言で私を下ろすと彼は実家には寄らずにそのままへ帰っていった。


 

 夕焼けの色が徐々に暗くなってゆく、赤い色が黒色に変わってゆくと、街路灯の明かりが園内にぽつぽつと灯り始めていく、ランニングをしていた人がまばらになってくると1人の人影がこちらへと向かってくるのが見えた。

 私もゆっくりと立ち上がってその人影へと歩みを進めてゆく。


 

 しばらくして私は彼に呼び出された。夕暮れに実家から2人並んで歩いて公園へと向かう。並んで歩く道すがらは言葉数が少なく、彼と私はその緊張感から互いに話す言葉が見つからなかった。公園の大広場の時計台の下まで歩いてくると、彼が唐突にこちらへと降り向いた。


「ゆみねぇ」


「な、なに」


 見上げた彼の顔は耳まで真っ赤で私は何を言われるのか予想できてしまうほどだ。


「いいの?私で?」


 私が先に口を開いた。


「え?」


 彼の言葉を遮って私は言葉を続けた。


「こんなのだよ」


 私がため息交じりにそんなことを言うと、彼も一呼吸深い息を吐いた。


「だからなに?」


「え?」


「こんなのでも、そんなもんでもいいよ。ゆみねぇであるならそれでいい」


「そっか、じゃあ、ダメだね」


「え?」


「だって、そうなったら、ゆみねぇでいられないよ」


「あ・・・」


「新藤弓子として、こんな私ですけど、お付き合いしてもらえますか?」


 真剣な表情をして私は彼に視線を合わせた、彼のはにかんだ顔が真剣な顔つきと眼差しに変わってゆき、その瞳が私をしっかりと私を捉えた。


「こちらこそ、お願いしたいです」


「ありがとう」


 彼の胸元へと私は飛び込んで彼を渾身の力で抱きしめた。彼も優しく私を抱きしめ包んでくれる。


「もしかして、けじめかな?」


 彼が私が言った言葉の意味に理解を示してくれたことに嬉しくなる。


「そうだよ、互いにね」


「なるほど、ゆみねぇ・・・」


「あ・・・!」


「あ、ごめんなさい」


 私の咎める声に彼が咄嗟に謝る。


「いいよ、昔の誼で許してあげる」


「それって彼女としては・・・」


「許してあげない」


 そう言って私は彼にそっと口づけをした。こうして私はゆみねぇから彼女となり、さらに一歩踏み出して彼の妻へとなった。


 

 少し薄暗くなり始めた公園を人影に向かって降りてゆく、それを見ていた彼が慌てて速度を上げて駆け上がってきた。

 

「弓子、あぶないよ」


「大丈夫よ、心配性だね」


 そう言って私は大きくなったお腹を摩った。順調に育った愛しさの結晶はもうすぐこの世へと産まれてくる。

 

「さ、帰ろうか」


「うん」


 隣に互いに連れ立って、いや、連れ添ってゆっくりと丘の坂を下る。丘の上の時計塔を照らしていた茜色の夕焼けは稜線の彼方へと消えていった。


 

 

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誼の丘に花が咲く 鈴ノ木 鈴ノ子 @suzunokisuzunoki

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