【短編】僕は捨て猫にお菓子をあげた

じゃけのそん

第1話

 僕は売れない小説家。

 いや、小説を書くのが趣味のサラリーマン。


 最近の僕にはちょっとした楽しみがある。

 それはとある場所に居る捨て猫に、お菓子をあげることだ。


「みゃぁーん」


「はいはい。お腹すいたね」


 今日のお菓子はスーパーで買ったばかうけ。

 それを段ボールの中に置けば、待ってましたと言わんばかりに噛り付く猫。ばかうけに夢中になっているその隙に、僕は猫の頭を思う存分撫でまくる。


「じゃあ、明日も来るからね」


 本当は引き取ってあげたいけど、うちのアパートはペット禁止。だからせめて、食べ物だけでもと思い、会社からの帰り道この猫にお菓子をあげる。


 これが最近の僕の楽しみであり日課だった。





 でも、あの日を最後に猫は居なくなっていた。

 例の場所にあるのは空の段ボールだけ。寂しいと思った反面、きっと誰かに引き取られたのだろうと、僕はホッとした。





「き、君、誰……?」


 ある日、知らない女の子が家にやってきた。

 女の子は僕を一目見ると、とても嬉しそうに抱きついてきた。


「ちょ、ほんと何⁉」


「むふむふ」


 僕の胸に頬を擦り付け、むふむふ言ってる女の子。見た目は高校生くらい。だけど歳の割には立派に育っている何かが、服越しに当たる。とても柔らかい。


 初対面のはずなのに、なぜか女の子は僕のことを知っているようだった。


「君、名前は?」


 ふんふんと、女の子は首を横に振る。

 続けて住んでる所も聞いたけど、ふんふんと首を横に振るだけ。名前もない、行き場所もないその女の子の瞳は、あの時の猫にちょっぴり似ている気がした。





 流石に知らない女の子を家にあげる訳にもいかない。


 そう思って一度は帰るように言った僕だけど、玄関の前で夜までずっと座り込まれたので、仕方なく家にあげることにした。


「で、君はどこに住んでる子?」


「わたし、お家ない」


 もしや家出でもしたのだろうか。

 だとしてもスマホぐらい持っててもよさそうだけど、見たところ何も持っていなさそう。


「とりあえず、カレー食べる?」


「ふんふん!」


 どうやらお腹がすいていたらしい。

 すっごいキラキラした目で頷いている。


「温めなおすからちょっと待ってて」


 僕は女の子にカレーを振る舞うことにした。

 未成年の女の子を家にあげたことがバレたら、大人の僕は一発でアウト。頭でそれは理解していたし、実際ヤバいことしている自覚もあった。


 でも、それでも良いかと思った。


 僕はもう、仕事に疲れた。

 生きることに疲れた。


 本業であるはずの創作も、最近は会社が忙しすぎて全くできていない。だから警察に捕まって、それで今の仕事をクビになれるのなら、それはそれでアリかと思った。


「あちっ!」


「ふーふーしてから食べなね」


「ふすぅー、ふすぅー」


 それにしても無邪気な子だ。

 この子を見ていると、何だか胸がほっこりする。


 それはまるであの捨て猫と戯れていた時と同じ。猫が居なくなって、心にぽっかりと空いていた穴が、彼女のおかげで埋められたような気がした。





 結局、女の子の家はわからなかった。

 家出娘の噂も無かったし、捜索願も出されていない。


「君、ほんとに行き場所がない?」


「うん」


「お父さんやお母さんは?」


「わかんない」


 そんな状況で家から出て行かせるわけにもいかない。


「じゃあ、ここでよければ居なよ」


「ふんふん!」





 こうして、僕と名前の無い少女の二人暮らしが始まった。


 名前が無いままだと不便だから、僕は彼女をミリと呼ぶことにした。昔実家で飼っていた猫の名前だ。雰囲気が猫っぽいからピッタリだと思った。


 ミリは僕の役に立つことをしたいと言った。

 その理由はよくわからなかったが、彼女の思いをむげにしたくないと思い、僕はミリに家事を任せることにした。


 僕が仕事に行っている間、ミリはせっせこ家の掃除や片づけをする。


 でもミリはちょっぴり不器用で、掃除をしたはずが掃除をする前の部屋よりも散らかっている時とかもあったりした。


「いいかいミリ。掃除機のコンセントは玩具じゃないからね」


「ふんふん!(目キラキラ)」


「今からボタンを押すけど、絶対に追いかけたらダメだよ」


「ふんふん!(目キラキラ)」


 特にミリは小さくて速いものがとても好きだった。線を収納する時の掃除機のコンセントとか。たまーに現れるゴキブリとか。


 ガラガラガッシャーン!


 目をキラキラさせた時は、だいたい部屋が大変なことになった。そんな時はミリと一緒に片づけをして、我に返って落ち込む彼女を慰めるのが僕の役目だった。





 ミリと暮らし始めて二週間が経った。

 最初は違和感しかなかったこの生活も、いつの間にか当たり前の日常へと変わっていた。


 今まで灰色だったはずの世界は、ミリのおかげで色鮮やかな明るい景色に変わり、ご飯の時も、夜寝る時も、寂しいと感じることは無くなっていた。


 僕はミリとの生活に心の底から満足していた。

 でも、ミリは言うのだ。


「もっとあなたの役に立つことがしたい」


「役に立つこと?」


「うん。何かミリにしてほしいことない?」


「うーん」


 あまりにも真剣にそう言うから。

 だから僕はミリに一つお願いをすることにした。


「それじゃあさ、ミリとの思い出を小説にしてもいい?」


「しょうせつ?」


「うん。小説」





 こうして僕は、ミリとの日常をノートに記録し始めた。


 これをきっかけに僕は、一度も使ったことが無かった有休をとり、ミリとたくさんの場所に出かけた。


 海や公園、テーマパークなど様々な場所を二人で巡り、そこで起きた全てのことをノートに記録する。


「ほらミリ、これが生きてるサンマだよ」


「美味しそうなお魚さんだね!」


「た、確かにそうだね。でも、食べちゃダメだよ」


 水族館では、特に目をキラキラさせていた。

 食い入るように額を水槽にくっつけるミリを前に、何だかちょっぴりデートっぽいな、なんて、浮かれた感情を持ったりもした。


 こんな日がずっと続けばいいのに。

 いつしか僕は生きることに夢中になっていた。



 * * *



 私は捨てられた猫。

 どこかもわからない場所、物陰に置かれた段ボールの中で暮らす猫。


 雨が降っても風が吹いても、それを凌いでくれる物は何もない。私はまだ子供だから、独りで外の世界に飛び出す勇気もない。


 お腹が減って死にそう。

 そう思っていたところに、人間の男がやってきた。


 その日は酷い雨だった。

 男は私の前で立ち止まると、手にしていた傘を地面に置いた。そしてポケットから一粒の飴を取り出し、それを私にくれた。


 私は一目散に飴を舐めた。

 舐めて舐めて舐めまくって、食べ終えた頃には男はもう居なかった。


 でも、傘は置きっぱなし。

 あの人が雨に濡れて風邪をひかないか、とても心配だった。





 それから男は度々私の元を訪れるようになった。


 私のことを気遣ってか、男は色んな食べ物をくれた。こうして男の優しさに触れる度に、私の中でとある感情が芽生えた。


 この人に恩返しがしたい。


 そう思った私は神様に願った。

 私を人間の姿にしてくださいと――





 目が覚めると、私は人の姿になっていた。


 これであの人に恩返しができる。

 そう思った私は彼の家に押し掛けた。最初は戸惑っていた彼だけど、日に日に増えるその笑顔を見る度に、私の心は感じたこともない大きな幸福に包まれた。


 彼が仕事に行っている間、人間のことを知る為に見ていたテレビ番組でこんなことを言っていた。


 誰かの為に何かをしてあげたい。

 その人が喜べば自分も嬉しいと思う。


 これは『愛』。


 愛とは他者を大切な相手として慕う行為である。難しくてよくわからなかったけど、私が彼に抱いている想いに似ている気がした。





『愛』という言葉に触れた以降、彼に対する私の見方が変わった。


 彼に触れると胸がドキドキする。

 もっと彼に触れたい、傍に居たい。

 そんな感情が胸をいっぱいにして、夜も眠れなかった。


 でも私には神様に与えられた”タイムリミット”がある。人間の姿になって二週間とちょっと。彼とお別れしなければならない時が、ちゃくちゃくと近づいていた。


 私は彼に恩返しをしたいから人間の姿になりたいと願った。


 今、私が抱いているこの気持ちを伝えてしまったら、彼を困らせてしまうに決まってる。だからこの気持ちは胸の奥にしまっておこう。私はそう決心した。





 ある日、彼は長い間お仕事を休むと言った。

 有休? というらしい。


 そして私は彼に連れられ、見たこともない、聞いたこともない場所をたくさんたくさん巡った。中でも一番楽しかったのは、お魚さんがいっぱい居るところ。


 彼は私との思い出をノートにメモしていく。

 これが彼からの新しいお願い。


 でも、私は知っている。

 きっとこのお願いが『最後のお願い』になることを。





 最後の日。

 彼は実家に帰りたいと言った。

 実家というのは、彼の産まれ育った家らしい。


 新幹線というとても速い乗り物に乗って、私は草木がたくさんある場所へ。彼に連れられて向かったそこは、看板が一つ立っているだけのただの更地だった。


 たくさんの建物が並ぶ景色の中、私たちが見ているその場所は、ぽっかりと空いた穴のよう。


「やっぱり懐かしいや」


 彼はそんな何もない場所に向け、独り言のように言った。今何を思ってそんな悲しそうな顔をしているのか、私にはよくわからなかった。



 * * *



 久しぶりに実家に帰ってきた。


 でも、そこには何もない。

 僕の思い出の中の家も、庭も、何もかも。


「帰ろうか」


 僕は小さく呟いた。

 その時ミリは、なぜか心配そうに僕を見ていたけど、特に何かを言うわけでもなかった。うんと頷いた彼女と共に、僕たちは来た道を引き返す。


 今日で有休は終わり。

 明日からまた、意味があるのかないのかわからないような仕事が始まる。それを思うと、僕の心はブルー一色だった。


 それから僕はミリをつれて東京の家に帰る。

 でも、このまま家に帰ってしまえば、今日という日が終わってしまう気がした。だから僕は寄り道をしようと、ミリをあの場所へと連れ出した。


 そこはあの捨て猫が居た場所。

 ついこの間までは空の段ボールが置かれていたけど、もうそれすらも無くなっていた。あの猫が居たとわかる物は、もう何も残されてはいない。


「ついこの間まで、ここには猫が居たんだ」


 僕はミリにあの猫の話をした。

 灰色だった僕の日常に、楽しみを与えてくれた。一時の安らぎをくれた。きっと向こうにそんなつもりは無かっただろうけど、僕はあの猫にとても感謝している。


「それは君も同じ。だからありがとうね、ミリ」


 僕はミリに感謝を伝えた。


「助けてもらったのはミリの方だよ」


 するとミリは笑顔で言った。


「誰にも相手にされず孤独だったミリにお菓子をくれた。優しさをくれた。そんなあなたに、ミリはとても感謝してる」


 そしてミリは確かに言った。

 ここに捨てられていた猫は私だと。


「どうしてもあなたに恩返しがしたかった。だから神様にお願いしたの」


 このミリの告白で、今まで引っ掛かっていたことが全て腑に落ちた。名前も行き場所も無い女の子が、突然家を尋ねてきたこと。最初から僕のことを知っていたこと。


「でも、それも今日で終わり」


 するとミリは穏やかに笑った。


「今日までほんとうに楽しかった」


 慌てて訳を聞けば……どうやらミリは人の姿になる代わりに、神様ととある約束を交わしたと言うのだ。



『一か月だけ時間をあげる。その代わり君は二度と彼に会うことは出来なくなる』



 ミリが聞いたという神様の言葉だ。それに頷いたミリは、人の姿になり僕の家へとやって来た。全ては僕に恩返しをする為に。


「確か今日で君と出会って一ヶ月……」


「うん」


「つまり今日で僕たちは……」


「ばいばい、しないといけないね」


 ミリは少し辛そうに笑う。

 それは僕にとってもあまりに辛い事実だった。


 ミリとの日常が無くなってしまうことに対しての不安。それ以上に――人の姿で居られなくなったミリが、どうなってしまうのだろうという不安。


 様々な不安が脳裏で渦巻いては、どうしようもない虚無感を生んだ。


 僕はただ、安らぎ欲しさにお菓子をあげていただけ。生きることに疲れた自分を慰める為に、捨て猫だったミリを利用していただけなのだ。


 なのにミリは、僕の行動を恩として受け止めた。こんな僕なんかの為に大きなリスクを背負って人の姿になったのだと思うと、涙が溢れて止まらなかった。


「ミリね。自分に正直になろうと思う」


 ミリは泣きじゃくる僕の手を取った。

 そして涙でその瞳を揺らし、優しく微笑んで見せる。


「あなたを愛してる」


「……っ」


「あなたに会えてよかった」


 その告白を最後に消えてしまったミリ。この時僕の心には、一握りの幸福とそれを凌駕する喪失感が芽生えていた。


 心が痛い。どうしようもなく痛い。


 痛くて痛くてたまらなくて……声を上げて泣いた。そして、最後の涙を拭ったその瞬間――僕の中には、守らなければならない一つの目標が生まれた。



 ミリとの物語を完成させる――



 僕は走った。

 荒い息で家に駆けこんでは、一目散にノートPCを立ち上げる。そして、思い出を記録したノートを頼りに、ひたすらにキーボードを叩いた。


 乾いた眼をこすりながら、食事も摂らずに手を動かし続ける。





 気づけば朝になっていた。

 スマホの通知が鳴り止まない。


 きっと会社からの連絡だろう。

 でも、そんなものは関係ない。


 忘れてしまう前に、僕は何としてでもミリとの思い出を残す。ミリの笑顔を、仕草を、温もりを――たくさんの幸せを一本の物語にしてやる!





 こうして僕は、たった三日で12万文字の物語を完成させた。


 ミリとの思い出を描いたその作品は、たくさんの人に共感をもらった。というのも、勢いで応募したコンテストにて、見事大賞を獲得したのだ。


 後々担当編集に聞いたところ、審査員満場一致の大賞受賞だったらしい。


 これで僕は、売れない小説家から有名小説家に。勤めていた会社も辞めて、大好きだった創作一本で暮らしていくことが出来るようになった。





「ん?」


 担当編集との打ち合わせの帰り道。

 僕は路地裏で、段ボールに入った猫を見つけた。


「みゃぁーん」


 その子は甘い声で鳴く可愛らしい猫だった。


「お腹すいたのか?」


「みゃぁーん」


「うち、来るか?」


「みゃぁーん」


 僕はその猫を拾い上げ、最近引っ越したばかりの家に帰る。


 今日出会ったばかりだというのに、どうしてだろう。帰り道、その猫はずっと僕の胸に頬をすりすりしていた。

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