無敵の夏祭りの心得

汎田有冴

無敵の夏祭りの心得

 月明かりの静かな浜辺に、点々と続く一人分の足跡。

 松原納涼祭の無敵伝説はここから始まった。

 祭り会場は深い松の防砂林の先で、お囃子は遠く、浜は波音のみ。

 地元青年団の一員として納涼祭を手伝っていた私は、ちょっとした用事で家に戻ろうと近道していた時にそれを見つけたのだった。足跡は岩のごろごろした磯の方へ向かっている。私は今しがた迷子を保護したこともあって、その足跡の行方が気になった。酔っ払いが海に入ったとか、そんな事件事故があれば、今後の納涼祭の開催に関わってくる。私は一人だったので、ちょっとだけ様子を見て、ヤバそうならすぐ応援を呼ぼうと思ってはいた。

 それで、岩陰に真っ裸の女の子を見つけたのだった。

 とりあえず目をつぶって深呼吸をする。なんの事件に巻き込まれたのか、考えるのが怖い。正直、酔っ払いの溺死体のほうが気が楽だったかもしれない。さっさとこの場を離れたくて、誰かに任せたくて、着ていた『松原納涼祭』の法被をぱっと脱いで突き出した。

「とりあえずこれを着て。今、警察を呼ぶよ」

 首元がチクリとして機械で合成されたような無感情な声が聞こえてきた。

「誰モ呼ぶな。私の言うことをキケ」

「安心して。女性のお巡りさんにそっと来てもらうから。僕もどうしていいかわかんないし、あっちは人がいっぱいだし、ここはそっちで保護してもらったほうが──」

「誰モ呼ぶナと言っテいる。呼ベバ今撃ち込んだユニットから毒ヲ流して殺ス。私は宇宙人ダ」

 宇宙人だ?──思わぬ言葉につぶっていた目が薄く開いた。

 目の前にいるのはどう見ても人間で、十代ぐらいで、ミディアムボブの女の子だ。その子が仁王立ちでごついスマートウォッチをつけた右腕を突き出し僕を睨んでいる。

「ソうダ。体内のユニットから直接語りかけてイル。口が動いテいないダロウ」

 確かにそうだった。直接頭に響いてくる。骨伝導とも違っていて、なんだか宇宙の技術っぽい。

「現地の服を調達シロ。その時誰かニ私のことを話せバ、ユニットが感知してお前ヲ殺ス」

「ほ、本当に宇宙人なんだね。じ、事件じゃなくて安心したよ」

 頭が真っ白になった私がそう口走ると、女の子の目がピカッと光った。

「お前が話せバ事件にナル。お前が死ヌからダ」

 私は急いで祭り会場に戻り、レンタル浴衣を借りてきた。町の美容室がそういう催し物をやっていたのを思い出したからだ。往復はたぶん転がるように走っていたと思うのだが、無我夢中で覚えていない。宇宙人に催眠術をかけられたのか、それとも私が危険を感じた時はいつも相手に合わせてしまう生き方をしているからなのかよく分からないが、宇宙人のことは何も言わず「ちょっと貸して」とだけ言って借りてきた。

 スマホで着付け動画を見せてから渡すと、すっかり夏祭りを楽しんでいる女の子が出来上がりだ。

 自称宇宙人の女の子はひらりと一回転した。怖かった顔が少し緩んだ。

「ヨシ。コレから私の宇宙スーツを捜スのを手伝エ」

「宇宙スーツって、どんな?」

 宇宙人は砂浜に雑な人形を描いた。ジンジャークッキーの型かナスカの地上絵にしか見えない。

「あの辺リで信号が途絶えタ」

 指さしたのは防砂林の暗闇だ。

 捜索前に私に用事を頼んだマッツンに連絡することは許された。

「急用ができて、お前の忘れ物は取りに行けなくなったんだ。その……」

 うん。もういいよ。悪かったな──という軽い返事で切れた。こっちの状況はまるで察してくれなかった。

 それから二人で松林の中をスマホのライトと宇宙人の眼光を頼りに捜しまわったが、それらしい物は見つからない。

 自称宇宙人の女の子は、だんだん元気がなくなってきた。足元がおぼつかなくなり、よろよろして倒れそうになって、ついに私が肩を掴んで支える羽目になった。

「ど、どうしたの? 地球の環境が合わないのかな?」

 突然頭に泣き声があふれ出した。ワアアー、ワアアー! 頭を抱えながら女の子を見ると、光る目から地球人と同じように大粒の涙が流れている。

「帰れナクなっタ。独りダ。もうおしまいダ!」

「仲間はいないの?」

「パックツアーの自由時間に抜け出してきタ。行先言ってナイ」

「修学旅行生かよ」

 目の前の女の子は一層激しく泣いた。体内にボカロ調の泣き声がわんわん響いて私自身が全身の毛穴から涙を流している気になった。まさにさっき世話した祭りの迷子もそんな風だった。体の水分を全部目や鼻から出している泣き方だった。迷子がこうなのは宇宙の法則なのか。宇宙の迷子も地球の迷子と同列なのか。

 私は意識が飛びそうになりながら、ポケットからいくつか飴玉を取り出した。

「泣かないで。ほら、どの味がいい?」

「そんな得体の知らないものイラナイ。スーツが欲しい。私のスーツ!」

「そんなこと言わないで。おいしいよ。毒じゃないよ」

 ブドウ味を口に入れてやる。黙る──涙が止まる──落ち着いてくる、と変化する。迷子というより泣く子鎮静化の法則。

「連絡手段はないの? その腕のやつは?」

「これはスーツとの通信や簡単な自衛機能しかナイ。脱いだスーツは自立歩行して近くに隠れているハズなのに。気がついたら信号が消えテル」

 彼女はなめていた飴をバリバリとかみ砕いた。

「反重力プレートのせいカ! あれだけ別会社ダ。規格をちゃんとそろえろ! 訴えてヤル!」

 慌てて別の飴を放り入れた。次はオレンジ味。

「ちゃんとなめてね。宇宙人がこんなところまで何しに来たの」

「カ、海水浴」彼女はしゃくりあげながら言った。「トキナみたいに母なる海デ原点回帰したかったノ」

「トキナ?」

「宇宙探検家よ。いろんな星を回っテいるノ。この星にハ海が残ってイル。海は素晴らシイ。私たちハやはり海から生まれた生き物だっテ!」

 その探検家は10年くらいこの星に滞在し、回想録で海での体験を熱く語っているそうだ。

 自称宇宙人の彼女の種族も地球の生物のように海で生まれたが、そっちの星系の海はもう干上がってしまった。文明としても海は必要ないものになっているので生活に支障はないということだが、探検家の記録を読んでから、彼女は海への憧れを募らせていたらしい。

「パックツアーなら添乗員が人数足りないことに気づくよ。捜しに来るまでこの辺で待っていたらどうだろう?」

「それしかない。正体ばれたらモウ一生旅行できない。そんなのヤダ。バラしたらお前死ヌからな」

「じゃあ、僕は祭り会場に帰らないと。このままじゃ僕が行方不明だってなって大騒ぎになる。君も騒がれたら困るでしょう?」

「ソレは困ル。帰レ。私が後からついていって、しゃべりそうになったら殴る」

「毒流されるうえになぐられるのか。さんざんだな」

「お前イイ奴。殺シたくナイ。でも、ユニットは回収不可能ダ。しゃべりそうになったらユニットが反応する前に気絶サセル。その方ガ死なないかもしれナイ」

「力加減を間違えないでくださいよ」

「自信がナイナ。先にこのヒモで発声器官を塞グ」

「帯でさるぐつわはだめ! 首も絞めないで! 怪しすぎるし即死する!」

「離れるナ!」

「だって怖いもん!」

「手が届かないと殴れナイ」

「だったら手を握ってくださいよ。それなら目立たないし逃げられないから」

 彼女は私の手首をぎゅっと掴んだ。

「ヨシ。逃げるなヨ」

 祭り会場に着くと、入り口でファンシーグッズの出店を出している浜野美容室のマキ姉が話しかけてきた。近所の幼馴染だ。

「あら、リョウちん。その子だれ?」

「ただの迷子だよ」

「へえ。ただの迷子にうちの浴衣貸したんだ……」マキ姉がニヤニヤし始めた。「じゃ、これも貸したげる」

 マキ姉は売っていたひの字型のヘリウム風船を彼女の首にかけた。両端の曲がったところを脇の下にひっかけると、首の後ろでふわふわと浮く仕組みだ。

「これなアに?」

「羽衣に見立てた風船。この松原には、空から降りてきた天女が羽衣を失くしたっていう伝説があるから……」

 彼女は私の手首を握ったまま、きょろきょろしながら祭り会場に踏み込んでいった。

「トキナの記録にそっくり。デモ前の今頃はナカッタゾ」

「去年も来たの? 流行り病が続いて三年ぶりの開催なんだ」

「あの白いの。カップ入りと棒に刺したやつは違うノ?」

 綿あめとかき氷を買ってやる。ぺろりと平らげた。お腹も空いていたらしい。

「ア、魚を捕ってる。漁だ。新鮮なうちにあんな風に串刺しにして食べるんだナ」

「焼き鳥と金魚はべつもの。金魚は観賞用だよ」

 金魚漁を体験させてやる。不漁だった。もらった二匹を袋越しに眺めながらスマートウォッチで解析している。

「カワイイ。食べるのがモッタイナイ」

「だから食べないんだってば」

「あの面はなんの儀式に使うんダ?」

「祭りの最後にみんなで被って神様を呼ぶんだよ」

 もうやけくそだった。

「知ってル! わっかになって踊るんだロ」

「そうです!」

 彼女は私を引っ張りまわしてあっちこっちの出店をのぞいていった。

 ふと気づくと、周りのみんながマキ姉と同じ視線を送ってくる。狭い町内で、昔ながらの知り合いばかりだ。しかも今まで浮いた噂もなかったから一際珍しがられている。カップルは皆こんな目に遭うのか。よく耐えられるな。こっちは命がかかっているのに、何がそんなに面白いんだ!

 納涼祭運営本部の前で、彼女はあっと声をあげて忘れ物コーナーに駆け寄った。

「これスーツのインナーメットダ! これでスーツの位置がわかるかも」

 私は忘れ物係の宇野さんに尋ねた。

「これどうしたんです? 他の部品は?」

「入り口の草むらに置いてあったって。他は小松さんちの息子さんが持って行ったよ」

 マッツンが、なんで?

「こっちダ!」

 どでかい銀色のフルヘルメットを被って四頭身ほどになった彼女が走り去る。あわてて追いかけた。

 人をかき分けて着いたのは催場ステージ。地元特撮ヒーローショーの真っ最中だ。

 彼女が自分のだと指さしたのは、悪役側にいる怪獣だった。全体のきらきらした黄土色、ぶかぶかした肉食恐竜のようなフォルム、垂れた頭は犬のように先細り、威嚇するように並ぶ背びれ──どうみても怪獣の着ぐるみだ。

「本当にあれなの?」

「ソウ。私と違う生体情報が入力されて、非常事態強制帰還モードが発動しているから、現地時間デあと約1700秒で大気圏外に停めてある私のボートに帰っチャウ」

「中の人は?」

「排出する機能はナイ」

 彼女はステージに飛び乗って、ヒーローと悪役の間に立った。

「私のスーツを返セ!」

 もう考えている時間もない。私も出店からひょっとこのお面を取って彼女に続いた。

「ヒーローばかりに苦労はかけられない。僕たちだって戦うんだ!」

 彼女に合わせて雄たけびを上げながら怪獣にとびかかり、倒れこむ。そして、怪獣を押さえつけながら舞台上で唖然とするヒーローに必死に目配せをした。

「あ、ありがとう。君たちの応援のおかげで私のパワーはマックスだ!」

 どんな危機も見せ場に変えるヒーローのプロ根性のおかげで舞台は滞りなく続行。ヒーローと悪役の戦闘が再開する。

 私たちは怪獣を舞台袖まで引っ張って退場した。私たちを真似た子供が何人かステージに上がって親に叱られているが、いい夏の思い出になるだろう。

 私たちはそのまま怪獣を引きずりながら、誰もいない松林まで走った。

 彼女が宇宙語で喚きながら着ぐるみの背中をいじると、怪獣の首が折れて、目を白黒させた同級生のマッツンが顔を出した。

「なぜマッツンがこの中にいるんだ! お前は戦闘服を忘れた間抜けな悪の組織の戦闘員その2じゃなかったのかよ!」

「三年ぶりだからどうしても参加したくてさ……。そしたら、本部に怪獣の着ぐるみが届けられたっていうからさ」

「いいから早く出ろ。宇宙に行っちまうぞ」

 マッツンを引っ張り出すと、入れ替わりで彼女がインナーメットを被ったままするりと潜り込んだ。これが本当に宇宙スーツなのかと注目していると、首が立ち上がってそのまま真空パックのようにピタッと体に張りつき、頭でっかちで体は細い金ラメのバイカーみたいな姿になった。

「リョウちん、なんなのこれ。痛っ……今なんかチクッとした」

「マッツン、このこと人に話すと死ぬよ」

 背中の突起が規則正しく点滅し始めた。

「アリガトウ現地の人」マッツンが突然聞こえだした機械音声に固まった。「これで時間通りに帰れます。機会があったらまた来たいナ」

「今度は連絡してからおいで。水着を用意しとくよ」

 宇宙人が左手を腰に当てて右手を高く掲げると、ジョワッと不思議な音がして、宇宙人のスーツは煙も火も出さずに垂直に浮かび上がった。

 同時に祭りのクライマックス、花火が上がり始める。

 夜空にポンポン咲く花火の間を金色のスーツが真っすぐのぼっていく。

「キレイ! キレーイ!」

 無感動な歓声を残し、宇宙人は花火の彼方に消えた。

 こうして三年ぶりに復活した松原納涼祭は無事に終わり、三日後、マッツンは不慮の死を遂げた。

 次に宇宙人から連絡があったのは、翌年の納涼祭の一か月前だ。

「久シブリダネ。次の納涼祭はイツ?」

「今年はまた流行り病がひどくなって、中止になりそうだよ」

 流行り病は急速に治まり、祭りの前日に宇宙人は10名ほどの団体で来た。

「旅行会社に就職して、トキネ探検記ツアーを組んだの」

 彼女がパレオの水着に大喜びしながら言った。少し大きくなって日本語を覚えていた。

「ここにうちの旅行会社の支社を作る。いいよね?」

 拒めるはずがなかった。

「あと、この水着をもう10着ちょうだい」

「な、なんで10着も水着を買うわけ? しかもパレオばかり……センスおかしくない? 彼女が喜ぶ? でも恥ずかしい? そうでしょうねぇ」

 マキ姉がドン引きしながら買い物に付き合ってくれた。

 その日から彼女は常駐した。時々パレオの水着を着た謎の集団を夜の海に連れていく。

 納涼祭はツアーの目玉だ。台風が来ようと、戦争が起ころうと、また新しい病気が流行ろうと、納涼祭が近くなればあらゆる災害が治まっていく。

 そのため『松原納涼祭が来ると世界の嵐が凪のように静まる。世界の厄を落とすありがたい祭り』という噂がたち、祭りのご利益に与ろうと世界中から人が集まり、昔は小さな夏祭りだった納涼祭が今やリオのカーニバル並みになった。

 そうして50年──松原納涼祭は、年一回開催されるこの祭りは、一度も欠くことなく続いている。

 その間、地球上でも大きな事件が起こったことはない。

 納涼祭がある限り、松原町は平和で、人類は安泰なのだ。

 私は町議会に『納涼祭を永年続けること』『松原町町民は全員総力をあげて納涼祭に参加すること』などの規約を作ることを提案しようとしたが、おばあちゃんが「強要すると祭りが面白くなくなるかも~」と言ったので引っこめた。

 だから代わりに我が浪川家の者たちが、代々祭りの運営に携わり、祭りが途絶えることがないよう努めてほしい。

 これが私の本当の遺言だ。これを言うために私はこの裏の遺言書をしたためたのだ。

 さすがにここまでくるとこの祭りにはなにか秘密があると勘繰る者が出てきているから、怪しい動きには目を光らせ、油断することなく周りに気を配りなさい。羽衣伝説を強調したり、リオのカーニバルとは真逆にめちゃくちゃ重ね着衣装を用意したりして、宇宙との繋がりや物見遊山の宇宙人を目立たせないように。そして宇宙人を飽きさせないよう祭りを盛り上げなさい。ただし、レトロに。松原納涼祭らしさは忘れてはいけない。

 孫のユウタが部屋に籠って変な歌を作っているようだが、好きにさせてやりなさい。もしかしたら祭りを盛り上げられる大物アーティストになるかもしれない。

 あと、祭り前夜に小松大明神へ戦闘員の踊りを奉納することも欠かしてはならない。どんなに忙しくてもこれだけは欠かしてはならない。この話で理由は分かっただろう。ただのマスコミ向けの奇祭ではないのだ。

 他に祭りのことで困ったことがあれば、おばあちゃんに相談しなさい。なんでも叶えてくれるだろう。だが、この話だけは内緒だ。宇宙人の話を、決して、絶対に、おばあちゃんにしてはならない。この遺言書もおばあちゃんには見せないように。おばあちゃんには表の相続に関する書類だけ渡しなさい。犠牲者は一人で十分だ。

 おばあちゃんは、まだ現役ばりばりのツアーコンダクターだからね。

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無敵の夏祭りの心得 汎田有冴 @yuusaishoku523

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