目蓋の裏に泳ぐ魚

ろくろわ

1つ、また1つ目蓋を閉じる。


「……それでは、お大事にしてください」


 睡眠アドバイザーなるお方は、そう言うと次の悩める人の為、部屋を出ていった。



 昼夜問わず、溢れる娯楽の数々。

 24時間働き続けられる世界。

 他人との希薄な人間関係の割に、その関係性に感じさせられるストレスは、カフェインより効率的に覚醒を助長させられる。

 必要な睡眠と寝る事を許さない矛盾した生活。

 眠る事の意味が破綻しつつある社会で、不眠は今やありふれた症状となっていた。

 そして、ここにも1人眠れない夜を過ごしていた青年、岩田が彼にアドバイスを受けていた。

 彼曰く、岩田の不眠の原因は上司との人間関係によるものとの事だった。

 岩田の上司、金田は昔人間で革新的なことが出来ない人だ。岩田が幾ら提案しても昔のやり方でしか出来ず、上手く行かなければ罵倒する、そんな上司だ。

 目を閉じれば金田の顔や言葉がグルグルと頭の中を巡って寝れない。そんな事を改めて言われなくても分かっているのだが、岩田が聞きたかったのはその対処と安眠方法だ。


 彼が部屋から去った後、岩田は彼から貰った鈍く金色に光る丸薬と寝る為の手順を思い返していた。




「良いですか?寝ようとしても人は色々な事を考えてしまいます。意外と目蓋を閉じても外の明るさや景色は見えているものです。大切なのは深く自分の意識に潜って行くことです」


 自分の意識に潜るとは?


「皆さん、驚かれますが人の目蓋は幾つもあるものです。目蓋を閉じた後に、もう1枚目蓋を閉じるように意識してみてください。その時にまだ明るい目蓋の裏側に沢山の泳ぐ魚をイメージして掴まえてください。掴まえると、更にもう1枚目蓋を閉じてください。それを繰り返していくだけです」


 良く意味が分からないけど、それをすると寝れるのですか?


「深く潜るイメージは、浅い水面から水面の底に沈んで行くような感じですね。上を見ると明るく揺らめく水面が、下を向くと淀んだ暗闇が深くなっていく。そんな感じです。眠れるかは試してみてください。また少し手助けする為にこの薬も1つ飲んでください。しっかり眠れると良いですね。それでは、お大事にしてください」


 確か、こんな感じだったと岩田は思った。

 今改めて思い返して見ても良く分からない話だが、折角相談したんだ、取り敢えず試してみようと岩田は鈍く光る金色の丸薬を水で流し込むと部屋の明かりを消し、布団の中に入った。

 言われた通り目蓋を閉じ、もう1枚の目蓋を閉じるようにイメージしてみる。

 閉じたばかりの目蓋の裏には、確かに先程迄の明かりがチラつき暗いはずなのにまだ明るい。金田の顔も見えてくる。


(違う違う。更にもう1枚、目蓋があるんだった。それを閉じる)


 もう1つ深く意識を落としていく。

 閉じられた目蓋の裏側からゆっくりともう1枚の目蓋が閉じられていく感覚がする。


(成る程、こういった感覚なのか。あっ、あれは。本当に魚の群れがいる)


 閉じられた2枚目の目蓋の裏に沢山の魚が宙を泳いでいた。その中の何匹かは、水面から底の方に向かって泳いでいる。

 掴まえなければ。

 岩田は少し不器用に泳ぐ魚に狙いを定め、一緒に底へと沈み、魚を掴まえるとゆっくりと目蓋を閉じる。


 再び目蓋を開くと、先程より少し暗い空間にいる。

 上を見ると天地が逆さまになっている様にビルが生えており、下を見ると暗闇が深まっていく空に魚達が泳いでいる。

 掴まえなければ。

 岩田は今度も少し不器用に泳ぐ魚に狙いを定め、一緒に底へと沈み魚を掴まえると、またゆっくり目蓋を閉じた。


 再び目蓋を開くと、更に先程より少し暗い空間にいた。

 上を見るとうっすら遠くにビルの屋上が逆さまに見える。辺りを見回すと沢山の人がいるが暗くて顔が見えない。距離も近いのか遠いのか分からない。不思議な空間だが余り気にならない。

 それよりもを探さなければ。

 初め沢山いた魚は今や数匹となっている。

 岩田は不器用に泳ぐ魚に狙いを定め、一緒に底へと沈む。魚を掴まえゆっくり目蓋を閉じた。


 魚を掴まえる。

 目蓋を閉じる。

 魚を掴まえる。

 目蓋を閉じる。

 魚を掴まえる。


 岩田は何度も何度も目蓋を閉じていく。

 その度、少しずつ辺りは暗くなり音が無くなっていく。

 魚は遂に1匹だけになった。

 もう、周りには何も見えない。何も聞こえない。ただの漆黒と静寂と1匹の魚だけ。

 この1匹を掴まえ目蓋を閉じる。



『……ピッピピッピピピピ』


 目蓋を開くと明るい光とアラームの音で目が覚めた。

 いつの間にか朝になっていた。

 良く寝れたのかもしれない。

 岩田は身体を起こし背伸びをした。



 という、夢を見た。


 夢から覚めた夢を見たのは初めてだったと、岩田はベッドから起き顔を洗いに洗面所へと向かった。

 冷たい水で顔を洗うと、目が覚め頭がはっきりしてくる。洗面所の鏡を見ると視界の横に不器用に泳ぐ魚がいる。


 という夢を見た。


 あれ、何処までが夢だったんだろうか?そもそも自分はいつ寝たんだろうか?睡眠アドバイザーに相談をしてそこから………。そもそも相談したのか?


 という夢を見た。

 という夢を見た。

 という夢を見た。

 という夢を見た。

 という………。







 ………………。



「………と言う訳で金田さん。あなたの不眠の原因は指示した内容を聞かず独断で動く部下の岩田さんとの人間関係です。でも、もう大丈夫です。岩田さんは今やぐっすりと眠られていることでしょう。金田さん、貴方もストレスを感じる事がなくなり良く眠れると思います。それでは、お大事にしてください」


 そう言うと、睡眠アドバイザーなるお方は金田の所から次の相談者の所へと去っていった。

 金田はようやく眠れる事に安堵し目蓋を閉じると目頭を押さえた。




 目蓋の裏には沢山の魚が見えた気がした。




 了





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目蓋の裏に泳ぐ魚 ろくろわ @sakiyomiroku

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