第39話 夜、二人は語る。

 魔王の呪いがある以上、街には居たくない。


「あはは、うっかりしていたね。接着の魔法薬を忘れてきちゃうなんて……。アレがあれば、野宿しなくて良かったのにさ。ごめんね」


 レイチェルは街を出てから言う。


「俺だって忘れていたよ」


 そんなことを考える余裕はなかった。


「でも、アレックスと野宿するのも楽しいよ」


「ありがとう……」


 俺たちは街を離れたところで夜を迎える。

 野宿の準備を始めた。


「何が食べたい?」


 屋敷を出る前にフリード様から、十分すぎる食料をもらっていた。


 レイチェルには好きな物を食べて欲しい。


「じゃあ、鶏肉のたっぷり入ったシチューが良い」


 俺はレイチェルの希望を受けて、料理を作り始める。


 屋敷で出された料理には及ばないだろうが、それでもレイチェルには美味しいものを食べて欲しかった。


 出来た鶏肉のシチューは過去最高の出来だったと思う。


「屋敷の料理も美味しいけど、やっぱりアレックスの料理も美味しいね」


「お世辞でも嬉しいよ」


「お世辞じゃないよ。アレックスのお嫁さんになる人は幸せだな。優しいし、料理は上手いし……」


「…………」


 俺は返す言葉が思い浮かばずに黙ってしまった。


「おかわり、って大丈夫?」


 レイチェルが空になったお皿を見せる。


「もちろんだよ。たくさん作ったから、遠慮は要らない」


 レイチェルは嬉しそうにシチューを食べる。


 食事が終わるとレイチェルは収納魔法でしまっていた大きな桶を出す。

 これは屋敷から持って来た物だ。


 この大きな桶に川の水を汲んでくる。


 そして、レイチェルが火の魔法でお湯を沸かした。


「今更だけど、こうすれば冷たい水で体を洗うことも無かったね」


「旅の途中はそこまで考えが及ばなかったよ」


「他のことで頭がいっぱいだったもんね。私が先で良いの?」


「どうぞ」と俺がいうとレイチェルは服を脱ぎ始める。


 俺は目を閉じていたが、「最後だし、見る?」とレイチェルに言われた。


「馬鹿なことを言わないでくれ」と俺が返答するとレイチェルは笑う。


 レイチェルが体を洗い始めて、ピチャピチャ、とお湯が跳ねる音が聞こえた。

 しばらくして、その音が止む。


「洗い終わったよ」


 俺が目を開けるとレイチェルは寝る時用の薄着だった。


「アレックス、私の肩に触っていてくれる?」


「えっ、どうして?」と言いながら、俺はレイチェルの肩に手を置いた。


「お湯を捨てて来るからだよ」


 レイチェルは桶を持ち上げる。


「えっ、あっ、そうか」


 途端にレイチェルが半目になった。


「ん? もしかして、私の使ったお湯をそのまま使おうと思っていた? 私の出汁を堪能しようとしてた?」


「そんなことは思ていない! それに出汁とか言うな!」


「ふふふ、やっとアレックスらしい突っ込みが聞けた」


 レイチェルが微笑む。


「えっ?」


「アレックス、私はね、明日、死ぬよ」


「…………」


「でもね、ううん、だからこそ、アレックスには最後まで私と普通に接してほしいかな」


 死を目前にしてもレイチェルは何も変わっていなかった。


 それなのに俺の方が沈んでいては情けない。


「うん、分かったよ。出来る限りの努力はする」


「ありがとう…………ところでアレックスが私の出汁で体を洗いたいなら、温め直すけど、どうする?」


「だから、出汁とか言うな! 早く新しい水を汲んでこようかな! 桶は俺が持つから!」


「えっ、飲むの?」


「その発想はなかったよ!?」


 だから、最後までこうやって馬鹿なことを言うレイチェルに突っ込みを入れよう。

 表面上だけでも今まで通りを演じようと俺は誓った。




「ねぇ、今日は星が見える場所で寝ても良いかな?」


 お互いに体を洗い終わり、寝ようとした時、レイチェルがそんな提案をした。


「良いよ」と言い、俺とレイチェルはテントの外に出る。


「今日は星が奇麗だね」


 レイチェルに言われて、俺は空を見上げた。


 今日は雲一つない満天の星空だった。


「綺麗だけど、首が疲れるね」


「じゃあ、こうすればいいよ」


 レイチェルは俺の手を引っ張り、今設置したばかりの寝袋の上に倒れ込んだ。

 彼女の顔がとても至近だった。


「危ないな……」


 俺が文句を言うとレイチェルは「えへへ」と笑う。


「ねぇ、見てよ。こうするとなんだか別の世界みたいじゃない?」


 俺たちは仰向けになって、星を眺めた。


 レイチェルの言う通り、見上げた先には幻想的な世界が広がっている。


「ねぇ、アレックス、星ってなんで輝いていると思う?」


「さぁ、考えたことも無かったよ」


「それはね、あの輝く星々の一つ一つが太陽なの」


 レイチェルはとんでもないことを言い出した。


「じゃあ、星の数だけ太陽があるっていうのかい?」


「そう、それでね。太陽の周りには私たちが住んでいるような星があるの。そこには別の生き物が暮らしていて、別の物語がある…………って、私は思っているんだよ」


 レイチェルは無邪気に笑った。


「今のは全部、私の想像。そうだったら、夢があるな、って思ってるの」


 それを聞いた俺も笑った。


「君の想像力は凄いね。それに夢がある。じゃあ、遥か先の未来、人はこの星を飛び出して、星々を巡る探検に出る、なんてこともあるかもね」


 俺が言うとレイチェルは体を起こした。


「それ、面白そう! 人々は星々を渡れる船を作って冒険をするだね。昔、船を作って海を渡って、新大陸を目指したようにさ」


 レイチェルは子供のようにはしゃいだ。


「もし、生まれ変わりがあるなら、次は戦争とかが無い時代に生まれて冒険がしたいなぁ。それでその冒険譚を小説にするの。あっ、官能小説じゃなくて、普通の小説だよ」


「それくらいは言わなくても分かっているよ」


 俺は生まれ変わったら、という言葉に反応しなかった。

 反応して、上手く話せる自信が無い。


 レイチェルも気を使って、わざとふざけてくれたのだろう。


 俺たちは特に内容のない話をし続けた。


 しばらくして、話し疲れた俺たちは無言になる。


 辺りは森の木々が動く音と川の流れる音だけになった。


「ねぇ、もう寝た?」とレイチェルが唐突に言う。


「ううん、寝てない」と俺は返す。


「そう…………」


 また、しばらく無言だったが、「今度は寝た?」とレイチェルが再び聞いてきたので、「寝てない」と答える。


「そう…………」


 また夜の自然の音だけになって、それから、「今度こそ寝たでしょ?」とレイチェルが繰り返す。


「残念、起きているよ」


「ふふふ、そうなんだ」


 レイチェルが笑う。


 多分、俺も笑っていると思う。


 内容も目的もない、もっと言うなら会話にすらなっていない言葉を何度も交わす。


 俺もレイチェルも寝なかった。


 このまま夜が明けなければいいのに、と俺は思う。

 多分、それは俺だけじゃない。

 レイチェルも思っているはずだ。



 ――――しかし、どんなに願っても朝はやって来る。



「明るくなってきたね」とレイチェルが言う。

 俺は「そうだね」と返した。

 

 ――――レイチェルにとって最期の朝だ。

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