4章 流転、そして…


ハンクとイリザがまさかあんな関係だったなんて、見間違いならどんなに良かったか!

あの日の光景は、網膜にしっかり刻み込まれて今でも忘れられない。

“キミさえいれば、俺は他に何も要らない”

自分に歯が浮くような甘い台詞を吐いたその口で、熟女に応えただなんて…絶対に許せない。

※見間違いデス!


キリキリ込み上げる怒りのまま、エマは件の二人を絡めた詳しい経緯いきさつをトーラスに話してしまった。


「はああ?! なんだその女医いしゃ!明らかにハンクそいつのこと好きなんじゃねえか。だからエマにろくな治療しなかったんだな?!そんなヤツ、医者の風上にも置けねえ」


「なんか、初めから変な感じだと思ったの。やっぱりそう思うよね…」


「そのハンクだかも、意思が弱え。心底好きなら大事にするし、他の女なんざ目にも入んねえ筈だぜ」


「あ、でも私…ハンクから“好き”って言われてない。そもそもの話、ハンクって私の事好きなのかな……一緒にいたのも、ただ偶然見つけた同族ってだけだったし…」


「うーん…それは、多分そこまでの縁だったのさ。もう忘れた方がいいのかもね…」


話で聞いてしかいないので実際がどうなのかは分からないけれど、いい気分にはならなくてトーラスは渋面を作る。


────ばすん!!


「…ったく、なんの話しをしとるんじゃい。

外まで会話が筒抜けじゃ。病人に無体を働きおって」


「別に、世話話してただけだし。無理なんかさせてないよ。…な? エマ」


トーラスが話終わらない内に部屋の扉が勢いよく開く。そこには、苦虫を数匹まとめて噛み潰したような表情のガルムが立っていた。


「(け…険悪だ)」


ハラハラ見守っていると、案の定「ぶわっかもん!」とごついガルムの拳骨がトーラスの頭にめり込んだ。


「いっでえ!」


「トーラス!! あの…私は大丈夫だから…彼を叱らないであげてください」


拳骨制裁を受けたトーラスの患部を撫でながら、エマは柳眉を垂れ下げる

少し身体は冷えたが今までのような倦怠感はなくて、両足にしっかり力を込めてベッドから立ち上がることができた。

迷惑をかけたから、せめて庇うくらいの恩返しがしたくてエマは背筋を伸ばしてガルムに対峙する。


「───いてて…」


一触即発とまではいかないが、ピンと空気が張った瞬間────意外にもその空気を破ったのはトーラスだった。


「エマ…いいよ、オレが悪かったから…」


庇われたことを察したトーラスは、溜息を吐きながらゆっくりと立ち上がると、わしゃわしゃとエマの頭を撫でる。

極限の緊張が弛んだエマはというと、へなりと再びベッドに座り込んでいた。


「大丈夫かあ?もう、爺ちゃんがおどかすから、吃驚びっくりしちまったじゃないか」


……今まで誰構わず常に喧嘩腰で、暴れ馬そのものだったトーラスが“誰かを思いやる”とは。

特殊な出生のせいで荒れていた孫の変化を目ざとく察したガルムは「おや」と目を丸める。

そういえばこの娘を世話するようになってから、トーラスの表情は明らかに優しく柔らかくなった。

この娘との出会いは、孫に予期せぬ善い変化を与えたようだ。


「済まん済まん…。それより…目が醒めたんじゃな、魔女へクセのお嬢さん。ワシはガルム。医者で、そこの阿呆の祖父だ」


「アホ言うな!💢」


若い頃はさぞイケメンだったであろう老爺は、老いてもなお怜悧な眼差しでまっすぐにエマを見すえる。正面で対峙しているエマは、見透かされるような感覚に陥りながらも眼差しを強く見つめ返した。


「よろしく、お願いします…」


「おう、よろしくのう。ワシもエマ、と呼ばせてもらっても構わんかね」


にぱっ。そんな効果音がつきそうな感じに笑うものだから、纏っていた厳格な雰囲気が呆気なく瓦解していく。


「え、ええ…」


「それはそうと…これを」


面食らうエマにまた笑み返して、ガルムは蕗の葉で包んだ小包を差し出してきた。


「意識が戻ったとはいえ、全快したわけではないからの。ほれ、今日の分の薬じゃ」


「ありがとう…」


折り畳まれた蕗の葉を破らないよう気をつけながら開くと、そこには団栗どんぐりによく似た形状をした柔らかな木の実が10個ほど納まっていた。

濃いオレンジ色でつやつやしている果実に鼻を寄せてそっと匂いを嗅ぐと、バニラのような甘い芳香が香る。


「なんだろう。甘い匂いがする…」


うっすらと透きとおるオレンジ色の果実は多汁で柔らかく、触れた感じはどことなく杏の実に似ていた。


「これはネムの実だよ」


傍らから伸びてきた長い指が、柔らかな実をそっと摘む。


「鉄分が豊富でさ、病人や妊婦に処方してる。まあ、味は悪くないかな…ちょっと酸っぱいけど」


───安全を教えるために毒味をしてくれた?

医者だから…ではなくて、トーラスは人の心の機微に聡いのだろう。

ネムの実を一つ摘んで頬張って笑うトーラスに、エマは目を瞠った。


「ほらエマも食べてごらん。甘酸っぱくて美味しいよ」


「…ん。ホントだ、甘くて美味しい…」


ハンクの件もあって筋金入りの疑心暗鬼なのに、彼の明るく快活な声…仕種がまるで水を切るように疑いの鎖を次々に切り崩していく。

またひとつ警報機が外れて、エマはどうしようもなく戸惑った。


「ほっほっ…仲良しだなあ。どうだろうか。トーラスもよく懐いとるし、お前さんさえ良ければ、ここで暮らしてみないかい」


「いいんですか?」


「おう、気が済むまで好きなだけ居りんさい。山もワシらも来る者拒まず…去るもの追わずじゃ」


どんな事情の者でも拒まずに受け止めてくれる新たな場所に漸く辿り着いたエマの瞳に、感涙がにじむ。


「泣かないで。オレも爺ちゃんも、エマがここに居ることを望んでる。ツラいことは、今は忘れよう。ね?」


ベッドに座り込むエマにトーラスは目線を合わせて傍らに座ると、そっと頬を撫でる。

暴れ馬の気風はなりを潜め、今のトーラスは恋に真っ直ぐな年相応の青年の表情かおをしていた。

恐らくはガルム相手に庇い庇われるを繰り広げたからだろう、それが一種の吊り橋効果となって短時間でエマとトーラスの距離は急転直下に縮んだ。

日没を前に薪を拾い集める二人は、ガルムが咳払いで牽制するほど、とてもいい雰囲気だった。


「早くもロックオンかい。若いもんは元気じゃのう」※トーラスのこと。


エマをベッドに戻したあと、ガルムは妻と娘の墓参り帰りに仕留めた鹿の肉を切り分けながら、傍らで肉に串を刺すトーラスに問いかけてみる。


「なんだよ。自分だって婆ちゃんを“そうやってオトした”くせに。人のこと言えねーだろ」


思わず「ウザい」と思ってしまうくらい、祖母との大恋愛話を聞かされてきた孫の身からしたら、自分などまだ可愛いものだ。


「だがなあ、人生は一度きりじゃ。欲しいと思った時に動かにゃあ、邪魔者に先を越されるぞい」


「!」


邪魔者、そう言われてトーラスの脳裡に思い浮かんだのは半へクセのハンクだった。

奇蹟のような偶然でただ一人の同族を見付けた彼が、果たしてエマを諦めるだろうか?

自らの血の存続が懸かっているのだ、現時点でエマの心が離れていたとしても恐らくハンクは問答無用で「約束」を履行させようと迫るだろう。


「気になっとるんだろう?」


「……まあ、な……」


ハンクの狙いというのは、おそらく魔女へクセの血の復興。

エマは、自分を個人としてではなく“魔女へクセ最後の女”としか見ていないことに薄々気付いていたとも言っていた。


「なあ爺ちゃん、たぶんエマの“役目”はへクセの血を復興させる事なんだろうけど…。オレさ、その役目…させたくないんだ」


エマに「その役目」を全うさせない為には如何どうすれば良いのか、救うための手立てヒントを先達のガルムに訊ねた。


「ならば、悩むより行動じゃ。ヤツより先にエマを抱いちまえ」


「…っ、」


ニマニマ悪い顔をするガルムに、若いトーラスは息を呑んでから一気に赤面した。

一方、壁を挟んだ先の寝室。うっかりガルムとトーラスの会話を聞いてしまったエマもまた、湯気を噴いてトマトのように赤面していた。

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