2話 旅立ち

「……そうだ…」


ふと苦い「禍根」が胸の底に甦ってきて、エマは無言で唇を引き結ぶ。

ずっと意識の奥に根を張っていた憎悪いかりが、忘れるなと言わんばかりにゆっくりと鎌首をもたげたのだ。

何も無ければ関わり合わずに放置するつもりだったが、この場所せかいから後腐れなく去ることができると言うのならば是非もない。

今こそ、叔母一家クズどもに復讐の時だ。


「一緒に行く前に、当たっておきたい“心残り”があるんだけど…寄り道してもいい?」


「心残り?」


「うん。今まで散々に甚振いたぶってくれた腐れ縁ひとたちとの関係を清算していきたいんだ。…でも、私一人じゃ心許なくて。ねえ、協力してくれないかな?私の用事が済んだら私がハンクの希望ねがいを叶えるからさ…」


「代わりに支払われる対価は俺の願い、か。うん、悪くはないな」


大事な女性の頼みを無碍にするほど、馬鹿ではないハンクは、エマの懇願にひとつ返事で頷いた。


「協力、してくれるの? ありがとうっ」


ただし、満願成就を迎えたら“それが如何なる希望ねがい”でも履行はしてもらう。…約束だ」


「ん。約束」


ハンクの願いというか…野望を知る由もないエマは、頼もしい協力者を得たことに満足して頷き返した。


「…?」


背後からエマを抱いていたハンクは、不意に微弱な意思テレパスを拾って目を瞠る。

今にも消えそうな意思テレパスは、辿っていくとエマに掛けられている“魔封じ”に繋がっていた。

それは蝉の脱殻ぬけがらのように乾涸びた太古の庇護魔術だったが、頑なにこびり付いて離れない。

無理に剥がすのも悪いと思いながら意図メッセージを読み取っていくと、胎児状態であったエマが逃げ延びた異界で何事もなく生き続けられるよう願って、瀕死のへクセが魔封じを掛けている情景が脳裏に生々しく再生された。


【どうか、その旅路に幸あらんことを…。】


死に直結する深手を負っている金髪の女性は、どこか別の遠く離れた世界軸への転移咒式の成功を見届けると安心した表情を浮かべ、静かに息を引き取った。


(多分、彼女が本当の母親おやだ。死してなお、子を想うか。本当に、思いやりが深い)


その魔封じは、ようやく「誰か」にメッセージを伝える役目を果たし、清らかな光を撒いて宙に霧散して消えた。


……ざ わ ……ざ わ ……ざ わ ……ざ わ ……


その瞬間、滞留していた魔力の解放に呼応してエマの肩で切りそろえられていた紅茶色の髪が毛先からじわじわと鮮やかな砂金色き んに染まりながらが伸び、やがて臀部あたりで成長を止める。

それはまるで孵化して殻が剥がれ落ちるような、美しく驚くべき変化であった。


「!」


ウエーブがかった砂金色の美髪の一房が肩を滑り落ちてきて、エマはきょとりと目を瞠る。

いま身に何が起きているのか言い表す言葉は見当たらないけれど、例えば昨日の自分と現在いまの自分は明らかに「感覚」が違う。

違う、という事実ことを理解できてしまうのだ。


「ハンク…」


問いかける眼差しに気づいたハンクは、柔和に微笑むとおもむろに手を差し出した。

その手には手鏡が握られている。


「今は説明よりも、直接見た方が早い。エマ、これがへクセとして生を享けたキミの“本来ほんとうの姿”だ」


「…え…。な、なにこれ…っ、私の顔は!? 純日本人の顔はどこ行ったの!?」


総毛立ったまま、寄越された手鏡に目を遣ると…そこには薄い金の長い髪と、明るい孔雀色の目を持つ別人が驚愕を浮かべてこちらを見つめていた。

はっきり言おう。

そこに映ったのは、想像していた自分の面影は全く見当たらない別人だった。

長い睫毛に、猫のような瞳孔をもつ宝石のように鮮やかな孔雀色のまなこ

いま、美しき純血統の魔女へクセの封印が解かれた。


「もう……顔が変わるとか………展開がファンタジーすぎるでしょ…」


「キミには“いかなる災いも跳ね除けて難を逃れられるように…”と古い魔封じが掛けられていた。容姿が変わったのは、それが解けたからだな」


思い切り西洋人チックな顔になって混乱するエマに、ハンクは更なる絶望という名の追い打ちをかけた。

しかし、エマはそれをものともせずに口角を上げる。


「…まさか顔が変わるだなんて思わなかったケド、それはまあいいわ。逆をいえば、魔力でもとの顔に変えられるのよね?」


頷いて応えるハンクに、エマは絶世のかんばせをギラギラしい悪巧みの色に染めてわらう。


「なら何も問題ないわ。それくらいのハプニングは想定内だもの。心置きなく叔母一家アイツらを地獄に叩き落とす準備ができるってもんだわ…」


そのは、爛々と復讐に燃えていた。


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