4 留学


 誰か私に説明して欲しい。どうしてこんな事になったのか。

 大体この方との思い出と言えば、ボートに乗せてもらってわんわん泣いて、みっともない所を見られたことくらいだ。私にとって黒歴史以外の何物でもない。


 それに一番大事な事がある。

「あの、私は子爵家の娘で、殿下と釣り合いが取れません」

 そうだ、のほほんと育った子爵家の次女の私に、王太子妃など務まる訳がないではないか。侯爵子息にも婚約破棄されたほどなのに……、それを思うとまだ胸が痛いが。


「ああ、それは大丈夫だよ」

 何が大丈夫だと?

「君は公爵家の養女になって、隣国に留学するんだ。公爵家一族だから何も問題はないだろう」

「養子とか、留学とか……」

(聞いていない、何も聞いていない)

「優れた教師陣を付けてあげるから、頑張るんだよ」

「いや、頑張れって言われても──」

「時々私も会いに行ってあげるよ」

 いや、そんな、もう決まった風にてきぱきと言われても、頭も心も追いつかないのですが。


「君ののんびりした感じが気に入っていた。私が留学している間にダヴィード卿に先を越されたが、婚約が無くなったようだし──」

 のんびりした感じが好きなら、この鬼の様なハードモードを、私に押し付けたりしない筈だ。

「あの時ボートを揺らして本当に悪かった。君が私の方に来てくれないかと期待したんだ。泣くほど怖かったんだね。泣き顔も可愛かったけど」

 そんなことをサラリと言って笑う。きっとこの方は鬼畜だと思う。



  * * *


 オルランド殿下と内々で婚約をして、すぐ隣国に送り出された。

 私はのんびりして優秀じゃなかったけれど、教師陣は優秀だ。

 礼儀作法、語学、王子妃教育、ダンス、そして学校。毎日が勉強だった。


 周りは皆知らない人ばかり。聞き慣れない隣国の言葉。優秀な教師に振り回される毎日。マリアやダヴィードの事など思い出す暇もない。


 くたびれ果てた頃にオルランド殿下が来た。

「やあ、頑張っているね」

 聞き慣れた故国の言葉が懐かしい。相変わらず爽やかな笑顔の殿下。

「はい、頑張っておりますわ」

 やけくそでお返事した。でも、本当に頑張っているわ、私としては。


「お土産を持ってきたよ」

 殿下が差し出したものは、お花とクッキー、もうひとつ四角い箱がある。

 開くと髪留めが出てきた。青い宝石を花のようにモチーフにして金の金具で装飾してある。お揃いのイヤリングも入っていた。

 殿下の青い瞳と同じ色だ。


 あの日買えなくて、想いと一緒にどこかに封印し忘れ去った、髪留め。


 この殿下の下さった髪留めを、殿下の色を、私は堂々と髪に飾れるのだ。この身に纏う事が出来るのだ。

 どうしよう、嬉しい。すごく嬉しい。

「ありがとうございます、殿下」

「気に入ったらつけて見せて。この国を少し案内してあげるよ。今日は街を歩いてみようか」

 侍女につけてもらうと「似合うよ」とにっこりされる。

 いやもう恥ずかしいし。


 殿下にエスコートされて街を歩きながら、この国の歴史や産業、文化などを説明される。海に面して作られた、水の集まる王都。高台に上がれば向こうに港が広がる。白い帆の帆船がいくつも浮かんでいるのが遠くに見えた。


「あの船に乗ると見知らぬ国に行けるのでしょうか?」

「行けるよ、世界は広い。東国からは色んな物が入って来る。船のある国は交易をして栄える。船乗りは船と資金が欲しくて国にやって来る、そして長い航海をして帰って来る」

「遠い国に行くのは大変なのですね」

「我が国にも海に面した綺麗な所はある。そうだな船を仕立てて遊びに行けるのもいいかもしれないな。綺麗な宿を作って、遊ぶ場所を作って」

「美味しい食事もあるといいですわね」

「そうだ、食べ物は大切だ。この街にも素敵なレストランがあるんだ。向後のために見学しておこうか」


 そう言ってオルランド殿下が連れて行ってくれたのは、広いホールのあるお店で格式もあるようなのだけれど、私達が案内されたのは別棟の個室だった。

「こんな所は初めてですわ」

 友人とカフェに行ったことはあるが、ここは窓辺に綺麗な花の飾られた明るいレストランで個室といえど広い室内には天井にシャンデリア、壁に絵画が飾られ、燭台やら大きな壺やらが置かれている。


 まだディナーには早くて三段スタンドにサンドイッチやスコーンやパイの乗ったアフタヌーンティーで、お酒ではなくお茶と一緒にいただく。

「この丸いパンに塗ってある赤いソースは何でしょうか?」

「それはトマトソースだよ。東の大陸から来てこちらで観賞用に栽培されているけど、この国で食用のソースが作られてね」

「まあ、遠い国から来てこちらで加工されたなんてロマンチックですわね。甘くて酸味があって香辛料が効いて、とても変わった味ですわ」

「君はそういう所にロマンを感じるんだね。実を使ったサラダもあるから今度食べに行こうか」

「はい」



「ああ、時間だ。もう帰らないと」

 楽しい時はあっという間に過ぎる。


 オルランド殿下を見送っていたら、涙がぽろっと零れた。

 いや、これはホームシックなわけで。

 殿下はとっても複雑な表情をしてから、私を抱きしめてくれる。余計に涙がポロポロと零れ出てしまう。


 殿下の手がすっと頬を滑り落ちて、顎を持ち上げられキスをされた。

「ヒック」

 涙が止まって、留まっていた一粒が瞬きでポロリと零れ落ちる。

「そんな顔を、誰にも見せてはいけないよ」

 彼は少し痛いような顔をして、ハンカチを顔に押し当てる。

「……はい」

 殿下のハンカチで鼻を押さえて目だけ出して見上げる。

「隠して──。また来るからね」

 くるりと殿下が背を向けたのを見てからハンカチで顔を覆った。

 何だか本物の恋愛をしているみたい。

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