獄徒召喚

式 神楽

第1話 出会い

 肉の焦げる臭いが充満する。死の散乱、足の踏み場もない程に満ちた狂気の荒野。

 肉塊と死骨の山、少年はそこで独り泣いていた。


 ぺちゃ ぺちゃ

 死体の上で響く咀嚼の音。鼻を啜り、流れる涙を舐めながら。脳を啜り、死血を舐める。

 小さな指で肉を引き剥がし、幼い牙で筋を引き裂く。静かな荒野で近づく足音にも気付かずに。

 少年は生きるため

 屍を喰らっていた。


 「童。悲しいのかい。」

 ぺちゃ ぺちゃ

 女の声に振り向くこともせず夢中で肉を貪る少年、見れば服と呼ぶにはあまりの粗末。擦り切れて汚れたぼろきれからは痛々しく浮き出た骨に血管。


 まるで人間としての振る舞いは無く、そこに居るのは餓えて獲物を食い千切る野生の獣。唾と血がそこら中に飛び散って、静寂の中必死に生きようと欲が暴れている。


 「…だれ。」

 女が手を引き屍肉を喰らうのを辞めさせると、少年は女の服にしがみついて肉を奪おうとした。

 側近の男が少年を引き剥がそうとするが女は無言で制する。小さな頭を鷲掴み自らの顔へと近づける。少年は希望の無い虚ろな表情、それとは反対に女の顔は笑っていた。


 「童。辛いのかい、失って絶望しているのかい。」

 それなら今、殺してやろうかい。

 凶暴な笑みが少年を抑え付ける。可哀そうにと側近の男が溜息を吐いた。誰だってその顔で微笑まれたら殺してくれと発狂するだろうと。


 しかし少年は生気の無い顔で女の目を見詰めたまま。重力に従って涙粒が幼い頬を撫で落ちる。

 「かなしく、ない。つらくも、ない。」

 女が落とした肉をゆらり惰性のまま拾い上げ、そのまま隠すように蹲ると貪るのを再開した。女はそれが妙に面白くて、自分を恐れない餓鬼に愉悦を覚えた。


 「童。では何故泣く、独りが寂しいのかい。それならほら、あやしてやるから来な。」

 「ちがうよ、ただ。」

 赤子にするように両手を広げて来いと促す女。少年は子供扱いされたことに恥ずかしさを感じたのか、そっぽを向いて下を向いた。少年は屍肉を喰うを止め、死地に静寂が戻る。ただ、と食べかけの肉を山から転がし女の方を見る。。


 「ただ、この肉がまずくて。」

 「……くはっ!気に入った。おい、私はこ奴を飼うぞッッ!」

 喰うに耐えない、だが生きるためには仕方ない。だから喰う。人だろうが、死体だろうが。屍肉を喰らう孤児など別段珍しくも無い。が皆一様に絶望しながら泣きながら、恨み怒りに身を染める。

 でもこの少年は違った。希望が無い、しかしそこには絶望も無い。ただ虚ろ、闇に染まって何も見えない。それがあまりにも面白おかしくて。


 首根っこを持たれてもが、ひょいっと持ち上げられて抵抗も意味を成さない。仁王立ちした女は側近に見せつけて元気に笑った。男の溜息が死地に溶ける。


 三人は生の奪われた戦場を後にする。一人は笑い、一人は苦悩し、一人は叫ぶ。

 これが出会いだった。悪魔と悪魔の運命が始まった日。

 

 女は笑った。今にも噛みつこうと叫ぶ小さな獣に、そして深く暗い闇を宿した幼い瞳に。



 第一話

 出会い



 早朝の寒空に白い息が溶けていく。待ち望んだ暖かい季節、まだ移り目の今日は少し肌寒い。

 胸の高鳴りは不安と期待のせいか、今日から学園生活の三年目が始まる。

 「はあ…。」

 

 窓の外はまだ薄暗さを残し、冷たい風が彼女の思い溜息を攫って行った。

 オルフェリア王国王都に門を構える王立魔道学園アルヴァは、約五百の生徒が通う五年生の高等学校である。その名は世界中に轟くほどの権威を持ち、アルヴァ卒業という称号はどの国でも優遇されるほど。


 そんな高名な学園に通うための条件はたったの三つ。

 一に、種性問わず入学時十五歳に達してあること。

 二に、生者として身分を認められた者であること。

 三に、魔法の才を有する者であること。

 たとえ過去に罪を犯した咎人であろうと、危険思想を持つ異常者であろうと、条の三つを満たした者であるならば学園は快い歓迎を示すだろう。


 ただ。三の条件を満たす者は極々限られた、所謂天才と呼ぶに相応しい者であることは言わずもがな。入学時に実施される実力査定に合格を許されるのは応募者の上澄みも上澄み。年一度、世界中から集まる数万という才能ある者から選りすぐられる。


 それが故、魔道学園アルヴァの品位は守られ権威は揺るがない。

 

 そんな傑人を育成する学び舎に席を許された者であるというのに、大きな溜息が尽きない彼女。本日魔道学園アルヴァ三回生への進級式を迎える少女、アリアンナ・ウォルグラッドは起床にはまだ早い智広がる朝に眉を顰めていた。


 「どうすればいいのでしょうか…。」

 屋敷から見える広い庭ではメイド達が忙しなく動き回っていた。寝間着に欠伸、自分の恰好を鏡に映し改めて彼女達には頭が下がる。小さい頃から身の回りの世話を任せて来た家族同然のメイド達に窓から朝の挨拶を落として部屋に戻る。


 丸二年ほぼ毎日と袖を通した制服は保護魔法によって保たれ、新品同様解れ一つも見当たらない。が、少し胸の辺りがキツくなったのは気のせいだろうか。


 「お爺様、おはようございます。」

 「おはようアリア。そうかそうか、今日からまた寂しくなるのう…。」

 いつもの通り祖父との挨拶を交わして朝食の席に着く。制服を見た祖父が顎髭を撫でて悲しそうな顔をする。というのも学園生活が始まれば寮へと戻りこの家へは帰らないからだろう。家族が離れて暮らすというのは誰だって寂しいだろう、もう三年目であるというのに未だ慣れない。まあ同じ王都内なのだからそこまで離れてはいないのだが。


 支度を済ませ玄関で見送りを受ける。馬車に乗る直前、足の悪い祖父が杖片手にアリアンナへと歩み寄った。手を取って優しく語り掛ける彼の顔は寂しさを抑えるようなとても優しく柔らかい。


 「アリア、気負わんで良いのだ。家のことは気にせずお前は学生として楽しんで過ごすのだぞ。」

 「…はいっ、お爺様。行ってまいります。」

 お辞儀をして別れの挨拶を済ませたアリアンナは車の扉を閉めた。見えなくなるまで窓から手を振り、目指す学園へと姿勢を正す。


 罪悪感が胸を閉める。大好きな祖父に嘘を吐いてしまったこと。優しく、そして聡明な祖父は全てを知っていながらも全てに気付いていないように振舞ってくれる。優しさに答えるために、私もまたあるべき自分を降る舞うのだ。


 十八歳になり成人と認められる魔道学園の生徒には、とある魔法を扱う資格が認められる。

 【魔徒召喚】

 それはこの世に存在する魔徒を魔力を媒介に召喚する、特定の者だけに許され使用には魔道者の認証が必要な高等魔法である。


 【魔徒】とは。人と亜人に大別される種族とは異なり、獣や虫と言った人から大きく離れた種族や、人の形をしながらも人格も意識言語も自我も持たない魔人や、魔力から生まれた妖精や悪魔等の総称。これが共通の認識として確立されている【魔徒】という存在である。


 魔徒召喚とはつまり人ならざる魔の存在を魔力の才溢れる人間が召喚し契約・使役することで、召喚者が並外れた力の行使を可能とする魔法なのだ。


 魔法を学ぶ者にとって魔徒召喚は憧れの対象。より力の強力な魔徒を使役することが叶えばこれから先の未来は明るく、そして弱者と蔑まれることも無いだろう。


 そんな心躍らせるものが学園に待っているというのに、そこへと向かう馬車の中でアリアンナは頭を悩ませていた。


 魔徒召喚は本来契約の時まで使うのを禁じられた魔法ではあるが、練習と称し自宅で試行する者も多い。勿論契約は魔道者の手引き無くては不可能だが、姿を見る程度は容易いのだ。それゆえ春休みの間、誰がどんな魔徒に魅入られたか等の噂は勝手に耳に入ってくる。


 ウォルグラッドは建国から代々続く四大公爵が一家、その名は国中で知らぬ者がいない。事故で両親を亡くした彼女は現在唯一の跡取り娘、それ故相応の振る舞いが求められるのだ。魔法実技も座学も成績は常にトップ。そんな彼女が半端な魔徒を召喚したとなれば家の名前に傷がつくだろう。悩むのは当然、しかし彼女にはもっと大きな問題があったのだ。


 魔法の才能は歴代輩出された生徒の中でも随一と称される天才、誰もが認める魔女になるだろう。

 それなのに、彼女はまだ一度も魔徒召喚を成功させていないのだ。


 学園が近くなるにつれて握る拳に力が籠る。こうして空いた時間にも魔力循環の鍛錬を行うほど尽くしているというのに、魔徒召喚の魔法だけ発現しないのだから溜息も大きくなるだろう。


 契約を行うのはまだ少し先の事、焦っても仕方無いのだがそんな彼女を追い詰める噂があった。

 ――シュザライン家の令嬢が上級悪魔を召喚したらしい。


 魔徒の中でも極めて攻撃的であり知力も有する悪魔。その中で悪魔を多数服従させるほど強力な力を持つ存在を上級悪魔と言うのだが、これを使役したのはこれまででも偉大な功績を遺した魔道者だけである。誰もが分かる才知の証明、それをライバルである同級生が召喚したというのだから。


 「お嬢様、門に到着いたしました。」

 御者の言葉にハッと意識を戻す。いつの間にか馬車は門の傍、重い腰を上げて車を降りる。

 鞄を持ち見送りに礼を言ったアリアンナは深呼吸して目を開けた。


 「悩んでいても仕方ありません。ウォルグラッドの為に…。」

 契約は同クラスの生徒前で行われる。実力順で分けられたものだ、おそらく他の皆も強力な魔徒を召喚するだろう。一週間後、それまで何としてでも発現させなければ。


 少女は意気込んで前に歩を進めた。聳える学び舎の偉大さが遠慮なく向かい風を突きつける。

 弱者は淘汰されるこの世界で家族を守る為に。



 「一週間……早すぎますっっ!」

 紙の匂いに包まれて心地よく薄暗い。放課後、アルヴァの生徒だけが使用を許された学園図書館で独り少女が小声で叫んだ。蔵書数万という膨大な知識が収められた図書館では分からないことを探す方が難しい。そんな学園が誇る叡智の結晶でさえ、彼女の悩みは晴らせなかった。


 新しく魔の園へと学徒を加え、恙なく日常が始まった。三回生として後輩の出来る事にはもう慣れたはずだったが、やはり下の代への見本となるための振る舞いにはいっそう磨きがかかる。


 進級して無事三回生となったアリアンナは始めの一週間学友の誘い全てを断り、空いた時間をこの図書館で過ごしていた。魔徒召喚についてありとあらゆる本を見漁って、失敗した時の対処法も発言しない時の原因解明方法も手当たり次第に全てを試した。


 そうまでしても尚、魔徒召喚が成功することは無かった。学園の規則を破り禁書に手を出しても、何故自分だけ召喚の魔法を発現させられないのか分からない。


 「なんで…っ。」

 声を殺して涙を零す。泣いて済むならどれほど簡単なことだったか。あまりにも重い期待が心を押しつぶす。どうせならそのまま心臓も止めてくれればいいのに。


 小一時間の後、腫れた瞼を擦りながら机に引っ張り出して来た本を片付ける。魔法を使って良いのならば楽なのだが、この図書館でそれが許されているのは司書を務める魔道者だけ。魔本も多いため仕方無いのだが、やはり思い本を数冊抱えて脚立に乗るのは不安定だ。


 辺りも暗く夜の闇が図書館を包みこみ始めていた。奥の奥、誰も踏み入れないような本棚に脚立を運んだアリアンナ。このあたりを選んだのは失敗だった、やはり人気が無いのにはそれ相応の理由もある。


 重いだけで中身の薄い魔本を何とか上の棚に戻した時、脚立から足を踏み外してしまったアリアンナは高いところからの予期せぬ落下で咄嗟に防護魔法を行使した。

 「ッ!!」

 流石成績優秀者と言うべきか落下の衝撃から身を守りつつ、脚立が倒れるのまで防いだ彼女は冷たい床に手を着いて起き上がる。


 その時ふと魔力への共鳴を感じたアリアンナはその方向に目を向けた。やはり魔本が反応してしまったのだろう、足元の本棚の一番端に淡く光る本を棚から引き出した。

 共鳴してしまった魔本は大抵中身がなってしまう。ページの配列が変わったり、文字が逃げ出したり。


 素直に司書へ謝り直してもらおう、そう決めたアリアンナが本をよく見る。

 「なんでしょう、これ…変な本。」

 皮づくりだと思うが今までに無い手触りで、質はあまり良いとは言えない。いつもはその程度ならば流してしまうのだが、何故かその本がとても気になってしまい椅子に座ってランプに火を灯した。


 血の様に少し黒みがかった赤をした表紙には奇妙にも題名さえ無い。ずっしりと重いがあった場所も場所であまり期待は出来ない。

 ページを捲ると古い紙の匂いが鼻を擽った。一ページには一言だけこう書かれている。


 ――魔に導かれる者へ、獄徒の鎖を解き放て


 「獄、徒…鎖?」

 何のことやらさっぱりな一文に怪しさが膨れ上がる。魔本ということもありこれ以上読むのは危険も伴う、がしかし彼女はもうどんなものでも魔徒召喚を成功させるために使う気でいた。


 ページを捲るたびそれを少し後悔することになる。この本は要約すると誰かの日記のようだ。出鱈目な妄想と日々が綴られた、もう何百年と前の日記。少しと言ったのは所々に古い魔法の手引きが記されていたこと、どれも現代で簡略化されて効率のよいものへと変貌しているがこうして元の陣を閲覧できるのは極めて貴重だ。


 流し目で読み最後のページへと行き着く。そこには日記では無く、ある魔法が乗っていた。またか、そう思いつつ目が離せない。知らない、分からない。どれだけ記憶を漁ろうとこの魔法の欠片も説明できないでいる。


 細かな文字を必死で追い、それを何度も何度も反復する。

 「凄い。」

 僅かに理解して実感する。これが人間の手によって編まれた陣なのか、緻密で狂気的なこの魔法は召喚魔法の枠組みに見た事の無いものが詰まっている。


 アリアンナは眼を輝かせていた。まるで初めて魔法に触れた幼き日のような沸き立つ感情を覚えている。その本の魔力のせいか、一日ならばれないだろうと彼女は本を寮室へと持ち帰ってしまった。


 真夜中、ようやく理解した魔法陣を床に刻んでいく。思い描いた道筋に魔力が流れる様はさながら芸術だ。複雑な魔徒召喚の魔法陣よりも更に複雑で、徹夜と不安でどこかやけくそなアリアンナは不敵な笑みを浮かべて陣を見下ろしていた。


 「ふふふ。これで、これで…。」

 毒スープをかき混ぜる魔女が如く、影がかった彼女が最後の仕上げに陣の中央へと血を垂らした。錫杖も無い今媒介に血を使わなければいけないが、傷もすぐ治せる。


 完成した魔法が本の表紙と同じ色に光る。召喚魔法ならこれが魔徒召喚の代わりになるだろうと、この時のアリアンナは正常な判断が出来ないでいた。


 「獄徒召喚ッ!」

 深い夜、寮の一室が魔法の光りに覆われた。一瞬の閃光の後、部屋中の灯りが消える。

 真っ暗な視界が揺らぎ微かな吐き気、これは俗に言う魔力欠乏の第一段階。初めて感じるその感覚に焦りつつ、念のためと化粧棚へ備蓄してあった魔力薬を一揆に飲み干した。

 

 成功か、失敗か。視界の奪われたアリアンナは逸る気持ちを抑えられず火を灯す。眩しさに目を細め、魔法陣の方を見たそこに。


 はいた。


 両手・両足が無惨にもがれ、頭と胴体だけが転がる。首には飾りというには黒くて武骨、家畜を縛り付けるような首輪。深く吸い込まれそうな宵闇色の髪は伸びっぱなしで顔を隠しているが、見えるその肌には鋭利な刃物で切り付けられた跡。


 それは達磨。


 声も無く後退ったアリアンナはベッドに膝裏をとられて転げる。驚きで足がふらついてしまった彼女は目の前の不気味を理解しようと大きく息を飲んだ。とりあえず、この奇怪な生命と呼べるかも分からない物体を消さなければ。

 

 「なあ。」

 「なッ!?」

 素っ頓狂な声が部屋に響いた。突然話しかけて来た魔徒(?)に思わず行使途中の魔法を暴走させてしまう。魔力の塊が衝撃波となって声を出した達磨へとぶつかり、その体を壁へと吹き飛ばしてしまった。


 「しゃしゃしゃ喋れるのですかぁあ!?」

 「当たりま、っつう…」

 「あ!す、すみません!」

 ゴンッと鈍い音とともに頭から床へと落ちた達磨がゴロンとうつ伏せに転がった。彼、と呼ぶのが正しいのかは分からないが掠れて聞き取りづらい声から男であろうことが分かる。


 ほとんどの魔徒には言語能力が無く、それを持つものとなると上級悪魔や精霊の類の中でも極々限られる。では目の前の物体がそうなのか、いやどう見ても転がっているのは人間の成り損ない。もしくは廃棄された人体模型だろうか。


 それは一先ず置いて、アリアンナは慌てて彼を抱えると仰向けにしてベッドへと寝かせた。邪魔そうな髪をかき上げてやると、やはりというか顔中に傷があり両目は黒く空っぽ。鼻は削ぎ落され穴が二つ。額はべっこりと陥没している。あまりの惨たらしい様相にえずいてしまうのを抑えた彼女はその傷が最近のものでないことを知る。


 今も尚酷い痛みに苦しんでいるだろう。だがこれは治してもよいものなのか、彼が何者かも知らないというのはあまりに危険。


 「あなたは一体…まずなぜ話すことが出来るのですか?」

 「何故ってなあ。ま。話したところでどうせ理解出来ねえよ。」

 生き物であると断言出来ない達磨は意外にも流暢に言葉を発す。問いかけに答えようとはせずただ床に伏せって息を吸っては吐くだけ。 


 「見たとこ俺はあんたに召喚されたらしいが…」

 「そう、なのですが。」

 不気味なそれをいち早く戻そうと返還の魔法を唱えるが全くの変化なし。やはり魔徒召喚とは違うのか、しかし当の日記本にも返還術式が記していないのだからお手上げだ。それに聞いていた話では魔徒召喚では対象の姿を留めておくために微力ではあるが魔力を消費するという、しかし今そんな感覚は微塵も無い。

 

 「なああんた、俺を解放してくれたことだ何でも一つ言うこと聞いてやる。そんで体を治してくれたらさらに一つだ、破格だろ?」

 へへっと苦しそうな声で男が提案した悪魔の契約に唾を飲む。本来の魔徒召喚で陣に現れた魔徒は召喚者に危害を加えることは出来ない、がアリアンナが使ったのは全く未知の獄徒召喚という魔法。召喚者への暴力不可の魔法が込められているとはいえ完全に安心することは出来ない。


 悩んでいる要因はただ一つ、朝までに本来の魔徒召喚が行使できなければまずいということ。そしてそうなれば目の前の達磨が出した条件を飲まなければ後が無いということ。であればここは、賭けだ。


 「私へ危害を加えないと約束できますか?」

 「命の恩人だぜ?そんなこと当たり前だ、他にねえのか。」

 口調は悪いが、悪人には見えない。さも当然とした約束に絶対は無いが、アリアンナはどうしてか疑う気になれなかった。だからだろうか、誰にも、大好きな祖父にさえも相談できなかった悩みを打ち明けたのは。言葉として吐き出した彼女の身にかかる重圧を、達磨は口を挿むことなく最後まで聞いた。


 「…明日が契約の日です。もう一度授業の前に試してみますがそれでもだめだった場合、魔徒の代わりになってもらいたい。それが私のお願いです。」

 切実な願いだった。目を閉じて懇願する彼女に達磨は優しい言葉を、

 「無理。」

 かけると思ったがそれは過ぎた願いであった。この世の終わりという顔で落ち込むアリアンナは部屋から駆け出そうとする。


 「おい、待て。最後まで聞け。」

 手で引き留める事も出来ず、ベッドの上から仰向けで声を飛ばす達磨。アリアンナは鼻を啜りながら戻りベッドの上へペタンと座り込んだ。


 「魔徒とやらの代わりをずっとするのは無理だが、少しの間で良いなら契約しよう。お前が召喚できるまでの短い間だったら代わりになってやる。どうだ?」

 「良いのですかっ!」

 先ほどまでの消沈した彼女はもういない。話が決まったのならとはしゃいだ彼女は早速体を治そうと治癒魔法の行使に取り掛かる。


 「おい、聞いてたか少しだぞ?どうせすぐ使えるようになるんだろ、なあ??」

 「はいっ!!」(多分っ!)

 元気な返事をするアリアンナに達磨は未だ心配が拭えない。だが体が治れば後はどうとでもなる、約束も終わればようやく自由の身が待っているのだ。


 癒しの光りが達磨の体を包んでいく。柔らかく温かい魔法が顔の傷を治し潰れた喉を修復していった。

 「あの、私でも流石に完全には治せるかどうか。」

 「それは心配いらねえよ。」

 四肢欠損レベルの重体を治せる治癒力を持った魔女など一流の中でもいるかいないかだろう。しかし元より効果は最低で良い、治癒の力を少しでも与えられれば自然治癒力が働いて手足など生えるのだから。


 肩から下と太腿から先が驚異的なスピードで隆起していく。まるで高速再生するかのように気が付けば指が五本綺麗に生え揃っていた。

 「ぅ゛あ゛あ゛~生き返るぅ…。はは、しっかし久しぶりだっつうのにまだ夜か。」

 両手両足が再生し、声も元のが戻って来た。両目も世界を捉えている。再生した両足で床を掴み歩き回る。窓にかかるカーテンを捲り外を見るが世界は宵の中。


 「ま、こっちは取りにいかねえとな。」

 その呟きはアリアンナにも聞こえていないだろう。しかし仮とはいえこうして五体満足というのは何ものにも代えがたい。湧き上がる喜びに久しく上げていなかった口角が引き攣られた。


 「あの…」

 「感謝してる。安心しろ、約束守るぜ?」

 「いえ、そうじゃなくて…。」

 一緒に喜びを分かち合おうと彼女の方に向き直ったが、何故か後ろを向いてか細い声を吐いたまま。どうかしたのか、もしかして今になって自分を救った召喚魔法とやらの副作用でもきたのだろうか。

 命の恩人への感謝はいい加減に出来ないと、彼女の肩に手をかけ心配そうに顔を覗き込んだ。と、彼女は一層体を屈めて叫ぶ。


 「ふ、ふふ服!下、何か服を!!」

 耳まで真赤にした彼女が甲高い声でそう叫んだ。そう言えば素晴らしい解放感がある、と下を見ればぼろ下着は再生に伴い張り裂けて形を保っていないではないか。しかし困った。彼はもう一度アリアンナの肩を叩く。


 「き、着ましたか!?」

 「いや、俺魔法使えねんだ。悪いけど服着せてくれ。」

 


 「はぁ、はぁ。」

 別に勘違いさせるつもりは無いから言うが俺は断じて彼女を襲ったりはしていない。


 荒い息は単なる疲れから。視界を覆い隙間から体の寸法を測りながら服を身繕ってもらったわけだが、それでも刺激が強かったのか余計に魔力と体力を消耗してしまったようだ。

 特別凝った意匠は無く、とはいえ様々な注文は付け加えた至ってシンプルの見た目な黒いシャツに黒いズボン。着古した感じを出すためにわざとダボっとした緩さを出した魔法の一品だ。


 「ははん。いーね、いつもこんな感じだったからしっくりくる。」

 これがいつも、とアリアンナが少し引いてしまうのは無理もない。靴は要らないと断られ、手には黒手袋。髪色と同じ深い闇を身に纏っている彼は怪しさが半端ない。それに極めつけは緩くあいた首元に嵌る首輪、外せないとは言っているがあれが一番特殊に映る。


 「あのまずは私の約束を聞いて頂きありがとうございます。私はアリアンナ・ウォルグラッド、ここ魔道学園アルヴァに通う…」

 「まてまてなげえ。真面目なアリアンナ、アリアな。俺は、そうだなアル。アルって呼べばついてくよ。」

 ご丁寧に立ち上がってお辞儀をするアリアンナをベッドに座らせる。元達磨、アルと名乗った男は床に胡坐をかいて名乗ると大きな欠伸をした。


 「アル、さん。」

 「さん、なんてつけられたことねえや。」

 「ではアル、と呼びましょう。色々と聞きたいことはありますが、まずこの本はご存じですか?ここに書かれた魔法であなたを召喚したのですが。」

 そう言って見せたのは召喚陣の書かれていた血色の本。ページを少し捲り日記の部分をアルへと見せる。すると彼は摘まみ上げるようにアリアンナの手から取るとどこか懐かしむような表情で眺めた。


 やはりアルの日記なのだろうか。そう思ったアリアンナに日記本が返される。

 「俺んじゃあねえな。持ち主は知ってるけど見たのは初めてだ。」

 「っ!持ち主を知っているのですか?」

 彼のものでは無いと知り落胆で終わると思ったが、持ち主を知っているという。思わず詰め寄って興奮してしまうのはこの本の筆者を是が非でも知りたいからだ。


 「教えて下さい、この本は誰がっ、」

 「教えても良いが単なる日記だぜ?」

 違う、知りたいのはそこでは無く魔法についての記述だ。そこには紛れもなく今は改良されて遠い原初の魔法たちが眠っている。どんな歴史魔導書にも書かれていなかった知識の結晶、魔を修める人間としてこの本は何よりも価値がある。


 どうしても知りたいと懇願するアリアンナはアルを床に押し倒す勢いだ。

 「わーった。けど名前だけ、な。これを書いたのは、ギルバリオンってじじいだ。ほら、言ったぜ。」

 「…聞いたことの無い名前ですね。ありがとうございます。」

 高名な魔道者であると踏んでいたがかすりも聞いたことの無い名前で再び落胆する。


 「ま、昔も昔の人間だしな。」

 「大昔の…なぜそれをあなたは知っているのですか?」

 「名前だけ。言ったろ、先は知る必要もねえさ。」

 それ以上は聞き出せそうにない。アルは黙って立ち上がると壁へともたれて目を閉じた。

 静寂に包まれた部屋、沈黙が気まずさを助長する。

 

 「あー…そうですね、髪!髪を切ってあげましょうか?それでは前が見づらいでしょう。」

 空気を換えるため話題を反らす。アルの伸びっぱなしの髪は何年も切っていないという次元に在らず、埃っぽくて土臭い。それに後ろは腰元、前は口のすぐ上まで伸びた髪を放っておくには耐えがたい。

 

 アルは別に良いと抵抗したが強引に座らされる。アリアンナは化粧棚から手早く散髪道具を引っ張り出して準備を整えた。手先は器用だと言うがほんとだろうか。


 無言の時間が過ぎ去って少し。魔法での散髪は幼い頃から自分でやっているため慣れっこだ。

 「おお、良い感じ。昔みたいだ!…どうした?」

 「あ、いえ。なんでもありません。よく似合っていますよ。」

 鏡越しにアリアンナに話しかけるがすぐに顔を背けてしまう。切り落として床に散乱した髪を魔法で纏め、アルの顔と頭をついでに風呂上りのように整える。


 ズタズタに引き裂かれていた時には分からなかったがアルは端正な顔立ちをしていた。そこに少し孕んだ闇が彼を魅力的に映し出す。気づけばそんな男と部屋に二人きり、急に意識してしまったアリアンナは恥ずかしさを見せないように顔をそむけたのだった。


 湯浴みも終わり長い一日を終える。今日は大変な日だった。それに長い不安が一先ず晴れて身体がほぐれていくのを感じる。久しぶりにぐっすり眠れそうだと洗面所のドアノブに手を掛けた時、ふと思い出す。そう言えばアルが寝ているのだった。ベッドに、男が。


 心を落ち着けながら暗い部屋へと足を潜ませる。大丈夫、何も無いと何度も心で念じて深呼吸を。

 コツッと足先に何かが触れた。まだベッドには遠いその場所に目を凝らして見ると。


 「何、しているのですか?」

 「すー、すー。」

 問いかけには寝息が返答をした。気持ち良さそうに眠る彼は床の冷たさなど気にしていない様子で寝返りをうつ。

 つい癖が出たアルは床で蹲り、既に寝息を立てて夢を見ていた。一瞬で高ぶりの冷めたアリアンナはふかふかの枕に頭を埋めて静かで安らぎの眠りに落ちた。



 「じゃあ俺ここに居るから。」

 そう言って床の上で胡坐をかいたアルの見送りを受け登校する。眠そうな顔で手を振る彼を思い出し、昨日はとんでもないことをしたのだと今になって実感してきた。公爵令嬢の身でありながら、寮の自室で成人男性を飼っているなど。しかも自分が着けたわけでは無いが、首には主従の証。


 「もしかしなくても良くない状況なのでは…。」

 今日が終われば、と長期休暇の時から心を埋め尽くしていた不安が本来冷静なはずの彼女を狂わせていた。今になって思う、何が獄徒召喚だ。四肢も無い、目も鼻も無くて傷だらけの男を召喚して。


 足を止めたアリアンナの思考が一気にクリアになっていく。よくよく考えたら、いや考えずともおかしいだろう。それに最悪だ、すでに取引をしてしまった。

 溜息を噛み殺し後悔に頭が痛くなる。小さい頃からの悪い癖だ、何かに夢中になると周りが見えず目的だけのために突っ走ってしまう。


 とにかく放課後、あのアルという男から全てを聞き出そう。獄徒召喚という魔法のこと、どうしてあんな怪我を負っていたのかということ、何故平然としていられたのか、などなど尽きない。


 溜息が深くなる。心配事を失くそうとした行動が新たに、そしてさらに厄介な心配を運んで来た。

 しかも魔徒召喚の心配も一時的になくなっただけ、彼との約束は本来の魔徒を召喚するまでの短い間のみ。結局今していることは現実逃避であり、いつまでも逃げ続けることは出来ないのだ。


 「おはよっアーリア!」

 「ミーナ、おはよう。」

 丸まっていた背中が叩かれて伸びる。快活な声が悩みを吹き飛ばし、果実のような爽快な匂いが不安を取り払ってくれる。小さい時から仲良しのミーナだ。いつも笑顔を絶やさない可憐な彼女はシュバインスタット伯爵家の令嬢で、社交場でも学園でも彼女がいたから楽しくいられた。


 「良かったぁアリア元気になったみたいで。」

 「…ばれていたみたいね。今はもう大丈夫、ありがと。」

 やはり彼女にはなんでもお見通しのようで、ずっと心配をかけていたのが申し訳なく感じる。しかしまた新たに抱えた悩みは言えるわけがないし、ばれるわけにもいかない。


 建物を目指し二人歩く。学園では家柄もあり二人ともちょっとした有名人だ。ミーナにいたってはその性格から下の代にファンクラブまで存在する、という噂だ。


 下級生の挨拶へ答えつつ談笑しながら向かった教室はいつも以上に賑やかだった。十五人という少ないクラスではあるが今日の一大イベントのこともあるのだろう、皆その話で持ちきり。もう待てないと浮足立っている。


 「おはようございますアリアンナさん。」

 後からの声に振り返った二人。透き通るような声の主は美しい藍色の髪に触れて軽くお辞儀をした。

 「おはようございます、シェイリーさん。」

 同じ四大公爵が一家グラミアの令嬢であり、アリアンナの長年のライバルである。特段仲が悪いわけでは無く、むしろ長い付き合いであるミーナ含めて三人は幼馴染なのだ。がしかし同じ公爵家で同じ歳ということもあっていつも競争してきた。


 ずっと僅差でアリアンナが勝利してきたことから彼女はアリアンナに猛烈な対抗意識を燃やしており、そして今回は勝ったと確信をしている様子だ。それも当然上級悪魔を召喚したというのだから今回ばかり分が悪い。未知の凄まじい魔法で召喚したアルもあの様子ではあまり期待はできそうにない。


 「アリア大丈夫?」

 「ええ。なんとか、ね…。」

 大丈夫とは言えない顔でミーアの心配に笑って答えた。彼女も聞いた話によると精霊を召喚したようで置いてけぼりは自分だけ。


 「はいはい静かに授業始めるからね。」

 一限目の予鈴とともに担当の魔道者が場を制す。まずは王国史の授業、そして二限目に魔法実技の

授業が待っている。アリアンナは教科書を広げて板書に目を向けた。


 授業も半ばを過ぎ、三回生になって王国史は戦争の話へと遡る。

 「一回生で学んだように今から約四百年前、我々が暮らすこの地では壮絶な戦争が起こりました。」


 天歴2041年

 千年以上続いた悪魔侵攻が終焉を迎え、それからおよそ半世紀経ってなお世界は荒み廃れていた。

 病、飢餓、殺人。奪い、奪われるが常の退廃に人は生へと縋りつく。まさにこの世の終わりと言えるだろう、そこ救いは無かった。


 天歴2050年

 後に救世の女王と呼ばれる者が国を興す。八人の同志は八王と呼ばれ、人々に恵と生を与えた。

 誰も見た事の無い魔法を使い、人を導いた彼女は魔を導く者。魔道者と称えられた。


 天歴2060年

 僅か十年、ここに現オルフェリア王国の土台が完成する。瞬く間に栄えたこの国を世界が認めるのはそう遅くなかった。繁栄は魔法と共にあり、それは人々の生活の一部と溶けていく。


 これが魔国と呼ばれしオルフェリアの歴史である。


 「今言ったのはとても簡素なもので歴史書のごく一部であるのは知っているでしょう。ではおさらいです、ここには記されていない重大な出来事が一つ。それは何か、分かる人は挙手を。」

 カツカツと走らせていたチョークを置いて、板書を指さしなぞった先生が皆に問う。簡素な歴史表ではあるが大まかな建国については板書の通りだ。しかしあることが抜けている。


 「はい。」

 「早かったのはウォルグラッドさん、どうぞ。」

 手を挙げたのはアリアンナとシェイリ―の二人。僅か先に手を挙げたアリアンナが起立して答える。


 「天歴2050年から60年の間には一度大きな戦いがあったと聞いています。」

 「正解です。よく覚えていましたね。既に名前だけは習ったと思いますがこの十年の間にはある大きな戦争がありました。」

 座るアリアンナに後ろからシェイリ―が悔しそうな目を向ける。当然だ、王国史は他教科含めた中でも得意な科目。先ほどの仕返しに得意げな顔で返したアリアンナは先生の話に身体を直した。


 「【はざまの戦い】として刻まれた暗き過去、皆さんが知るのは触りのほんの一部でしょう。」

 誰かが唾を飲む音が静かな教室に鮮明な響きを与えた。興味津々と、教壇に立つ魔道者へと目が釘付けに離れない。


 「では…と残念、今日はここまでのようですね。号令を。」

 えー、と珍しく続きを望む声が上がった。退屈な王国史のはずだが、皆やはり口には出さずとも暗い過去というものには興味惹かれるのだろう。


 しかしすぐにその興味はかき消され、次の興奮に上塗り潰された。二年と待ったようやくの時、ついに魔徒召喚の時間だ。


 ガラァッ

 と勢いよく音を立てた教室の戸が開かれる。魔法実技の授業は週に一度、今年度に入ってからは初めてだ。つまり彼女と会うのはこれが最初となるわけだが、誰もが知る彼女は学園内でも有名人。

 「おめえら、準備できてるかあ?」

 魔道者とは思えない粗暴さに崩した服装。まくり上げた腕は逞しく、ナイスなバディに男子生徒だけでなく女性徒でさえ目を奪われる。魔道者ロザリオ・ゴッドレック、三回生からの魔法実技を担当する彼女は学園最強とも囃される。


 「錫杖持って第二演習場に集合だ。お待ちかねの召喚式、始めるぜ。」

 ニカッと歯を見せて笑ったロザリオが教室を後にする。残された生徒達も興奮に目を輝かせながら各々錫杖を手に教室から去って行った。


 

 「よしっ、はじめっか。」

 人目につくことの無い学園裏の広場。第二演習場として整備されたそこには魔法実技ようの結界が張られ、多少の魔法暴走があったとて問題の無い場所だ。

 ロザリオの言葉で皆周りを伺い始める。待ちに待ったとは言え、最初の一人になるのは皆躊躇しているようだ。そこで一人、自信満々に手を挙げたのはやはりシェイリー。


 「おおグラミアの、氷姫か。」

 「あのそれはちょっと…んんっ!いきます。」

 演習場中央、補助として万一のことがあった時のため隣についたロザリオがシェイリーを異名で呼ぶ。当の彼女は恥ずかしさに一瞬頬を赤らめるがすぐに殺し、最大集中で魔法陣を練る。


 「錫杖にありったけの魔力を込めて。」

 本来魔法を行使するのに特殊な道具などは必須では無い。錫杖を使うのは魔力効率を上げるため。契約の術式が練られた魔徒召喚は魔力消費がとてつもなく大きい、そのため行使するにはこの学園に保管が義務付けられた錫杖が無ければ実質不可能なのだ。


 「魔徒、召喚ッ!」

 目を見開いたシェイリーが力強く唱えた。錫杖の先埋められた魔石に膨大な魔力が収縮し、彼女の目下地面へと魔力が這って陣を描き始めた。紫色の光りが妖しさを醸し出す。


 一瞬の眩い閃光の後、突如空気に重量を感じた。押し潰されるような圧迫感と本能を握る支配感。


 全員の視界を奪ったのは、恐ろしいほどの純白だった。

 背に広げた六対の大翼が悪魔の降臨を告げる。二つの関節に折れた長い両腕には、黄金色に輝いた光の環が嵌められている。美しい、その言葉ですら不敬だと言わんばかりに支配的な白が陽を反射していた。


 顔の無い白美は空に浮いて地を見下ろしている。驚いていないのは彼女だけ。

 誰に言われずとも理解させられた、彼女が召喚したのが紛れもない上級悪魔であることを。


 「やるな氷姫。最後に上級悪魔と契約した奴は何年前のだったか、まいいだろ。さっさと済ませちまえ、そいつはもうお前のだ。」

 ロザリオの言葉に頷いたシェイリーが悪魔の胸に手を翳す。悪魔の全身から彼女の手へと光が移り、ついには悪魔の体を取り込んだ。契約の儀式は終了し、正式にシェイリー・グラミアは上級悪魔と契約した稀有な人間へと成ったのだった。


 自慢げな表情でシェイリーがアリアンナを一瞥する。勝ち誇った顔も仕方ない、あれを見せられれば誰もが負けを認めるしかないだろう。それほどまでの絶対的な威圧があった。


 シェイリーの召喚を終えて次は次はと皆が続く。

 ある者は身の丈を超すほどの四足獣と、ある者は羽を生やして辺りを飛び回る悪魔と、ある者は愛くるしい子供の姿をした魔人と。同じものは無く、皆様々の魔徒を召喚し契約を結んでいった。


 そして残るはアリアンナだけ。一つ前、ミーアの召喚したのは掌に乗るほど小さな人型の妖精だった。上級悪魔と並んで珍しい存在に沸き立った雰囲気はそのまま。アリアンナには大きな期待がかかっていた。入学より主席を貫き、魔道者の中でも彼女を天才と持て囃す者は少なくない。


 そんな彼女は一体どんな、その重圧がいっそう彼女を押しつぶす。

 (一か八か魔徒召喚をするべき?いやでも失敗したら…)

 深呼吸しながら眉間に皺を寄せたアリアンナが手を震わせる。錫杖を持つ手に力が籠る。


 「いいぞ。」

 ロザリオの声に後押しされ、既に戻れるところには立っていない。

 既に半分は諦め、そしてやけくそだった。どうにか誤魔化せればと目一杯に魔力を込める。


 描く陣は習ったものでは無く、昨夜何とか読解した魔法陣。血色の光りが結晶の先を染めていく。

 ウゾウゾと蠕動するが如く這いずった魔力が召喚陣を成していく。今までにない光景に誰もが口を開け、驚きの言葉さえも飲み込んでいた。


 それは禍々しく、爛れるような熱を孕む。

 「獄徒召喚…。」

 アリアンナが詠唱を吐いた。囁くように蕩けるように。


 まただ、全魔力を根こそぎ持っていかれる感覚に視界がぶれる。その上前回より強く魔力の欠乏を感じ映る世界が横倒しになる。終には立っていることさえままならず、咄嗟に反応したロザリオによって肩を抱えられることになった。


 「あ、れぇ。せんせ、?」

 ぼやけていた視界が徐々に明瞭になっていき、ロザリオの胸の中彼女は何かから目を離さない。呂律が回らない、思考もはっきり働こうとしない。何が起こっているのだろう。彼は、アルは召喚できたのだろうか。


 と。そんな不安をかき消すように、静寂を打ち破る楽しそうな声がした。

 「元気そうだなアリアンナ。ははぁっ、お喚びかい?」

 けらけらと、皮肉を口にする。晴れた視界に映る彼は歯を剥き出しに、アリアンナを覗き込むようにしゃがんで首を傾げて。

 凶暴な笑みを浮かべていた。 

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獄徒召喚 式 神楽 @Shiki_kagura

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