5話 知らなかった世界


「お前、そんなバカなこと考えてんの?」


 エイダンが、隣のベッドに寝ころがって壁に何かを書いていた手を止めて、ふりかえり言った。


(──俺はお前の行動が全てバカなことに見えるよ)



 アナスタシア独立院では、5歳になる年に個室にするかを選べる。

 1月の大変な行事が終わると、その話になるのだ。

 俺が個室にしようと院長さまに伝える前にエイダン達がやって来て、気付くと2人部屋になっていた…………なにも思い出したくない。



「学園でいろんなことを学ぶから、働く力が上がるんだぜ。学園に行かずに働いても良いけど、お前の言ってることって、学園に行くよりお金を稼ぎたいってことだろ? でもお金を稼ぐつもりなら、学園でお金を足したり引いたりとか、まずは学んでこいって言われた。俺はよく院を抜け出して王都の街を歩きまわってたんだけど、繁盛してんなって店の主人は、王立学園に行ったあと職業学校にも通ったって言ってたしな!」


 ペラペラと話すエイダンの内容は、俺には驚くものだった。


「だから俺は学園に行って勉強をしっかりやって、自分の店を持つんだ。そしていっぱい稼いで、いつか俺の船を持って外の世界にも商売しに行ってみたいんだよ!! そのために海の領地に来たんだっ」


 カッハー! と変な雄叫びをあげて、ベッドの上でもだえている。





「ね…………エイダン、ふね、なに?」


「えっ!」

 ガバッと起き上がって、ウソだろ? とつぶやくエイダンを見て、俺は少し困ってしまった。



 *****



「ほら! あれが船だよ、小船だけど」


 エイダンが指さす先に、棒のような何かを動かしている人が1人、川に浮かんだ何かに乗っている。……あれが船。


 足が勝手に数歩動いて、川に近づいてしまう。


 俺は小船にも驚いていたが、川が大きすぎるのに目を見張っていた。

 独立院のそばにも川は流れているが、膝下くらいの深さだし数歩進んだら向こう岸だ。

 この川は……広い。



 エイダンがつぶやく。

「海の領地にいて船を見たことないって、なんか不思議だな。王都はちょっと歩けば小船を見るから、どこもそんなもんだって思ってたよ」


「で? アンタの好きな船はどこにあんのよ?」

 ふり向くと、エイダンを横目で見る姉のエイブリンが立っている。


「ねーちゃん、あれは海に浮かんでるんだってさ。川じゃねーの。それに海は魔の森を抜けなきゃなんねーから、滅多に行けねーし見れねーんだって。金持ちになったら行けるさってほとんどの人に言われた」


「川と海の違いも分かんないから、どんだけのものか全ッ然わかんないわー」


 うしろで姉弟のいつもの言い合いおしゃべりが始まった。


 俺は少しだけそんな2人のやり取りを聞いたあと、もう1度、川のほうへ顔を向けた。広くゆるやかに流れる川を見つめながら、ふとエイダンの行動力を思い出して驚きで頭がクラクラしてきた。


 エイダンは船を知らないと俺が言ったその日の夕食のあと、忙しい院長さまがいなくならないうちに捕まえに行き、船を見に行っても良いかという話をしていた。

 しかも許可を得やすいように、自分の姉さんまで巻き込んでいて、いつのまにか申告書というものまで書いてもらっていた。


 その内容は、彼女が見張り役として付いて行くことや、ほかに寄る店や帰宅時間などだと部屋に戻ったあとエイダンは教えてくれた。こういう交渉ごとは相手が安心するように詳しく正直に書くと上手くいくものなんだってさ、と軽く付け加えて。

 そして初めて船を見に行く日は、その翌日と決まったのだ。



 今は2月の初めの週で、だいぶ寒い。鼻の頭が痛い。

 独立院一帯はあまり寒くないので、これもびっくりだ。

 こんなに必要なときに、おしゃべり茶髪の女の人は現れないし、なによりエイダン達が来てからは、本当に姿を見ない。


 今朝、防寒術をかけてあるフード付きのコートを着て玄関にいたら、アナスタシア夫人が保温術をかけてくれた。身体がポカポカして助かる。



 ああ……なんか、ちゃんと伝えたい。

「エイダン、すごい。ぼ、俺、独立院、出ない。今日、良かった」


 俺はエイダンと彼のねーちゃんのエイブリンに向き直って頭をさげた。


 そして頭をあげて、「2人、とも、ありがとう」と伝えた。……うん、言えた。



 ……するとエイダンとエイブリンが顔を真っ赤にして、口をパクパクし始めた。



 この人たちって、本当に、よく分からない。

 軽く首をふって歩きだそうと身体を動かしたところで、エイダンが叫んだ。


「お、お前って笑えたんだなっ!」

 そして全身をワシワシ掻きだした。

「うひーマジでヤベー、俺の初恋がよみがえるかと思ったわ……」


「いや、あれはホント。グググ……ウィルくん、キミの甘い笑顔は一生の宝として、私の記憶の中で何度も復活し、でられることであろうよ」


 エイブリンねーさんは、目を閉じて両手を握りしめて、ワナワナと震え始めた。





 ──気持ちワルッ!──

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