起動


 ↵


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「え、なんだ? なにこれ」

 目が覚めると、暗闇で、挟まれていた。


 南極とか北極でクレバスに挟まる話を思い出す。体がふたつの壁で挟まれて、宙に浮いている。

 壁は固く冷たく、鉄とプラスチックの中間のようだ。

 腹と胸が圧迫されて挟まっている。

 両手は動く。左脚も動く、しかし左脚は挟まれている。


「大災害……でも起きたのか?」


 記憶がない。そもそも最近の生活の記憶も曖昧だ。ほとんど自動機械のように生きていた。食って働いて寝て。

 それでもこんな場所に落ちる記憶は残りそうなもんだが……頭でも打って、忘れてしまったのかもしれない。頭を怪我しているなら危険だ……怖いな。


「どうしたらいいんだこれ」


 とりあえず脱出したい。

 でも……どこに?

 雪のクレバスなら地上に戻るのが正解だろう。しかし俺には記憶が無い。どこへ戻るべきか。上か下か、あるいは亀裂に挟まれたまま横移動が正解の可能性もある。

 探ろう。五感を意識しろ。分析しろ。

 触覚……壁は滑らかで硬い感触だ。大きなものが歪んだような湾曲がある。土の中にいるわけではない。

 味覚……壁は無味無臭だ。人工物なのか? 建物の中かもしれない。

 嗅覚……湿っぽい。ガスなどの危険な臭いはない。

 聴覚……なにも聞こえないな。

 視覚……真っ暗でなにも分からない。いや、下が明るい?

 自分の体が邪魔だったが、首を伸ばすと真下が見えた。

 亀裂の先に、明るい空間がある。


「下に行ってみるか……」 


 幸い、壁が滑らかなので体が削られるということはない。力をこめれば、挟まれていた腹と肩が外れる。脚も抜く。

 壁は歪んでいるので体を通せるほど広い空間もある。なんとか下へ進めそうだ。こういうアスレチックのテレビ番組があった気がする。背中と手脚で壁をつきながら下っていく。


「俺、頭イイ~」


 あまりの異常事態にハイになっているようだ。頭がスッキリ冴えてて気分がいい。恐怖もなく冷静だ。

 最近は脳みそが壊れたみたいにボーっとしていたのに、やけにまともに思考できている気がする。


 ↵


「いてっ」

 亀裂が終わると、数メートル下に床が見えていたので、最後は落ちた。……あまり怖くなかったな。


「なんだここ? 研究施設?」


 学校のような病院のような、もっとゴチャゴチャした感じだ。アセンブルコアでこんなデザインの開発研究施設を見たことがある。非常灯のような小さなランプが点在しているので、真っ暗ではない。

 災害のあとみたいにグチャグチャ。あちこちの天井が落ちて床に垂れている。廊下にいきなり壁がせり出している。

 見渡す限り、安心には程遠い環境のようだ。

 だがひとまず体は自由になった。

 遭難したときはじっとしているのが正解だと聞いたことがある。でもそれは捜索隊が探しに来てくれる場合の話だろう。こんな大災害っぽい地下では望み薄だ。

 ということで、歩き回ってみることにした。

 脱出できる道はあるか?

 役立つ道具はあるか?

 食べ物や飲み物はあるか?


 ↵


「わからん」

 よく分かりませんでした。いかがでしたか?

 正直、どの道が安全な場所につながっているかなんて分からない。だって謎の研究施設だし。瓦礫まみれだし廊下とか潰れてるし。

 とりあえず鉄パイプを拾ってみたが、完全に小学生のエクスカリバーの気分だ。猛獣がいるなら役立つだろうが、ここは無人島じゃなくて地下だ。微妙。

 食べ物は無いが、水はある……鉄臭い水たまりが。割れた天井や壁から漏れ出している。腹を壊しそうなので、飲みたくない。

 いまのところ腹が減っていなくて、元気なのが幸運だが……

 腹?

 いまさら気付いた。

 俺は全裸だ。

 なんだこのムキムキ腹筋シックスパックは?


「ここで驚愕の事実」 


 気付いた。俺の体がおかしい。

 俺の体が、俺の体じゃない。

 こんな高身長と筋肉のナイスバディ、俺は知らないぞ。


「俺は知ってるぞ。ズバリ、異世界転生だ」


 アニメとかぜんぜん見なくなってたけど、聞いたことはあった。

 考えてみれば納得できることがある。

 俺はこんな場所に来るはずがない。そんな生活をしていない。毎日毎日ずっと同じ行動をして生活していた。生活圏に地下街や大きなビルは無かった。大災害にあって落ちたり閉じ込められたとしても、この状況に陥ることは考えにくい。

 そして身体能力。壁に挟まった状態から抜け出すのもそうだし、瓦礫まみれの中を歩き回って全く疲れていない。足の裏も怪我一つ無い。丈夫過ぎる。全く別の肉体に生まれ変わっているらしい。

 そして最後に、頭がスッキリしていること。

 おそらく俺は不摂生な生活のせいで死んだのだろう。鬱でいつもボーっとしていて、コンビニ飯ばかり食っていて、病院に行く気力も無かったのだ。脳にも胃腸にも違和感があった覚えがある。

 だが今はとても気分がいい。元気だった頃とくらべても、頭の回転が良くなっている気がする。試しに暗算をしてみると、3桁の乗算が軽くできた。脳みそまで高級品に生まれ変わってるのか?

 恐怖も感じていない。安全を求める欲求はあるが、この状況に立ち向かう気力がどんどん大きく湧いてくる。


「せっかく生まれ変わってるなら、死なないように頑張るかあ」


 かなり過酷な転生だが、むしろテンションが上ってくる。高難易度ミッションに挑むような気分だ。

 親孝行できないまま両親が早逝したような憂鬱な記憶も「まあ前世のことだし」で気にならなくなっている。転生前は陰気な性格だったが、強靭すぎる肉体に引っ張られているのか、前向きな気分だ。

 廃車寸前のボロ自動車からいきなりバリバリのスポーツカー乗り換えたら、そりゃ快適だしテンション上がるわな。

 全てから解放された俺はすがすがしい気分で歩きだした。


「まずはパンツが欲しいな」


 全てから解放された俺はブラブラと歩きだした。

 このときの俺はまだ楽観的で、想像すらしていなかった。

 この地下世界は完全に隔絶された環境であって頼れるような人間は1人もおらず、何年たっても脱出できないことを。

 そしてその間、パンツを手に入れることはついに叶わないということを。

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