第9話 いやなかんじ

 磯貝さんはゆっくりと、含んで聞かせるように俺たちに説明をしてくれる。


「お家の方が何度呼びかけてもお部屋の外に出て来てくれないみたいなの……。だから妖怪ではなく、人間のあなたから何かアプローチして見てほしいのよ」


 それは重症すぎるだろう。

 正直、医者かカウンセラーに任せる方がいいのではないだろうか。そう至極当たり前の事を聞いてみる事にした。


「あの、磯貝さん。流石にそれは専門家の出番ではないでしょうか……。素人がどうこう出来る次元じゃないと思いますよ?」

「それがねぇ、妖怪の心療医が来ても顔を出してくれなくて……。『もう、誰にも会いたくない』の一点張りなのよ」


 人それを導火線に火がついた爆弾と呼ぶ。

「すごく責任重大ですよね。失敗したらかなり危ないんじゃないでしょうか? そもそも簡単なお仕事じゃないと思うんですが」


「いいのよ。もし失敗しても、別にミオちゃんの責任って言うワケじゃないから、大丈夫よ。まずはおこげちゃんやアンズちゃん以外の妖怪とも交流してもらおうって事だから。それにそのデュラハンたん、部屋の前に置かれた食事はきちんと摂っているみたいだから、死ぬつもりでは無いんでしょうネ」


「はぁ、そう言うものなんですか……」

 何となく押し切られる形になったが、心は鉛を飲み込んだように重い。

「じゃ、はいコレ。その子の住所ね」

 渡されたメモ帳の切れ端に書かれた字は意外と達筆だった。


 メモをざっと目を通して驚いた。なんと仕事先であるデュラハンの家は、俺の通っている学校の付近だったのだ。

(妖怪って割と身近にいたんだなぁ……)


 改めて驚き、氷で薄まったコーラを一息にあおった。


「それじゃあ、よろしくねぇ。先方にはミオちゃんが行くって連絡しておくからぁ。んちゅっ♡」

 店の入り口から磯貝さんに見送られて、駅前からまた自宅へと引き返す。

 勿論、あの人魚磯貝さんとは無関係ですと言う態度を貫いて。


「ご主人、眉がひん曲がって、珍妙な顔になっているよ」


 胸の内が表情にでていた点を、おこげに指摘された。

 それについては否定のしようが無い。

 自分でもこの急展開に、心がついて行けていない事は十分承知している。


「本当にこれ、俺が行っていいのか?」

 と、おこげにたずねてみた。

「まあ、磯貝さんも言っていたじゃない。ダメもとってやつだよ。色々な妖怪と会話するのはご主人のためでもあるし、引き籠っているやつも、妖怪以外と会話してみるのがいい刺激になると思ったんでしょ。だからこの依頼がきたんじゃないかな」


「そんな適当な事でいいんだろうかね……」

「大丈夫」

 杏が腕に強くしがみついてきた。杏は背が低い。こうして歩いていると兄妹に見られるかもしれない。本人は不満だと思うから口には出すことはしないけどね。


 翌日の日曜日。

 氷室家に集合し、みんな揃って出発だ。やがてメモに書かれた住所に到着する。


 随分と高級そうで立派なマンションである。件のデュラハンさんはお金持ちのご令嬢なのだろうか。

 入口の自動ドアをくぐると、そこには小さなテーブルが置かれており、そこに乗っている花瓶には、金持ちそうな嫌みが無く、どこぞの茶室にでもありそうなほど風流に花が活けてあった。


 電子ロックされているスライド式の大きな扉の前で、部屋番号をプッシュする。

「はい、どちらさまでしょうか」

 この声はお母さんだろうか、それともお姉さんかな?

 儚げで上品な、女性の声が聞こえてきた。


「あの、YSKの磯貝さんから紹介されてきました、氷室と申しますが」

「はい、お待ちしておりました。どうぞ、お入りください」


 通話が終わると同時に、ロックされていた大きな扉が静かに開いた。

「行くか……」

 今回の依頼者、『首藤しゅとう』さんのお宅は、最上階の十五階にある二号室である。

 おこげを抱きかかえ、杏と一緒に豪華な装飾が施されたエレベーターで上に昇る。

 不安な気持ちで押しつぶされそうだったが、おこげに頬を舐められて元気をもらえた。犬は飼い主の不安な気持ちをにおいで感じるというが、どうやら正解らしい。


 もう後には引けない。


 先ほど聞いた優しそうな声に、一縷の期待を抱き、迷っている心を強引に落ち着かせる事にした。


 エレベーターが目的階に到着し、俺達は一歩外に踏み出して驚いた。

 非常に高級感あふれる建築だ。ただ通りすぎるだけしか役目を果たさないはずの廊下にも、絵画や美術品などが飾られていた。


 JR駅近くの一等地で、この内装。

 こんなところに住むにためには、一体いくらかかるのだろうなどと、つい余計な事を考えてしまった。


 アレコレ想像を巡らせているうちに、おこげは俺の腕からするっと抜け出し、いつの間にか、二号室の前にちょこんと座っていた。


「ご主人、インターホン鳴らしておくれよ」


 いくら妖怪犬又でも、前肢は伸びないらしい。

 へいへい、と苦笑しつつ、おこげの代わりにインターホンを鳴らした。


 ほどなくして、

「はい、どちら様でしょうか」

 と、先ほど会話した女性と思しき声が聞こえてきた。

「ごめん下さい。先程お話ししました、氷室と申しますが……」

 答え終わるのと同時に、ドアの施錠を外している音が聞こえた。


 家の中から出てきた女性はとても美しかった。

 まとめられた艶やかな黒髪は、白磁のような肌とのコントラストをより際立たせ、まぶしく感じられるほどだ。

 それに、雅やかな京風の顔と青いロングドレスがよく似合っている。


 首藤しゅとうさんは、俺たちに柔和な笑みを浮かべ、とても丁寧な会釈をしてくれた。

「わざわざ娘のために来て頂いてありがとうございます。どうぞお上がり下さい」  

 そう言って落ち着いた仕草で、俺達を室内へと招き入れてくれた。


 玄関口で、杏がまた鼻をすんすんと鳴らす。この子は人の家の匂いが気になる気質なんだろうか。俺の家でもやってたね。


「いやな匂い」

「おい、それは失礼だろ。俺は特に何も感じないんだがなぁ。あんまり人様—―妖怪様のお宅を云々言っちゃいけません」


 杏子がものすごく警戒しているのが伝わる。髪の毛は信号機よろしく白と黒に点滅し、今にもバトルを始めんといわんばかりだ。


「離れないで」

「ああ、そこまでいうのなら」


 妖怪にしかわからない、何か特別な危険信号があるのだろうか。おこげを連れてきたのは失敗したか……。何があってもこの二人だけは逃がさないといけない。そう心に焼き印を押し、俺たちは中へと足を踏み入れた。

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