side〈A〉: 一途ヤンデレ少女は初恋幼馴染の夢を見ない

 高校の入学式の日のことだった。


 入学式が終了した後、体育館の出口で教員から資料の束を配布された。人混みの中、高まる新たな環境への緊張を和らげようと資料に含まれていた自分のクラスの名簿になんとなく目を通す。

 その中にアリサは「霞ヶ浦ユウスケ」という文字列を見つけた。瞬間、周りの人に聞こえそうなぐらい大きく胸が高鳴る。考えるよりも早く、アリサは教室に向けて駆け出していた。

 この文字列が指し示す人物が、同姓同名の自分の知らない「霞ヶ浦ユウスケ」かもしれないことを理解していても、足は止まらなかった。小さな期待と大きな不安が入り混じる中、アリサは桜の花びらが舞う昇降口を人と人との隙間を縫うように駆け抜けて行く。



——



 廊下を駆け抜けて教室に飛び込み、肩で呼吸をしているアリサに周りの生徒たちは奇異の目を向けた。そんな目線を気にすることなく周りを見回すアリサ。直後、視線の先に窓際の席で退屈そうにしている一人の少年を捉える。その瞬間、まるで「運命」という言葉がこの時のために用意されていたのでは無いか、なんてよく分からない考えがアリサの脳を駆け巡った。


(ユウスケ、君……!)


 「霞ヶ浦ユウスケ」がそこにいた。同じ高校、同じクラスに。自分の知るユウスケの姿より幾分か大人びてはいたが、彼は間違いなくユウスケだった。

 興奮冷めやらぬまま、気がつくとアリサはユウスケに声をかけていた。


「えっと、ユウスケ君……だよね……?」


 大きく鼓動を打つ心臓。しかし……。


「すいません、どちら様ですか……?」


 ユウスケから返ってきた反応はに向けられるような非常に冷ややかなものだった。正直、アリサは動揺していた。


「……覚えて、無い?……わ、私だよ私、佐川アリサ!」

「……どこかでお会いした事ありましたっけ?」


 アリサはユウスケの口調から、あの頃のような暖かさを感じられなかった。

 その時になってアリサはようやく気がつく。アリサの顔を見据えるユウスケの目はかつての自分のようにどこかうつろだ。そこにいる人物は、アリサの知るユウスケではない気がした。

 少し怖気付いてしまったアリサは「ごめんなさい、人違いでした」と言い残し、その場から逃げ出した。


 その後、初日から廊下での全力ダッシュを披露した挙句、男子にナンパをしたという噂が広まり、アリサは早々に色々な人から話しかけられた。一方で、ユウスケは入学したばかりだというのに人と必要最低限の会話しか交わさず、いつも窓の外をぼんやり眺めていた。

 剣道を続けていると知って、ようやく自分の知るユウスケだと確信できた程に、再会したユウスケは当時の彼と大きく変わっていた。



——



 入学から約一ヵ月後、ユウスケに何があったのか知りたかったいという思いで、アリサは小学生の頃ユウスケが住んでいた家を訪ねた。ユウスケが引越した後取り外されていた表札は、再び「霞ヶ浦」に戻っていた。


 意を決してインターホンを押すと、見覚えのある女性が出てきた。


由花ゆいかさん……お久しぶりです、私——」


 アリサの顔を見て、その女性はハッとしたような表情をする。


「アリサちゃん……?」


 小学生の頃、よく家に訪れていたアリサの事を由花(ユウスケの母)は覚えていてくれたようだった。


 家の中に通されてしばらくは、思い出話に花を咲かせた。後になって考えるときっとお互い、話の核心に触れるのが怖かったのだと思う。


「——懐かしい。アリサちゃんからあの子にバレンタインチョコを渡すのを手伝って欲しいってお願いされたこともあったわね。あの時は娘ができたみたいで嬉しかったわ」

「うぅ……由花さんその話はずるいですよ……」


 だが、アリサはいつまでも話を逸らし続ける事は無理だと分かっていた。


「……で、由花さん。ユウスケ君の事なんですけど」

 

 やはり何か事情があるのだろう。由花の表情が露骨に暗くなった。


「……やっぱりあの子、あなたの事忘れていたの?」

「……はい」

「やっぱりか……」


 大きくため息を吐いた由花はそのままテーブルの上に突っ伏した。話すべきか否かを悩むような反応を見せた後、由花は口を開いた。


「通っていた中学校で色々あってね……。あの子、ショックによる解離性健忘かいりせいけんぼうで記憶が所々欠落してるのよ。更にたちが悪いことに、自分の記憶が欠落している事をあの子本人が気がついてない……」


 解離性健忘とはストレスによって普通の物忘れでは忘れることのない事まで思い出せなくなってしまう解離性障害の1つだ。


 記憶障害の可能性も考えていたアリサは事前に心構えをしていたつもりだったが、それでもショックを受けた。


「……差し支えなければ教えて貰えないでしょうか……?ユウスケ君に何があったのか……」


 聞いていい事なのかどうかは分からない。それでも、アリサは少しでもユウスケが変わってしまった理由が知りたかった。

 由花再び悩むような素振りを見せた後、「私も聞いた話だからある程度までしかわからないけど」と前置きしてから語り始めた。 


 ユウスケが通っていた中学校では一人の生徒に対して酷いイジメが行われていたそうだ。それこそ、断片的に内容を聞かされただけでもアリサが経験したものよりも悪質なものだとわかるほどに。それを知ったユウスケはアリサの時のように、そのイジメをやめさせた。

 それからしばらく経ったある日、ユウスケは風邪で学校を休んだらしい。その日の夕方、例の少年がどこか清々しい表情で今までの感謝とお見舞いの言葉を告げに来たそうだ。


 翌日、ユウスケは少年の訃報を聞いた。

 ユウスケが終息させたはずのイジメは実は終わっていなかったそうだ。より目立たず、より陰湿な方法でイジメは続いていた。そしてそれに耐えかねた少年は自ら命を絶った。ユウスケへのお礼と自らを傷つけたもの達への恨みの言葉を紙に残して。

 

 そして、ユウスケは壊れた。

 自分が気がつくことが出来なかったという後悔と、何も出来ていなかったという自責の念、そして手紙の内容を知った一部の生徒から止めることができなかったユウスケへと投げかけられた非難。全ての要素が絡み合い生まれた黒い感情はかつてユウスケとアリサが育んだ記憶とユウスケ自身を食い潰した。



 全ての話を聞き終わる頃には、アリサの目は赤く腫れきっていた。様々な感情が混ざり合い、しばらくは何も言うことができなかった。


(やっぱり彼は……ヒーローだ)


 ユウスケはどこまでも優しい。

 優しさはユウスケを霞ヶ浦ユウスケたらしめている。

 だが、その優しさはユウスケ自身を壊した。


 意を決したように、アリサは口を開く。


「由花さん……私はユウスケ君の事が好きです」


 アリサが何を言わんとしているのか理解しているのか、由花は心配そうに尋ねる。


「アリサちゃん……いいの?もしかしたらあの子はもうあなたの事を思い出す事はないかもしれないのよ?」

「それでも……それでもいいんです。彼は……ユウスケ君は昔からずっと、今でも私のヒーローなんです。何も無かった私に色々なものをくれた……」


 ユウスケの力になりたかった、かつて彼がしてくれたように。


「だからどうか、私に彼を支えさせてください」




***

尽くす系ヒロインっていいですよね〜


 

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