第8話 弱ってる

 海莉を事務所に案内してから30分が経過するが、情報はほとんど聞き出せなかった。


 「はぁー、おいしかった」


 コンビニのクッキーを平らげて、インスタントの紅茶で流し込む。お菓子と飲み物

をサービスしても、海莉の心は動かなかった。


 それどころか、むしろ不機嫌になっているようにも見える。


 あれだけ期待していたのがバカみたいだ。肩透かしを食らうというのはまさにこの

ことだな。


 「お兄たちが心配してくれるのは嬉しいけど、これだけは絶対に言えないから」


 巨体の兄を睨みつけ、なぜか針本小毬の方を一瞥する。


 「お前」


 兄もまた、妹を睨み返す。


 「俺がどれだけ心配してやってるか分かんねえのか? お前がガラの悪い男に絡ま

れたときにもちゃんと助けてやった。危険な目に遭う前に俺にきっちり話せ」


 気心知れた俺でも思わず身体に力が入るほどの威圧感。昔の俺は、よくこんな迫力

のある男の歯を折ることができたな。


 昔から大人しい性格の海莉だが、兄に対しては強気で反論できることも俺は知って

いた。


 「そういうのがウザいんだよ!!」


 「ひいぃ!」


 テーブルを叩きつける音に、針本小毬が悲鳴を上げて飛び上がる。


 「ウザいだと?」


 「そうだよ! 別に私も拓海も、あんたに助けなんて求めてない。そもそも、あん

たがよそで喧嘩ばっかりするから、私たちも腫れもの扱いされるんじゃん」


 耐えがたい怒りからか、海莉の身体が震えている。


 「あんたは良いよね。その強いガタイで後先考えずに助けられて、感謝されるんだ

から。守られる側の人間の気持ちなんて分かんないよ」


 「何が言いたい?」


 兄の疑問を立ち上がった背中で受け止める。


 「まだ分かんないの? 余計なお節介なの。私たちにも私たちの都合がある。あん

たみたいに人を助けたいと思うように、私たちだって自分の力で解決したいと思って

る」


 海莉の手を、意気消沈した大泉の代わりに、掴む。


 「海莉、ちょっと言いすぎなんじゃねえか?」


 いつかの夕方、テストの点が悪くて、家に帰れなくて泣きじゃくった海莉。


 あの日、繋いだ手の感触を場違いに思い出す。


 「うざい! 駆くんだってそっち側のくせに!!」


振り払われた。


夕陽で傾く大きな影を一緒に見て泣き笑いしたあいつは、もういない。






 「帰っちまったな。お前はどうするんだ?」


 海莉がいなくなってもなお、事務所で項垂れたままもの一つ言わない巨体。10分

が経過しても何の変化もない大泉だったが、突然その巨躯を弾くように持ち上げた。

その目には、良からぬ決意が込められていて、俺のその直感は当たっていた。


 「今から殴り込みに行く」


 やはりそんな事だろうと思った。


 「やめとけ」


 大木の方に太い腕を掴み、自暴自棄を制するが、簡単に振り払われる。


 「離せ!」


そして取り乱す大泉大洋。この男にしては、らしくなかった。


「そんなところに殴り込みに行って、後から恨まれて、何されるか分かったもんじゃ


ねえぞ。ああいうところはヤクザとかがバックにいる可能性もあるしな。分かるだ

ろ? 頭冷やせ」


「お前の兄弟が、あんな怪しい場所に居たら、どうなんだ? 助けるだろ?」


「…ねえよ。あんなゴミども。絶対に助けないし、むしろ、あいつらの身になんかあ

ったら安全な場所から笑ってやろうと思う」


 あんな生意気な弟と上から目線の兄貴を助けたいと思うなんて、まずありえない。


 急に、身体が地面から浮いた。大きな体格の男に胸倉を掴まれて、持ち上げられて

いた。


 「駆。それ、本気で言ってるか? お前、変わっちまったな。冷めた顔しやがっ

て」


 さすがの剣幕に思わず縮み上がってしまいそうになるが、意見は曲げない。畏怖が

理由でもあんな兄弟を肯定したくない。


 「そういうところなんじゃねえか?」


 「あ?」


 「自分が正しいと判断したら他人の事情も考えないで突っかかるところ。お前は何

にも変わんねえな」


 さっき、海莉が指摘した部分を再び言及した。


 「てんめえ…」


 さすがに殴られるか。覚悟はしたが、大泉は掴んだ俺をソファーに投げ捨てるだけ

だった。


 「俺は行くからな。俺は海莉の兄ちゃんだ」


 「わーったよ。勝手にしろ」


 どいつもこいつも、扱いづらいやつばっかだな。

 「一緒に行かなくていいの? 歯を折った親友なんだろ?」


 一切の口出しをしなかった神原が、俺と2人になった途端、ムカつく顔で問いかけ

る。


 「いいよ。好きにさせろ。あいつ、吹上市では最強のヤンキーって噂だし。その辺のチンピラには負けねえだろ」


 「ふうん」


 いつも通り、そんな反応だけかと、なめていた。だから、その次の発言にまんまと

意表を突かれた。


 「つまんないね、お前」


 能面のように無感情な顔で、吐き捨てた。


 俺は、自身の中にある核のような部分を触れられた気分だった。


 その後は、手入れしているカエルのキーホルダーの方に向き直り、何も言わなかっ

た。


 「うるせえよ」


 声が震えていることを自覚した。


 嫌なことを思い出す。


 中学の頃、付き合ってた女に裏切られ、陸上も勉強も、何もかも自信が無くなっ

て、親父からも失望され始めた、あの地獄のような日常。


 毎日のように俺を見つけては、しつこくラーメン屋に誘ってきた大泉大洋。塩分が

高くて体に悪いから食べないぞ、と何度追い返しても、じゃあ俺が手作りしてやるか

らピクニックでもしようとか、気持ちの悪いことを言ってきた巨体。アイスくらいな

らいいだろ、丘の上の公園で食おう。それに根負けしまい、あいつの存在が再び俺の

日常に入り込んだ。


 弱いもの扱いされるのが嫌いだったが、あいつは、そうじゃなかった。


 なんて言った? あいつ、あの時、なんて言った?


 そうだ。


 『駆は弱くねえよ。今は、ちょっと長い間、弱ってるだけだ。俺がそうなったら、

今度はお前が助けてくれよ。完璧な人間なんてこの世に存在しねえからな』


 救われた。


 弱ってる、という言葉に、悔しいけど逃げ道を与えられた。


前日に発売された少年漫画のセリフをそのまま転用したバカの言葉は、驚くほど様に

なっていた。


 でも、それとこれとは違う。


 俺は、余計なお節介で、他人を助けられる人間じゃない。


 誰彼構わず助けようとするのを善行とは呼ばない。時には他者を信じて待つのも、

良い行いってものじゃないのか。


 そろそろ飯にしないとな。


 「どこ行くの?」


 「八百屋だよ。キュウリ買うの忘れたんだよ。カリウム満点だからな、キュウリ

は」


 「でた! 駆の健康志向」


 最近あの女にイライラしてるからな、上がった血圧をカリウムで下げないと。 


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