第3話 青島へ

5月3日 憲法記念日


 ゴールデンウイークが来たというのに、全く嬉しくない。それはもちろん、うちの

学校が、4月30日、日曜日の直後に続く5月1日月曜日と5月2日火曜日を休みに

入れて、9連休にしてくれなかったことに対してではない。


 「青島までですか? そこの券売機で300円になります」


 「あ、ええと、券売機…はい」


 目の前の、切符の買い方も分からない女のために、俺の貴重な時間を使わなければ

ならないことが不愉快なのだ。至極。


 おどおどして、プライドの欠片もなさそうなチビ女。俺の顔色を窺うように笑顔を

作る。


 「早くしろよ」


 小さく呟いた声にもいちいち反応し、怯えるように財布から小銭を取り出すも、開

いた財布がそのまま地面に落下し、「すいません」とその場に跪き、小気味よい音で

落ちた硬貨を拾い集める。手を汚したくない俺は、じっと見守っていた。


 数秒で買える切符を買うのに1分もかかった。


 船が海面を両断する音と、潮騒の匂いを嗅いでいるのが唯一の癒しだったのに。俺

のそばで、おえ、と不気味な嗚咽を漏らし、両手を口元に抑える針本小毬。


 「お前」


 マジか。この場で戻したりしないよな。


 「だ、大丈夫です」


 大丈夫なようにも見えないんだが。できれば俺のところで戻してほしくない。


 「部屋戻ってろ。袋を口に当てて、じっとしてろ」


 邪魔。


 「は、はい!」


 急いで部屋に戻るチビ女の滑稽さを眺め、少しは愉快な気持ちになった。


 俺たちが目指す場所は、住む街からフェリーで30分ほどの位置にある離島、『青

島』。


 その青島の港とは正反対の海岸に1輪だけ存在している…かもしれない青バラ。科

学的な理由で、今年の5月3日から5月7日、ちょうど連休の間にのみ生命があるら

しい。それを煎じて飲むことで解呪が出来る、とも言われた。


 青いバラは自然に存在しているものはなく、遺伝子組み換えにより生まれたものし

か世界にないらしいのだが、あの女の呪いを解く『青バラ』は青島の限られた地、そ

れも限られた期間にのみ生えているとのこと。


 それも、後天的に生まれたバラは、現代の科学では紫に近い色をしているが、例の

『青バラ』は、この空のように純粋な蒼らしい。


 俺はただ、その証拠を目にするだけだ。存在していなければ、この女の落胆する顔

を見て、普段の業務に戻れる。婚約者の報酬金は減額するが、金を持っていそうな感

じだったし、少しは期待していいだろう。


 呪いだの言い伝えだのを真に受けているわけじゃないが、あの婚約者の悶絶が頭か

ら離れない。見えないトゲ、とやらを信じてしまいそうになる。そんな非現実的な事

象、あるわけがないのに。


 『駆くんってそんなの信じてるの』


 10歳の時、テレビで観て死ぬほど怖かった怪談。怯える俺を冷めたような眼差し

で笑う8歳の弟。


 『また弟になめられてんな』と、呆れるように溜息を吐く12歳の兄。


 嫌なことを思い出すと、それらが連結しているかのように、また別の嫌なことを思

い出す。


 Ⅴ字兄弟。


 誰かが言った、俺たち3兄弟の揶揄。『Ⅴ』の字の真ん中が下に降りているから、

3兄弟でも落伍者である俺と、両端が上がっている兄と弟を表している。


 可もなく不可もない俺を、あいつらと比べて、勝手に落ちこぼれ扱いする。学校の

やつらも分かっていない。俺を裏切ったあの女も、結局は俺の真価に気付くことな

く、他の男のもとへと去っていった。


 いっそ、晒してしまおうか。『令和の怪盗』が俺だという事実を。そうすれば、家

族も、学校の連中も、少しは俺の価値を見誤っていたことに気付いてくれるだろう

か。


俺が神原のもとで仕事をしているうちに呼ばれるようになった称号、『令和の怪

盗』。善人のために、悪人から金品を盗む、盗まれたものを盗み返す、いわば令和の

義賊。神原からもらったカエルの仮面をつけて、中学3年の頃から約1年間、100

件以上の事案を解決してきた。


 しかし、公表してしまえば、俺は悪人になる可能性がある。


 『令和の怪盗』が世間やネットで話題になると、どういう動機か知らないが、一部

の『なりすまし』が、窃盗や強盗を、単なる私的のために行う。


偽物はもちろん、本物の存在もまた、一部からは非難されている。


窃盗の件数が、半年前から大幅に増加したというニュースを見て、俺は震えあがっ

た。


『令和の怪盗』としてだが、世界に関わることができた。


なりすましに巻き込まれた人間なんて知ったことじゃない。勉強ができる兄も、演技

が達者な弟も、県会議員の父親も、『令和の怪盗』が俺だとも知らずに、流れる報道

に驚きの表情を見せた。俺は、人知れず一矢報いた気分になった。無知の家族どもを出し抜いた気分だった。


 怪盗って古臭いネーミングだよな。


 大きくなってきた緑を眺めながら、減速するフェリーの上で意識を現実に戻した。

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