第37話 王子との対談と王の策略

 客室に移動したあと、ライオネルさんの指示により工房内にいたメイドさんの手でお茶の席が設けられた。紅茶が運ばれたあとに私がお土産に持ってきたお菓子を開けて毒味の意味も込めてはじめに自分が口にしてみせると、ライオネルさんをはじめとしてフレドリック王子も出されたお菓子を味わい舌鼓をうつ。

 そんな和やかな時間が流れて場の雰囲気が落ち着きを取り戻した頃、ようやく王子との会話が再開された。


「あー、先ほどは遠方から訪れたそなたたちに茶の一つも出さず済まなかった。反省している。しかし、チョコレートクッキーまで再現していたとは涙が出てきそうになるぞ」

「それはよかったです。カカオ豆は南大陸との貿易で安定して入手できるようにする予定なので、セントイリューズの商人を仲介して入手されるのが早いかと思います」


 そこで、ここにくる途中にチェスターさんと話したビシュマール商人とセントイリューズ商人の間の陸運や海運に関わる物流の地力の違いにより発生する問題について話した。


「なるほど。それではこちらの商人には国内流通に力を入れるよう通達しよう。しかし、我が国でも魔導自動車が普及するようになれば問題は解決するのではないか?」

「……そのことですが、お話ししなくてはならないことがあります」


 私は魔導自動車をはじめとした便利な魔道具について、ビシュマール王国の政治的な思惑から聖法陣によるセーフティ無しでは安心して提供することはできないことを包み隠さず説明した。異世界の歴史も踏まえた内容に思い当たることがあったのか、フレドリック王子も顔を暗くする。


「なるほど。父上や兄上たちがよからぬことを考えているのは日常的なことだから気にも止めていなかったが、アイリには多大な迷惑をかけてしまっていたようだな。単純にかつて享受していた文明の利器の恩恵を得ようと邁進していたせいで、私は平和なくして貿易は成り立たないことを失念していた。申し訳ない」


 初対面の印象とはガラリと変わって真面目な応対を見せて謝罪したフレドリック王子に、私はホッとして手元の飲み物に手を伸ばす。ライムを使用したそれは、柑橘系の爽やかな風味がして話し通しだった私の喉を優しく潤した。


「そんなわけで色々と難しい対応を迫られそうなのですが、とりあえず友好関係を結んで文明を進めるのはイリス様から授かった使命にも合致しています。ですから、急がずゆっくりと進めていきましょう!」

「やはり、そなたが女神の使徒であるのは間違いないのだな。相分かった、できる限りの協力をしよう。だから……制限付きでもなんでもいいから魔導自動車を使わせてくれ! あと、友達としてでいいから仲良くしてくれ!」


 最後の最後でそれまでの堅苦しい態度を崩したフレドリック王子に、私も笑みを浮かべて了承する。


 この対談をきっかけとしてビシュマール王国とセントイリューズ王国との間で新たな外交の鍔迫り合いが始まることになるのだが、イリス様のように先を見通すことができない私はそれがどういう結果をもたらすことになるか理解しておらず、まだ平和な微睡まどろみの世界の中にいたのだった。


 ◇


 セントイリューズ王国との間で細々とした交流が始まりわずかながら食料や魔道具が流通するようになると、ビシュマール王国の中枢にもアイリとフレドリック王子がなんらかの協力体制を取ったことが知られることとなった。

 そしてそれは当然のことながらビシュマールの王や宰相に真っ先に報告され、王の執務室で早速対応が議論されることとなる。


「どうやらフレドリックのやつは最低限の務めは果たしてくれたようだな」

「はっ。忍ばせた者の報告によりますとアリシエール王女は依然としてアイリという名前で職人街エストールにある商業ギルドを度々訪れており、職人たちと協業して例の魔導自動車を作らせようとしているようです」


 フレドリック王子の道楽で一台だけ提供しようとしたアイリであったが、ヴェルゼワースの職人は国内の需要を満たすのに忙しく増産する余地はなかった。そこで、フレドリック王子の指揮のもと、技術的には十分な水準にあるエストールの職人たちに部品を作らせることにしたのだ。

 もともと自転車で回転機構に関する知識を持っていた職人たちではあったが、アイリが見せた四輪駆動の魔導自動車の複雑な機構と部品の精度に度肝を抜かれて、今ではフレドリック王子が随伴せずとも彼女の助言を素直に聞いているという。


「はて、度々とな。ヴェルゼワースが申し出た街道の整備は済んだとは聞いておらんが、余が忘れておったのか?」

「いえ、そのようなことはございません。おそらく、なんらかの手段で街道を使わず瞬間的に移動しているものと思われます。そう……例えば我が国の伝承にございます聖獣使いのように」


 真実を直裁に語らず思わせぶりな発言をする宰相のエリオットに、ビシュマール王のデズモンドは眉を顰める。

 聖獣使いと言えば、その主人は例外なくある特殊な資格を得ているのだ。

 迂遠な言い方をするまでもなかろうと、エリオットを軽く叱責するようにデズモンドは断定的に切り出す。


「やはり加護持ちであるのは間違いないか。まったくセントイリューズの者たちは何を考えておるのか……」


 そのような重要人物を、わざわざ王女から平民の身分に落としたまま辺境に放置するなどデズモンドからすれば正気の沙汰ではない。

 権力が王家に集中しているビシュマールの常識からすると、事実上三公爵家の傀儡と化しているセントイリューズ王家の有り様は異常に見えても仕方なかった。


「しかしながら先方がアイリ嬢をアリシエール王女と認めなければ、我が国の王子とは身分が釣り合わないので婚約の話も進まないのも事実。愚物なりの論理は持ち合わせているようです」

「婚約は無理、拘束も不可能。であれば手立ては一つよな。のう、エリオットよ。我が国の産業振興や商業に多大な功績をもたらした者には、王として褒美を与えねばならんと思わんか?」

「御意にございます。例えばではございますが、いま街道を整備している国境付近を領地として孫娘が子爵として立ったなら、ヴェルゼワース辺境伯といえどもやいばは鈍りましょうな」

「クックック、有能な平民を取り立てようというのだ。なんの問題もあるまい」


 こうしてフレドリック王子との交流をきっかけとして、アイリの知らないところで表面上は善意のゴリ押し、裏では加護持ちの取り込みを意図した企みという面倒な事態が進行しようとしていた。


 ◇


 あれから二ヶ月が過ぎて街道の整備が終わった。それからさらに一ヶ月後にフレドリック王子向けの特別車両が出来上がったある日の午後、魔導自動車の乗り心地を試すと意気揚々と王都に向けて出発したはずのフレドリック王子が門からUターンするように戻ってきた。


「アイリ、大変だ。お前は我が国の子爵に叙爵されてしまったぞ!」

「は? 私は王様に謁見するどころか、ビシュマールの王宮に一度も顔を出していません。式典などは必要ないのですか?」

「それは私が第三王子だから、こうして子爵杖を渡すだけで略式の叙爵式が済んでしまう」


 パシッ……


「ちょっと! それなら渡さなければよかったのでは!?」

「いやいや、本人がいるのに渡さないわけにもいかないだろう! とにかく、これで今日からユリフィール子爵というわけだ」

「いったいどういう理由で私が子爵になるというのですか……」

「門で待ち構えていた使者の話では、我が国での魔導自動車生産成功による産業振興と街道整備による商業発展への貢献という名目らしい。ああ、領地は街道沿いのヴェルゼワースと隣接する一帯の土地すべてだ」


 もっともらしい理由に、私は手元の子爵杖をあらためて見る。銀色に煌めく短杖には、ご丁寧にも私の商会を象徴するアイリスの花が彫られていた。どう見ても一日やそこらで用意出来る代物ではない。

 私は無言でチェスターさんに杖の意匠を見せつけるようにして渡す。チェスターさんと隣にいたアレックスさんもその細やかさに気がついたようで、これは相当前から仕組まれていたことだと悟ったようだ。


「どうやら俺たちは見張られていたようだな。しかしアイリを子爵に取り立てるなんて、この国の王は思い切りがいい」

「まあ、お嬢は一応平民ということになっていましたからね。逆手に取られてしまったのでしょう」

「ちょっと! そんなにのほほんとしていて大丈夫なの?」


 第一王女として生まれたと思ったら仮想敵国である隣国の子爵になっていたなんて、お祖父様やお祖母様になんて言えばいいのよ!


「お前個人とすれば問題ないだろ。むしろ以前より不安定ではなくなったくらいだ」

「どうしてよ、セントイリューズに攻め込むかもしれない国の子爵なのよ?」

「よく考えてみろ。お前は邪魔になれば公爵の派閥に消されかねない立場だったんだ。だが隣国の貴族の一員となれば、セントイリューズ国内の貴族も表立っては手を出せなくなる」

「……」


 チェスターさんの指摘に自分の立場が考えていた以上に危ういものであることを再認識し、私は思わず両腕で体を包み込むようにして身を震わせた。

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