第18話 王宮への出仕と母との再会

 王都の辺境伯邸で一夜を過ごして旅の疲れを癒した次の日の朝、ドリーの苗木を植えるために私は庭園に案内してもらっていた。庭師を務めるエドガーさんは私から苗木を受け取ると、私の部屋に近い日当たりの良い一角を指して確認してくる。


「こちらでよろしいですかい、お嬢様」

「はい、よろしくお願いします」


 何度も植え替えになってドリーには悪い気もするけれど、本人もあまり同じところにいるのは不公平になると話していたから問題ないと思いたい。


「また、よろしくね……ドリー」

(王宮にはイリアステールについてもらうから安心しなさい)


 姿は見えなかったけど、空耳のように届いたドリーの声に私は勇気付けられ笑顔を浮かべる。


「何かおっしゃいましたか?」

「いいえ、なんでもないの。じゃあ、私は部屋に戻りますので後はよろしくお願いしますね!」

「任せてくだせぇ、お嬢様」


 そう言って穴を掘り始めたエドガーさんに礼をして部屋に戻る私に、後をついてきたチェスターさんが独白するように話しかけてきた。


「まさか王都にまでくることになるとは思っていなかったぜ。辺境伯夫妻が揃って王都に来られるなんざ、アルバート様にここの管理を任せられてからなかったことだ」

「そうなの? 結構お若いのにご立派なのね」


 王宮でお会いした記憶はないから、私がまだ王都で暮らしていた頃は成人前の十五歳未満のはず。であれば、二十代前半のはずよ? 奥様もいらっしゃらないのに、当主代行は早いのではないかしら。


「まあ、辺境の守護が御当主の本来の責務だからな。他の貴族家と違って、北と西の辺境伯は国防が第一の部門の家柄だ。俺もそうだと思っていたのに、こんな平和な場所で油を売ることになるとはな」

「なんですか、その言い草は。まるで私のお守りは退屈だと言わんばかりですね」

「すまん。悪気はないんだがその通りだ」


 実際問題として安全な王都に当主と随伴するなら栄転だとわかっていても、鍛え上げた身体が鈍るようで落ち着かないという。騎士とは、なんとも難儀な生き物であるようだ。


「正直ですね、チェスターさんは……それより今日から出仕なんだけど、なるべく顔を見せないようにする方法はないかしら」

「なんでだよ。普通は、お偉方に覚えてもらおうとするもんだぞ?」

「ほら、前に肖像画の前で言われた通り、私はエリシエール様に良く似ているって言われるでしょう? 余計な詮索は避けたいのよ」


 余計な詮索もなにも本当は血が繋がっているのだけれど、私がアリシエールと知れたら周りがどう動くかわからない。私自身は神獣に守られているから平気だけど、七歳になる弟もいるっていうし迷惑はかけたくないわ。


「そうだなぁ……仕事で顔に火傷でも負ったことにして、ベールでも被っておけばいいんじゃないか? 元々、演算宝珠職人はよく火傷をするもんだし職業病にもかかりやすい」

「どうしたら火傷なんて負うのよ。どこにも怪我を負う作業なんてないじゃない」

「あのなぁ、お前みたいに低級魔石で火を付けたり消したりできる高度な演算宝珠を作れる演算宝珠職人なんていねぇんだよ。熱量を間違えて火傷を負うなんて日常茶飯事だっての」

「ええ! 他の演算宝珠職人はそんな危険な目にあっているの? 信じられない!」

「信じられねえのはお前の方だ! 本気で言っているところが始末におえないぜ!」


 困ったわ。そんなに下界の職人の力量が低いと演算宝珠を軸に置いた技術では持続可能な文明を築くことができないじゃない。演算宝珠に簡素な機能しか持たせられない場合でも実現できる方法を模索しておかないといけないわね。


 私は新たな課題の発生に、唇をギュッと噛んで気を引き締めた。


 ◇


 チェスターさんが考えた手法は意外にもアルバート様に認められ、私はベールで顔を隠して王宮に出仕することになった。もとから私の顔には興味がないのか貴族たちも気にすることはなく、ただひたすらに美容品や出されるスイーツの数々に目を奪われているようだ。

 その代わりと言ってはなんだけど、華やかさとは無縁の辺境ということで嫁ぎ先として女性から人気がなかったアルバート様がその矢面に立つことになる。


「辺境でこのような素敵なスイーツが生み出されていたなんて存じ上げませんでした。私、アルバート様の実家に大変興味が湧いてきましたわ」

「私もです。購入したシャンプーやリンスで髪を洗うと、癖のある毛質でも次の日にはしっとりと潤っていますのよ? 洗顔料についても肌が十年は若返ったと母も申しております」

「ははは、それは大変結構ですね。ご婦人方のお役に立てて光栄です」


 なんというか、私は出仕しているけれど蚊帳の外。連日詰め寄られるのはアルバート様ときたら、別に王宮に来なくても商品だけ安定供給していれば効率的にも良かったんじゃないかと考えてしまう。

 そんな思いに駆られながら中庭のお茶会の席の後ろでチェスターさんと共に待機していると、城からひときわ煌びやかな貴婦人の一行が姿を現した。それを見ていた貴族たちは一斉に席を立ち、頭を下げる。


「あら、賑やかだと思って来てみればアルバートじゃないの。あなたがこんなに女性から人気だなんて知らなかったわ」

「姉上、ご無沙汰しております。これは私というよりは、ヴェルゼワースのスイーツや美容品が話題になっているだけですよ」

「ふふふ、わかっているわ。それで噂の小さな職人というのは、あの子のことかしら?」

 和やかな会話と共にこちらを向いたその顔に、私は身を固くして立ち竦む。間違いない、エリシエール第一側妃……私の実の母だった。

「おい、馬鹿。頭を下げろ」


 隣に立つチェスターさんの叱責で我に返ると、私は慌てて頭を下げる。

 そうだわ。今の私はただの演算宝珠職人のアイリであって、アリシエールではない。問いかけられない限りこちらから話してはならないし、無闇に目線も合わせることも御法度だわ。

 しばらくしてアルバート様が会話を再開したところでチェスターさんが頭を上げるのを見て、私もそれに倣って顔を上げる。


「はい、まだ十二歳ですので無作法はお許しください」

「心配しなくても私はそんなに狭量きょうりょうではないわ。それにしても、あんなに小さいのに王宮中の耳目を集める品々を生み出すなんてすごいのね」

「父上も母上もまるで孫のように可愛がっておられるくらいで、今回の件でじかに手紙を預かって参りました。……どうか、お一人の時に必ず目をお通しください」


 アルバート様が懐から手紙を取り出て手紙を渡すと、エリシエール様は裏返して封蝋を確認しながら小首を傾げる。


「直にってお父様が王都に来られているの? 珍しいわね」

「いえ、母上もです」

「……」


 クラリッサ様まで王都にやってきた事を知ると、エリシエール様は無言でこちらに再び視線を送られた。私が慌てて再度頭を下げると向こうからこちらに近づく足音が聞こえ、やがてそれは私の目の前で止まる。

 姿勢はそのままに目だけ前の方を窺うと、アルバート様に渡された手紙を握り締めて両手を震わせているのが見えた。


「……アルバート、この首飾りはどういうことかしら」

「どうかご自重を。ここでは周囲の目が多すぎます」


 先ほどまでの落ち着いた会話からは考えられないほど取り乱したエリシエール様の声色に、アルバート様の制止の声が重なる。


「つまりは、そういうことだと考えていいのね?」

「……はい」


 アルバート様がそう答えた次の瞬間、懐かしい香水の香りと共に私は温かい抱擁に包まれていた。


「おかえりなさい、アリシエール」

「……私は、単なる演算宝珠職人のアイリです」

「なら、どうしてそんなに泣いているの?」


 エリシエール様は身を離して私の顔にかかったベールを捲ると、私の目からこぼれ落ちる涙を優しくすくう。そう、私は十年経過しても変わらぬ母親の深い愛情を感じ、気づかぬうちに涙を流していたのだ。


「姉上、もう十分でしょう。アイリのベールを元にお戻しください」

「わかったわ、ごめんなさいね……


 ベールを戻して私の頭を撫でるエリシエール様は、アルバート様に笑顔を向けて問いかける。


「これならお父様もお母様も王都に一緒にくるしかないでしょうね。ひょっとして、ずっと滞在なさるおつもりかしら」

「少なくともアイリがヴェルゼワースに戻るまでは、帰るつもりは毛頭ないご様子です。ほとぼりが冷めたら王都から連れ戻すおつもりでしょう」

「それで、このベールはどういうこと? 演算宝珠職人なんてさせて大丈夫なの?」

「万が一にも調整を失敗することはございませんのでご安心を。理由は部屋にお戻りになったあとに、その手紙をご覧下さればわかります」


 そう言われて手元でクシャクシャになった手紙に初めて気がつき苦笑するエリシエール様は、手紙の皺を伸ばして自らの胸元におさめると元通りの毅然とした態度に戻った。


「わかりました。では名残惜しいけど、次の予定が迫っているから今日はここまでにするわ。次はジュリアンにも会わせてあげられるよう調整しましょう」

「承知しました。後日、使いの者を向かわせます」


 こうして十年振りの母親との邂逅は幕を閉じたのであった。私の心に、温かな灯火を残して——

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