第17話 噂の職人は実の姪

 王都の辺境伯邸に到着すると、執事を務めるというエドワードさんが私たちを出迎えた。しかし私に続いてヒューバート様とクラリッサ様が魔導自動車から降りると、エドワードさんは血相を変えて主人を呼びに戻っていった。

 そして今、私にとって実の叔父にあたるアルバート様の出迎えを受けている。


「父上に母上まで!? いったいどうされたのですか!」

「何を驚く。お前がアイリを王都に呼び出すから、一緒についてきたまでのことだ」

「は? 演算宝珠職人を呼び出すことと父上や母上が揃って王都に来られることに何の関係が……」


 そこでヒューバート様の視線を追ってクラリッサ様の後ろにいた私に目を向けたアルバート様は、話の途中で唐突に口を開けたまま固まった。


「あらあら、アルバート。久しぶりに会った母になんの挨拶もなしとは悲しいわ」

「お久し振りです、母上。ずいぶんお元気そうに……ではなくて! 後ろにいる少女は?」

「あなたが呼び寄せた演算宝珠職人のアイリですよ」


 そこでクラリッサ様に促されて、私は教えられた通りカーテシーをしながらアルバート様に挨拶をする。


「お初にお目にかかります。演算宝珠職人のアイリと申します。以後、お見知り置きを」

「ああ、私はアルバート・フォン・ヴェルゼワースだ。まったく覚えはなくてすまないが、君は分家や遠縁の者か?」

「いえ、普通の平民の出にございます」

「……ありえない」


 またもや固まったアルバート様に、ヒューバート様が叱責を飛ばす。


「さあ、挨拶は済んだろう。アイリは長旅で疲れておるのだ。さっさと部屋に案内させんか」

「あ、そうでした。エドワード、父上と母上はいつもの部屋にご案内しろ。彼女はメイドに客室に案内するように……」

「待て、アルバート。客室ではなく、エリシエールの隣の部屋に案内してやれ」

「は? しかしあそこは……よろしいのですか?」

「うむ。そうだ、そなたには話すことがあるので儂らと共に来てくれ。エドワードはアイリの部屋の支度に当たらせろ。ああ、護衛としてチェスターをつけてあるので控え部屋に案内させるのも忘れずにな」

「……わかりました。エドワード、後は頼んだぞ」

「かしこまりました、アルバート様」


 なんだか怒涛の勢いで決まってしまったけど、アルバート様に挨拶を済ませた私はエドワードさんに案内されて二階の奥にある日当たりの良さそうな部屋に通された。


「こちらでございます、アイリ様」

「なんだかずいぶんと可愛らしい部屋ですね」

「それはそうでしょう。こちらはエリシエール様のご息女であられるアリシエール様のお部屋でございますから。ベッドにつきましては夜までに使えるよう、メイド長を務めるマリアに指示しますのでしばしお待ちを」


 うっ、実の母の部屋の隣と聞いてもしかしたらと思っていたけれど、想像していた通りだったわ。

 チェスターさんは続き部屋になっている付き人や護衛のための控え室に案内されている。文字通り、貴人のための部屋だった。しばらくしてやってきたマリアさんにお茶を淹れてもらいながら、客室で気軽に過ごしたかったと私は溜息を吐くのだった。


 ◇


 時を同じくして、突然王都に訪れた両親を執務室に案内したアルバートは早速とばかりに二人に詰め寄っていた。


「あの子はいったい誰ですか。どう見ても、幼い頃に毎日のように見ていた姉上そのものじゃないですか!」

「まあ、アルバート。そこまでわかっているのなら、答えはわかっているのでしょう?」

「まさかアリシエールですか!? それならそうと、なぜ事前に教えてくださらなかったのですか!」


 クラリッサの示唆に、バンッと机を両手で叩く。よりにもよって自分の手で実の姪を再び危険な王宮に出仕させることになろうとは思ってもいなかったと、アルバートはそのまま座り込み頭を抱えた。


「また攫われたら困ると思って領地で匿っておこうと考えておった。しかし王宮に出仕させるとなればそうはいかぬのでな、この通り二人揃ってアイリについてきたというわけだ。それで、なんとか目立たぬよう隠せそうか?」

「隠すなど無理ですよ。今、ヴェルゼワースにどんな噂が立っているかご存知ですか? 馬なしで走る馬車などと荒唐無稽な噂がまことしやかに囁かれ、美容品とスイーツに至ってはご婦人方から目の色を変えて所望されます」


 大金をかけても入手が困難になるほどのヴェルゼワースの品々は、ついには平民を直接招聘するまでに噂の的になっていた。本当に隠す気があったのですかと力なく現状を語るアルバートに、ヒューバートは頭を掻く。


「やはりそうか……贔屓目を差し引いても、アイリが作るお菓子は宮廷料理人が作るお菓子が霞むほどに美味いからな。しかも日毎に変わるレシピすべてがだ。美容品についても、クラリッサを見ての通りだぞ」


 久しぶりに会った母がやけに若々しく見えるとは思っていた。初孫の生還という嬉しいニュースがもたらした効果も相まって、今では十年前より肌に張りと艶があるように見えてしまうくらいだ。こんな母の姿が露見したら、貴婦人たちが集う夜会やお茶会の席はただでは済むまい。若さを保つ秘訣は女性にとって永遠のテーマなのだ。


「あと馬車の噂も間違っておらんぞ、むしろ噂の方が過小評価していそうな性能だ。簡易版でも鞭を打って馬が走らせる馬車の倍以上の速度を維持できる上に揺れもほとんどない。王都への旅がこれほど楽だと感じたことはなかった」

「ええ。おまけに馬車の中では暖房まで効いていて、アイリが熟睡してしまうほどです。あれを流通用に作ったと聞いたら、商人たちも驚き呆れることでしょうね。贅沢にもほどがあります」


 通常なら門から屋敷の前にくるまでの馬車の音で来客に気がつくはずが、アレックスに扉を叩かれて初めて気がつくほどの無音の走行。それがどれほど価値あるものか、アイリにはまだ正確に把握できていなかったのである。

 道中で戦争に使われるのではと心配していたけれど、あれは現時点では紛れもなく貴族御用達の品でしょうとクラリッサは忍び笑いを漏らす。あれほど素晴らしい乗り物を平民に使わせて、自分たちは旧来の馬車に甘んじてよしとする貴族などほとんどいないのだ。


 魔導自動車といえばと、クラリッサは道中でのアイリの無防備な寝起きの様子を思い出して笑みを浮かべる。


「ああ、アイリが寝ぼけて私の事をお婆ちゃんと呼んだときには嬉しさで叫び声をあげそうになりました。また呼んでくれないものかしら」

「なんですって? そういえば、アリシエールは自分の事を平民と話していましたね。どういうことです」


 貴族でしかありえない振る舞いをしておきながら、自分を平民だと告げた彼女の言葉に固まった事を思い出す。嘘を吐くなと言いたいところだが、言われてみると貴族のように自らの心情を偽るような素振りを見せなかった。整合性の取れない情報に、アルバートは首を捻って問いただす。


「攫われた過去が影響しているのか、アイリは生まれを隠しておきたいようなので二人で気がついていない振りをしているのよ。バトラーもナディアも屋敷の主だった者たちはもう気がついているので、知らないのは護衛を命じたチェスターの小隊くらいね」

「また父上も母上も面倒な事を……それでは、あの礼儀作法はどうしたのですか。一朝一夕で身につくものではないでしょう」

「それを半年経たずに身につけられてしまうから余計に困っているのよ? 書物に記載されるようなものや数字については完璧以上、それでいて精神的には幼い子供のままだから気をつけないといけないわ」


 つまり作法や知識は完全だが中身は平民の子供相応の純真さということかと、次期当主としては実の姪の危うさに目を覆う。


「まあ、色々と問題はあるが生きていたんだ。エリシエールにどう伝えるかは王宮の状況に精通したお前に任せる。なんとか孫の面倒を見てやって欲しい」

「わかりました、私にとっても実の姪です。王宮でののことは私にお任せください。少なくとも重要人物として護衛騎士をつける程度の交渉は若輩の私にもできますよ」

「すまんな。頼りにしているぞ、我が息子よ」


 こうして本人は祖父母や叔父が真実を知ることを知らぬまま、アイリはヴェルゼワースの魅惑の品々を扱う重要人物として王宮に出入りすることとなった。

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