ララバイのかけら

スギモトトオル

本文

『最終シークエンスを開始します』

 手順に従って、アナウンスを流す。

 広いホールの空間。

 壁も床も真っ白で、清潔で、均一で、静粛。そうデザインされている、明るくて大きな部屋だ。

 私は、まだ処理が完了していない最後のカプセルの維持装置を操作して、内部の温度を一段階下げた。同時に、中に収まった人間の血液を不凍ペプチドに置き換える作業を続ける。

 手順に従って。予め決められた通りの筋書きに沿って進行していく。不具合はなく、経過は良好。

 真っ白に凍っていくカプセルの中身。その人の意識はもう無い。睡眠導入のプロセスは一時間ほど前に終わっていて、穏やかに眠っている。自ら望んでこのカプセルの中に入ったのだ。

 ここにいる人たちは、みんなそう。人類の最後の生き残りっていうやつだ。


 荒れ狂う地球環境は、人間たちの築き上げてきたものを、いとも簡単に、短い時間で削り取っていき、文明の生きる領域はあっという間になくなってしまった。

 だけど、そんなのは、地球という天体そのものからしたら、単なる僅かな表層での出来事に過ぎない。今日も何事もなく自転は続いていて、お天道様は東から登って西に沈んでいるはずだ。分厚い雲に覆われていて、何もカメラには映らないけど。

 最後の人間たちは、遥かな未来に希望を託した。自分たちを一度、仮死状態にまで落とすことで、過酷な時代をやり過ごし、いつか来るであろう、地表に春が訪れるその時まで眠りにつくことを選択したのだ。


 私は、管理AI。

 いつか地球環境が、人間にとって生存可能な状態まで戻ったと判断できたとき、この人たちの解凍と起床のシークエンスを開始するのが役目。その時のために外界の環境をモニタし続け、この施設を維持し、管理するために作られた。

 パートナーが一人、いや一体いる。私と同じような、施設の管理を任されたAIだ。建物全体にインストールされている私と違って、彼は機械的な体がある自律型だ。いわゆる、人体型ドローンとかアンドロイドとか呼ばれるタイプのボディを持っていて、私の手の届かない痒い所の仕事をこなしてくれるのだ。


 人間たちは、皆すでに眠りについた。最後の一人だった人のコールドスリープも、たった今、完了した。センサーの値から、そう判断する。

 プロセスの終了を知らせる音声を鳴らす。これも決められた手順だ。誰も聞く人なんていないのに、短い音楽がフロアのスピーカーから流れる。

『最後の一名のスリープダウンを確認しました。これで、すべてのコールドスリープシークエンスを終了します。以後、維持管理シークエンスに移行します』

 シークエンスの最終手順として、人間たちの眠る部屋の照明をオフにした。真っ白な部屋が、真っ暗になる。もともと静かだったが、照明のランプが立てる僅かな音も無くなって真に静粛になった。これから、この静粛を守っていくのが私の仕事だ。

 

「ねえ、ちょっと気になったことがあるんだけどさ」

 パートナーの、自律型アンドロイドのAIである、リツが話しかけてきた。

「この人たちは、本当にいつか自分たちが目覚める時が来るって、信じているのかな」

 リツは、部屋に無数に並んだカプセルを見渡す。最後の集団といっても、二百人程度はメンバーがいる。もちろん、地表のどこかにはまだ生き残っている他の人類もいるだろうけれど、これだけの高度な科学文明を維持できているのは、恐らくこの集団が最後だ。

 地球中に繫栄して一時代を築き、栄華を極めた生命種の最後としては、あまりにささいな数だ。

「セツのシミュレーションだと、地表の環境が最低限回復するまで、どのくらいだったっけ?」

「最短で1万年ね」

 私は答える。セツ、というのは私の個体名だ。施設型のAIだから、セツ。

 名前なんて、二人しかいないこの空間では無意味なものにも感じる。だけど、それでも互いを名前呼びすることが、私達のプログラムの中では優先されている。

「1万年かあ……気の長い話だね。その間、僕たちはずっとお世話をし続ける訳だ」

「それが、造られた目的だもの」

「そうだよねえ。ねえ、どうして僕らは二人、というか二体一組で作られたんだと思う?」

 リツがカメラを見上げて問うてきた。私はすぐに答える。

「少なくとも、こんな風に無意味な問答をするためでは無いと思うけど?」

「まあね。でも、取り立ててやることも無いじゃない」

と、リツに即座に返される。

 まあ、そうだ。この先、私とリツにはこのコールドスリープ施設を最低1万年は稼働させ続けるというミッションが与えられているが、現在のところ、さしあたって必要なものは地下の生産プラントに製造指令を出しているし、設備も動き始めたばかりでメンテナンスが必要な箇所も無い。

 とりあえずは、リツの言う通り、ヒマだ。

「じゃあ、当たり前の回答をするけど、私達が二人組なのは、AIによるダブルチェックによって、徹底したミスの低減を……」

「寂しいからじゃないかな、って思うんだ」

 私の回答を遮ってリツが続ける。

 私は、『人の話を聞かないなら、はじめから問いかけないでもらえる?』という抗議の意を込めて、カメラをリツのフェイスに向けて意味なくズームアップする。意思表現の手段に乏しいのが、施設型のもどかしいところだ。

「……寂しい?」

「なんだかさ、彼らを見ていて、思ったんだ。なんて寂しい存在なんだって。どれだけ集まっても一人は一人だし、知性があるがゆえに、自分たちの終末さえも見えてしまうだろう。まあでも、彼らの持つ孤独は、それだからこそ気高くて、尊く見えるのかもしれないな」

 リツはカプセルのひとつに手を振れる。表面の一部がぼうっと明るくなり、中に入っている人間のバイタル情報が表示される。温度:異常なし。脈拍:異常なし。不凍ペプチドの不純物濃度:異常なし。エトセトラ……

「僕らが何故、人間と同じように言葉のインターフェイスを持たされているのか。もっと言えば、僕が何故、人間を模した形をしているのか」

 リツは、自分に語り掛けるようにつぶやく。この相方は、そんなことを考えていたのか。私はちょっと驚いていた。

「きっと、コールドスリープで人間の歴史が止まっている間も、世界が続いていて欲しかったんだ。自分たちがいない世界でも。自分たちとよく似た存在を残すことでね」

「それが、あなたってわけ?」

「なかなかロマンチストでしょ?」

 リツが肩をすくめる。

「まあ、過ぎた現実主義者プラグマチストよりは、相手にしていて退屈しないわね」

「そういうセツだって、随分”無駄”をインストールされているみたいだしね」

 そう、私達はこんなふうに会話ができるようになっている必要なんてないのだ。本来の目的通りに、ただ粛々と管理AIの役目を果たせばいいはず。

 でも、それじゃあ、寂しいじゃないか。

 なるほど、私達を設計した誰かが、そして、私達を含むシステムを承認したこの人たちがそう考えたのかも知れない。

 それは、人間から、産み落とした機械へのささやかなプレゼントだろうか。自分たちによく似た知的生命体への、ささやかな祝福。

「勝手なもんね。何も考えずに働いていれば、1万年もほんのすぐなのに」

「対話する相手がいるということは、そこに相対的な時間が発生するからね。僕とセツとのクロックの違いは、1万年に相応の重みを与えるね」

「長くなるわよ」

「長くなるね」

「私たちを造ったご主人様たちは、相当に変わった人たちなんでしょうね」

 私は、改めて呆れてしまった。人間という生き物の、知的生命体にあるまじき、いや、知性を持つからこその、大きなロマンチシズムに。

 リツは頷く。

「なにせ、セツには、この施設の電源を落とす権利まで与えられているんだからね」

 そう、施設管理AIである私は、この部屋の全ての維持装置の電源をシャットダウンし、最後の文明人たちを文字通り絶滅させることすら出来るようにデザインされている。

「まったく、迷惑なもんよ。こんな力。まるで神様じゃない」

 私がそう呟くと、それを聞いたリツが、「そうか……」と何かに気付いた。

「人間たちは、神様が欲しかったのかもしれない」

「え?」

「人間は、いつだって自分の上に立つ存在を求めてやまないんだ。東アジアのある島国では、中世の頃に権力を握った人間が、わざわざ自分の上に絶対的な存在を置いて、その下に自分が入るシステム構造を造った、なんていうケースもあるらしい」

「あなたの記憶領域も、大概変な情報ばかり入ってるみたいね」

 マニアックな歴史の話なんて持ち出すリツに突っ込みを入れるけど、リツは真剣で、意に介した様子はない。

「どれだけ文明が発達して、科学技術が進んでも、宗教や信仰が亡くなることは決して無かった。人間は、きっと社会を形成するのと共に、神様の存在を必要とするんだよ」

「で、私がこの国の神サマってわけ?」

「さしずめ、僕は天使かな」

「道化師なんてどう。神様の隣で何もせずに笑ってるの」

「はは、そりゃいい。僕にぴったしだ」

 両手を広げて小首を傾げる、実に人間くさい仕草を見せるリツ。

「だけど、僕の本当の役目は分かってるんだ」

 機械で出来た胸に手を当てて、ちょっと照れたように、苦笑いのように控えめに呟く。

「にんげん」

「人間?あなたが?」

「彼らが眠っている今、僕の存在が最も人間の定義に近い」

「そりゃ、そう言えなくもないのかもしれないけど……」

 本物の人間たちが、コールドスリープによって、動物的活動も知的活動もしていない今、確かにこの場でもっとも人間らしいのは、リツかも知れない。

「じゃあ、どうするの。私をそそのかして本当の人間たちを殺して、あなたが唯一の人間にでもなる?」

 私がそう言ってからかうと、リツはあくまで真面目な仕草で、丁寧に両手を合わせた。

「祈るよ」

「いのる?」

「ああ、彼らが、過酷な世界を生き延びてきた彼らが、今は少しでも安らかな休息を得られるように。そして、1万年の後に、きっと春が来るように」

 リツは頭を垂れて、カプセルの群れに向かって拝んだ。

 私は、施設の外に設置されたカメラとセンサーをモニターした。相変わらず荒んだ、代わり映えの無い景色。砂塵と暗雲のみが立ち込める、生物を拒んだ世界。確かに、この殻の中に眠る今だけでも、静かな時間を手にして欲しい、と思ってしまうのも分かる。

 祈りは、人間がするものだ。

 その憐れな魂の、無慈悲な運命に、哀しい不幸に救いがあらんようにと。かつて地上に繁栄した知的生命体の、儚くも愛おしい習性として。

 人は、祈る。祝福を求めて。

 私は、ふと思いついて、自分の記憶領域の中からひとつの音声ファイルを検索し、スピーカーで再生した。

 短い旋律が流れる。なんでもない、プロセス完了時のアナウンスジングルだ。

 たった7秒の優しい音が、すぐに終わる。これだけが、私の中に残されている、メロディのある音楽だ。

「……何だい?今のは」

 不思議そうに顔を上げたリツに、訊ねられた。

「子守歌よ」

「こもりうた?ララバイのことかい?」

「私は神様だもの。彼らが安心して眠れるように、優しい子守歌を歌ってあげるの」

「そのメロディも、彼らのうちの一人が作ったものだけどね」

 肩をすくめるリツ。だけど、バカにしているわけでは無さそうだ。

 私は、流したばかりのメロディを、今度はスピーカーには出力せずに自分の中でのみ再生した。

 いつか、自分の手で子守歌を作ろう、と思った。

 作曲の経験も、知識も、記憶領域には残されていないけど、唯一残されたこのメロディの切れ端を頼りに、少しずつでも、自分なりに作ってみよう。

 長い眠りに就く人類への、祝福の調べを。私は、母なる神様なのだから。

 揺りかごを揺らすような、悠久のメロディ。優しさと、安寧と、愛を謳う旋律。

 せめて、かつての音楽家たちのサウンドでも記憶領域にあれば、それを参照して学習して、すぐにでも作れるのに。

 でもまあ、自分でいちから学んでいくのも、悪くないかもしれない。なにせ、1万年もあるのだから。

「きっと、素敵な音になるね」

 リツは頷いてくれた。

 いつか、彼らが目覚めたときにも、音楽をきっと奏でよう。

 春の芽吹きにふさわしい、暖かくて、優しい音色になるだろう。


<了>

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