第二章

森本 司の勉強会

第28話

 週末を挟んで、月曜日になった。


 今日から定期テスト2週間前となり、体育祭で騒がしかった教室の雰囲気も、一気にピリッとした緊張感のある雰囲気になっていた。


 さすがはそこそこの進学校といったところか。

 生徒たちのオンオフの切り替えには、思わず感心してしまうものがあった。


 

 そしてそれは、3時間目の数学の授業中だった。

 右隣の土屋さんから、そっと手紙が届いた。


 久しく手紙などもらっていなかったので、それはなんだか少し新鮮な体験だった。


 その手紙を開封してみると、土屋さんの家の住所と勉強会の集合時間が書かれていた。

 察するに、今日の勉強会は土屋さんの家に直接集合という感じか。


 すぐ隣にいるのに、手紙という間接的な手段を使ったのは、学校生活の中ではまともに話す時間が作れないからだろう。



 ……しかし、本当に土屋さんの家で、勉強会をするんだな。

 

 俺はこれまでの人生で、女の子の家へ赴いた経験など1度もなかった。

 思い返してみれば、放課後に女の子と遊んだことすらもないかもしれない。


 そんな俺がいきなり土屋さんと、土屋さんの家で勉強会をするのだ。

 出身の村を出たばかりのレベル1の勇者が、ラスボスの魔王に挑むようなそんな展開だった。


 まあ、熱心に勉強を教わらなければ俺の進級も危ういので、あまり余計なことを考えている暇もないというのが現実だった。



 そして、放課後になった。


 今日の放課後には、土屋愛ファンクラブの定例ミーティングが予定されていたのだが、俺は土屋さんと放課後に勉強会をするために、定例ミーティングへの参加は免除されていた。


 俺も熱心な幹部の1人であるので、定例ミーティングに参加できないことが非常に心苦しく——そんな冗談はさておき。


 放課後になってもまだまだクラスメイトたちに囲まれている土屋さんを尻目に、俺は下駄箱へと向かった。



 そういえば、なつみは俺に勉強会の事後報告を求めてきた。

 具体的に言えば、勉強会が終わって家に帰ったら電話しろと言ってきたのだ。

 

 『報告できることがないなんて、そんな馬鹿げた報告は求めてないから』と、なつみはこの勉強会で、俺に何か土屋さんの情報を引き出してこいと言いたいようだった。


 まあ、土屋さんの情報が溢れる土屋さんの家へ行くのだ。

 部屋の家具の配置を教えてあげるだけでも、あいつなら喜んでくれそうだけどな。



 なんて考えながら昇降口に到着し、自分の下駄箱から外ばきを取り出そうとしていると——。


「す、すいません!」


 そうおもむろに、見知らぬ女子生徒に話しかけられた。

 いいや、声がした方へ振り返ってよく見てみれば、その女子生徒のことを俺は知っていたかもしれなかった。


 たしか……。


「同じクラスの松本さん?」

「そ、そうです! よく私の名前が分かりましたね!」

「クラスメイトなんだから、と、当然だよ」


 無論、当然なわけがない。


 前も言ったと思うが、俺は入学から1ヶ月経った今でも、未だに数人しかクラスメイトの名前を覚えられていなかった。


 ではなぜ、目前の彼女がその数人に含まれたのか。

 それは彼女がクラスでも有数の問題児だったからである。


 問題児とは言っても、様々なパターンがある。

 1日1枚は律儀に窓ガラスを割るような生徒だったり、授業中に友達と大声で喋るのが得意な生徒だったり、成績が極端に悪い生徒だったり。


 彼女の場合は、不登校系の問題児だった。


 高校が始まってから彼女が学校へ登校してきたのは、両手で数えられるくらいの数だったし、その事実に担任も頭を抱えているようだった。


 だからクラスでも目前の彼女のことが話題になっていて、その影響で俺も彼女の名前を知っていたのだ。


「は、はじめまして、松本 美夢みゆです」


 問題児とは思えない、礼儀正しい自己紹介に俺は呆気にとられてしまった。

 同級生であるのにも関わらず、敬語を使って話しかけてくれているし、松本さんの第一印象はとても良かった。


 彼女の髪型はいわゆるボブというもので、髪は肩に少しつく程度の長さだった。ただ前髪は長く、右目が前髪で完全に覆われていた。


 彼女のことを正面から見たのは初めてで、なんだか控えめそうな印象を与えられた。学校で彼女が喋っている場面もあまり見たことがないし、内気な性格なのかもしれない。


「俺は森本司だ、よろしく」

「は、はい! よろしくお願いします!」

「それで、松本さんは俺に何の用かな?」

「……ええと、ここじゃなんですから、少し人気のないところに行きませんか」

「俺はこれからカツアゲでもされるのか」

「と、とんでもないです! 少しお話があるだけなので!」


 そう言った松本さんは、何か悪意を持って俺に近づいてきているようには見えなかった。

 だから俺は素直に、松本さんの言うことに従うことにした。


 しばらく人気のない場所を探し求め歩いた俺たちは、結局校舎裏に場所を決め、話の続きを始めた。


「そ、そのですね。わたし、読唇術が得意なんです!」

「読唇術ってあれか? 口の動きだけを見ただけで、その人がなにを喋っているか分かるってやつ」 

「そうです! それですそれです!」

「珍しい特技だなあ」

「いろいろと便利だと思ったので、勉強して修行したんです!」


 たしかに読唇術を使えれば、便利な場面は多いだろう。


 たとえ遠くにいたとしても人の会話が分かるわけだから、密かにしていたコソコソ話や秘密話についても、その全てを把握することができるだろう。

 

 しかし、どうして松本さんは俺にそんなことを言ってくるのか。



 ——なんだか、嫌な予感がする。


 そういえば、はじめてなつみに話しかけられたのも下駄箱であったし、下駄箱で誰かと出会うと、ろくでもないことに巻き込まれるイメージが俺にはあった。


 ただやはり今度も、俺はその場から逃げ出すことができず、そのまま松本さんの話に耳を傾けてしまった。



「わたし、読唇術で見ちゃったんですよね。森本くんが土屋さんに告白されてるところを」

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