第22話

「————やっと、見つけた。ちゃんと約束、守ってくれたんだね……。私と一緒に走ってくれますか、森本 司くん」


 俺は自分の目の前に広がる信じられない光景に、ただただ目を疑った。

 夢でも見ているんじゃないかと、頬をつねった。


 だってあの土屋さんが、他の誰でもないこの俺に、手を差し伸べてきていたのだから。

 


 ……これは一体、どういうことだ?

 一周回って冷静になってきた俺は、状況を整理することにした。


 俺となつみは、1レーンの箱を『好きな人確定箱』になるように細工した。


 その細工の影響で1レーンの箱からは、『好きな人』というお題が書かれた紙しか出てこないようになっている。


 そしてその1レーンの箱から紙を引いた土屋さんが、俺を借り物競走の借り物に指名した。

 それはつまり——。


 土屋さんの好きな人って————もしかして、俺なのか?


 

「もういい! 勝手に連れていくからねっ」

「え? えええっ!?」


 話しかけても無反応だった俺に痺れを切らしたのか、土屋さんは強引に俺の手を握った。


 土屋さんの手は俺の手より一回り小さかったが、それでもその手には溢れんばかりの力が込められていて。


 それから土屋さんはコースを囲うギャラリーたちをかき分けて、コースに戻るように歩き始めた。

 俺は土屋さんに手を引かれる格好となり、普段からあまり運動をしない俺は、それだけで躓きそうになってしまう。


 土屋さんのすぐ後ろを歩いているからか、土屋さんの甘いシャンプーの匂いが俺の鼻口をくすぐり、それだけでくらくらしてしまいそうだった。



 それでも俺は、ひたすら俯くことに一生懸命だった。

 なにより、ギャラリーの視線が痛かったのだ。


 ギャラリーたちは6巡目までのレースの結果から、1レーンの箱が『好きな人確定箱』だということを理解していた。


 つまり土屋さんが引いたお題が、『好きな人』だということも分かっていて。

 そんな土屋さんに借り物として選ばれた俺を、様々な感情を持って見ていることだろう。


 俺はそんなたくさんの人から様々な感情を向けられたことがなかったし、ただただ怖くて、顔を上げることができなかった。

  

 実に情けない話であるが、同時に仕方のない話だとも考えていた。



「ねえ、森本くん」


 すると俺の手を引きながら歩く土屋さんが、おもむろに話しかけてきた。


「私が1番嫌いなもの、なんだか知ってる?」


 この状況で、なぜそんなことを聞いてくるのか。

 それが甚だ疑問であったが、なにかその質問に意図があるのかもしれないと思い、少し考えてみることにした。


 土屋さんが1番嫌いなもの?

 食べ物、動物、人物、一体どのジャンルの話だろうか。


 いいや、たとえそのいずれかのジャンルの話であっても、土屋さんとの関係値が低い俺に、そんなことが分かるはずがない。


 しかし土屋さんは、それはキミが1番よく知ってくれているでしょう、とわけが分からないことを言った。


 そして、まもなくその答えを俺に教えてくれた。


「————誰かに負けることだよ、何事においてもね」



 それを土屋さんが言い終わった頃には、俺と土屋さんは借り物競走のコースへと戻ってきていた。


 恐る恐る顔を上げてみると、俺たちの少し前方に、同じように借り物を連れてコースへと戻ってきた2レーンの走者がいた。


 彼らもこれから走り出そうという塩梅で、この最後の直線50メートルで、7巡目の1着が決まるという状況だった。



 ——————俺は、覚悟を決めた。


「……多少、強引でもいいから俺を引っ張っていってくれ」

「え?」

「勝つんだろ? このレース、負けたくないんだろ?」


 俺がそう言うと、土屋さんは驚いた顔をした。

 まさか俺がやる気になるとは、思ってもみなかったという顔だ。


 そりゃ俺だって、運動は得意じゃないし、好きじゃない。

 走るのは苦手だし、大衆に恥を晒すようなことはできればしたくない。



 でも本気で勝とうとしている人の、邪魔をしたくなかった。

 その気持ちは、aiさんとゲーム通話をしている時の気持ちによく似ていて。


 その気持ちが、他の気持ちより優ったのだ。



「さすがTSU……いいえ、森本くんね。分かっているじゃない。言っておくけれど、そう言ったからには手加減しないわよ?」

「ああ、望むところだ」


 今はとにかく、目の前の勝利に意地でもしがみつくだけだ。

 自分から足手纏いになるのは、御免だった。



 そんな決心する中、ふと俺は違和感を感じた。


 土屋さんと話すのは、これがほぼ初めてとなるはずであるのに、なぜか土屋さんと初めて喋ったような気がしないのだ。


 あの土屋さんと、俺はいま喋っているのだ。


 緊張してしまって会話のキャッチボールが成立しなくてもおかしくないのに、むしろいつもよく話しているかのような安心感があった。


 その違和感が、俺の記憶と繋がりかけた、その瞬間。


「じゃあ、行くわよっ」

「ああ……って、あああああああ!」


 俺はとんでもないスピードで手を引かれ始めた。

 

 自分の足が、意味が分からないくらいに、俊敏に動いている。

 能動的に動かしているというより、受動的に動いているといった感じだ。


 自分の足が、自分の足だとは思えない。


 とにかくコケないように、躓かないように。

 それだけを意識して、俺は土屋さんに引っ張られ続けた。



 何気なく、自分のすぐ目の前を走っている土屋さんを眺める。

 土屋さんは真剣に走っていたけれど、どこか楽しそうで。


 いまこの瞬間も、ギャラリーからは様々な視線を向けられているのにも関わらず、まったくそれを気にしていないような様子で。


 やっぱり土屋さんには敵わないなあ、とつくづく思う。



 そんな刺激的な体験に慣れ始めた頃には、もうゴール地点に辿り着いてしまいそうで、50メートルなんて本当にあっという間だった。

 

 俺たちは、前を走っていた2レーンのペアをいつの間にか追い越していて、先頭でゴール地点へと辿り着いていた。



 無事に先頭で到着し、躓かずに走れたという安堵感に俺は包まれていたのだが、俺たちに駆け寄ってくる係のものを視界にとらえた瞬間、ようやく自分が重大な事実を忘れていたことに気がついた。


 そういえば、俺は土屋さんの借り物だった。

 それも、土屋さんの『好きな人』の借り物だ。


 『好きな人』の借り物で異性を選ぶということは、それはつまり告白と同義ということになり、それに返事をしなければいけないという流れに自然となる。


 あの絶世の美女と学校中の噂になっている、土屋さんからの告白だ。


 返答次第で、俺のこれからの学校生活が危険に晒されることになるかもしれない。いいや、危険に晒されない未来が見えない。


 いっそのこと逃げ出してしまおうかとも考えたが、俺の手は後で跡が残ってしまうくらいに土屋さんの手に強く握られていて、とても逃げ出せる状況じゃなかった。



 俺がどうしようどうしようと、困り果てる中。

 待ち受けていた結末は、誰もが想像もしていないものだった。



「はい、まず1番に1レーンの走者の方がやってきました! 最後の50メートルの走りは圧巻でしたね、さすが土屋さんです! そしてお題を確認しましょう! お題は…………『謝りたい人』です!」


 土屋さんが取り出したお題の紙は、俺にはまったく身に覚えのない、お題の紙だった。



 後に、俺は知ることになる。

 借り物競走に細工を仕込んでいたのは、俺たちだけではなかったということを。

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