第20話

 いよいよ、体育祭当日となった。

 今日は天候も良く、絶好の体育祭日和となった。

 

 高校1年生の俺たちにとって、これが高校初めての校内イベントとなる。


 なんだか教室の雰囲気はいつもとは違った高揚感に包まれていたし、そわそわして落ち着きのない生徒もちらほら見受けられた。



 一方、そんな教室の状況とは裏腹に、俺は意外とのんきに過ごせていた。


 準備にあれだけ奔走した体育祭だったが、いざ当日を迎えてみれば、俺は気楽な一日を過ごせそうだったからだ。


 11時からの綱引きに出て、それが終われば、あとは土屋さんのことを応援しているだけでいいし。

 

 ただただ、緊急事態ってのが起きないことを願うばかりだった。




 そんな俺の願いが叶ったからかは分からないが、午前中はほぼ何事もなく体育祭は進んでくれた。


 土屋さんの出場していたバレーボールは、バレーボール部員率いる優勝候補のクラスに勝ち、なんと優勝を収めたようだったし、俺が出場した綱引きはあっさりと一回戦負けを喫した。


 バレーボールでは土屋さんが大きな注目を集めたそうで、体育館には多くの人が押し寄せたそうだ。


 人が集まりすぎて現場は一時、混乱になりかけたそうだが、あらかじめ入場規制の準備をしていたなつみたちの活躍があり、大きな混乱は避けられたそうだ。


 そんななつみたちの暗躍を知ると、土屋愛ファンクラブに対しての見方を改めなくてはいけないように感じた。


 土屋愛ファンクラブは十分に有意義な団体であることを、なつみは証明してみせたのだから。



 しかし、今日も土屋さんの運動神経が絶好調なようでなによりだった。


 土屋さんが期待に応えられず、教室がお通夜みたいな雰囲気になるのは俺も1クラスメイトとして、耐えられないからな。


 これから昼休憩を挟み、いよいよ借り物競走の時間だ。


 『好きな人確定箱』を土屋さんのレーンに配置するのはなつみの仕事で、この昼休憩の間に、最後の細工を施しているらしい。

 俺も手伝おうかと、なけなしの良心を振り絞ってそんな提案をしたのだが、「むしろ邪魔だから来ないで」と一蹴されてしまった。


 まあ、俺にそんな繊細な作業が手伝えるとは思えなかったし、俺を邪魔だと判断したなつみはなかなか冴えている。



 しかし、なんだか俺も緊張してきてしまうな。

 

 なつみの細工が果たして、思惑通りにうまく行くのか。

 うまくいったとして、土屋さんはどんな答えを出すのか。


 あまりそういうことが気になってこなかった俺の人生であるが、今回ばかりはその細工を手伝ったという事実があるからか、他人事のようには思えなかった。



 昼食を食べ終わり、珍しく15分前行動を意識した俺がグラウンドへ出た頃には、グラウンドの100メートルのトラックには借り物競走の用意がすでに施されていた。


「ちゃんと遅れずにこれて偉いじゃない、ポチ」

「だから犬扱いするな」


 グラウンドへ出てきた俺を見つけたのか、用意を手伝っていたなつみが俺の元へ寄ってきた。


「細工は完璧よ、あとは土屋様が走るのを見守るのみね」

「ちゃんと昼ごはんは食べたのか?」

「は? なんの話?」

「ちゃんとなつみは昼ごはんを食べたのかって聞いているんだ」

「あら、飼い犬が飼い主の心配をするなんて、偉くなったじゃない」 

「普通に心配しているだけなんだが」

「別に1日くらい昼ごはんを食べなくたって平気よ」


 案の定、なつみは昼休憩なしで働いていたようだった。

 土屋さんのために身を粉にして働くのはいいが、それで会長様が倒れたら、心配するのは俺たちなのだ。


 俺はポケットから、用意していたものをなつみに差し出した。


「ほら、これやるよ」

「なにこれ」

「カロリーメイトだよ」

「……それくらい、知っているわ」

「これ食べとけば、多少はエネルギー補給になるだろ?」

「か、飼い犬に餌付けされる覚えはないわっ」


 なつみはらしくもなく照れているようで、カロリーメイトを素直に受け取ってはくれなかった。

 でも俺は本当になつみのことを心配していて、だから……。


「食べてくれ、頼むから」


 俺は少し、語尾を強めてなつみにそう言った。 


「な、なによ……急に……」


 そんな俺のいつもとは違う態度になつみはびっくりしつつも、俺の真剣さをようやく感じ取ってくれたのか、考えを改めてくれるようだった。


「し、仕方ないわねっ! そんなにあたしのことが心配だって言うなら、仕方なく、あくまで仕方なく、受け取ってあげないこともないわ!」

「どこまでも素直じゃないな」

「……何か言った?」

「何も言ってないです」


 なつみは俺の手からカロリーメイトを奪い取り、それをもさもさと食べ始めた。やはりお腹が空いていたのか、あっという間に一本をたいらげてしまった。


 食べている姿を見られているのが恥ずかしいのか、耳まで真っ赤にしながら、それでも二本目も食べ始めた頃。


「……これ、喉が渇くわね。飲み物は?」

「持ってくるの忘れた」

「気が利かないわね、そんなんだから……」

「嘘だ、持ってきた」

「なんかムカつくわね、今日のあんた」


 そう言って、俺は隠し持っていたスポーツドリンクをなつみに手渡した。


 カロリーメイトを食べる時、同時に飲み物を用意しなくちゃいけないのは、義務教育で誰もが習ったことだろう。


 なつみはカロリーメイトに口の中の水分を持っていかれていたのか、俺から受け取ったスポーツドリンクをごくごくと、美味しそうに飲んでいた。


 ……なんだこの、捨て猫に餌をあげている気分は。

 なんだか、すげえ癒されるっていうか、和やかな気分になるっていうか。


「……なにか失礼なことを考えているでしょ?」

「べ、別に」


 そういえばなつみには、俺が単細胞であるが故に、考えていることがバレてしまっているんだっけ。

 それは実に厄介な話だった。


「まあ、いいわ。もうあんたのことを単細胞だなんて言うの、辞めるから」

「なんで?」

「べ、別に深い意味はないわ! あんたと仲間にされる単細胞生物たちが可哀想だなって思っただけ!」

「食料と水をくれた恩人にそういうこと言いますかそうですか」

「……ッ、ぁ………ぅ!」

「え?」

「ありがとうって言っているの! さあ、もうすぐ借り物競走が始まるわよっ、あんたは早く持ち場につきなさいっ!」

「はいはい……」


 そうなつみに指示され、俺は大人しく指示された持ち場へと移動することにした。無茶をしていたなつみへの栄養補給も、無事に成功したことだしな。


 持ち場についてしばらくすると、校舎から続々と生徒たちがグラウンドへと出てきはじめた。


 その中にはクラスメイトと談笑しながら歩いている、土屋さんの姿もあった。

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