宇宙の彼方から、君へ

守宮 靄

宇宙の彼方から、君へ



《一》



『……昨夜午後七時過ぎ、全国の広い範囲で火球が観測されました。有志の解析によると、火球は燃え尽きずに隕石として近海に落下した可能性があるということです。次のニュースです……』


 か細い音声が唐突に断ち切られる。

 少女はやや乱暴に、今しがた操作したリモコンをベッドの横のスツールに置き、テレビに背を向けた。昨晩流れたらしい火球に興味を惹かれてニュースを見てみたが、流れたのは通り一遍の解説と視聴者提供の映像だけだった。確かに徐々に色を変えながら夜空を裂く火球の動画は美しかったが、粗い画質とどこの誰とも知らない、

「きゃー」

「ねえ見てヤバい!」

というような声で興醒めだ。それ以上の何かを期待していたわけでもないのだが。


 家に帰ってきて四日が経つ。久しぶりの部屋はどこかよそよそしさがあったが寝るのに不都合はなかった。そう、昨日までは。今夜はなぜか寝つけず、こうして深夜に小型テレビをつけてみたり、意味もなく窓を開けて外を見てみたりとどうも落ち着かない。何か眠れなくなるようなことをやったかしら、と少女は今日一日のことを思い出すが、わざわざ思い返すほどのことはなかった。寝て、起きて、食事をして、寝る。外に出ることはない。病院にいたときとほとんど変わらない生活。

 両親が非常に気を遣って『いつも通り』に振舞っていることは分かる。無理をして、少女と一緒に過ごせる時間を捻出しようとしていることも。

 しかし少女はその優しさを素直に受け取れずにいた。

 正しい対応はこれではないと分かっていたが、何も知らず無邪気に喜べるほど少女は子どもではなかったし、残される両親のことを思ってその『ふり』だけでも見せられるほどに大人でもなかった。


 眠れない夜に考えるのはいつも同じことだった。『死の直前、自分は何を見るのか』。夢うつつの幻のように混濁した意識はきっと、そこに無い何某かを見出すに違いない。中身のない走馬灯か、それとも『お迎え』か。『お迎え』は美しく輝く天使だろうか、を纏った死神だろうか。少女は神も仏も特に信じてはいなかったが、それゆえに『最期の光景』を自由に想像できた。


 想像が散漫になり、脈絡のない思考が途切れがちになる。規則的な呼吸音が寝息へと変わる直前、コンコン、と窓を叩く音が少女を目覚めさせた。

「なに?」

 目を擦りながら、少女はカーテンを開ける。眠気が警戒心を麻痺させていた。厚いカーテンを取り払われ晒されたガラス一枚を隔てて、奇妙な来訪者が目の前にいた。


 それは概ね人型をしていた。てらてらと光を反射する白い服に全身を包まれている。服の生地が分厚いのか、あるいは内側に何層も着込んでいるのか分からないが、ぶくぶくと着膨れしていて動きにくそうだ。頭部全体を覆う形のヘルメットに、獣の耳のような三角形が二つ付いている。フェイスシールドの内側は真っ黒で、その中身を知ることはできない。そして窓ガラスに添えられた、着膨れしてモコモコの手。そこに、指は四本しかなかった。


 その姿を観察し終えてなお、少女はまだぼんやりとしていた。これは夢? それとも『お迎え』? もし『お迎え』ならちょっと、予想外だったわ、などと考えながら、その奇妙な存在を見つめていた。真っ黒なヘルメットのバイザーに、少女自身の呆けた顔が映り込んでいた。

 『それ』はもどかしそうに腕や指を動かして、鍵を締め忘れていた窓を開けた。よっこらしょ、と声が聞こえてきそうな、もったりとした危なっかしい仕草で、窓枠を越えて部屋に入ってくる。

『#◇$&!』

 『それ』は片手を上げながら合成音声じみた音を発したが、その音はとうてい人間が発音できそうなものではない。少女が反応に困っていると、『それ』はどこか慌てた様子で、てらてらの服の表面についたいくつものボタンのようなものをあちこち触った。

『こんにちは!』

「……こんばんは」

 深夜に似つかわしくない朗らかな合成音声に対して、一応の返事をする。

『返答あり。思念式同時自動翻訳システム及び発音装置に問題なし、と……』

 この時点で少女は、「このおかしな格好の来訪者が『お迎え』ではありませんように」と強く願っていた。最期に見るのがこんな突拍子もない、言葉が通じるのかさえ怪しいモノなのは、ちょっと嫌だった。現によくわからないことを独りで喋っていて、不気味だ。

 開いたままの窓から入り込む夜風が頬を撫でる。その感触が妙に生々しくて、少女はやっと、これが夢でも幻覚でもなく『現実』なのではないか、ということに思い至った。それなら目の前の妙な格好の何者かは不法侵入してきた不審者……? 遅ればせながら警戒しつつ、少女は尋ねた。

「あなた、何者?」

『何者。ここで答えるべきは身分? 立場? それ以外?』

「……名前を」

 答えてしまってから、どうして質問している側が質問で返されなければならないのだと苛立つ。

『名前。個体識別のための音声及び文字情報。あいにく僕は名前というものをもっていないんだ。だから答えられない』

「どういうこと?」

『この星みたいにたくさんの知性体が存在しているわけではなかったからね。名前が必要なかったんだ』

「……まるで地球の外から来たみたいな言い方ね」

『そうだよ』

《それ》は人間では有り得ない、ぐねぐねとしたゴムのような動きで腕を動かして、窓の外を指さしながら言った。

『僕は宇宙からやってきた』


 少女は目眩を覚えた。頭も痛くなってきた気がする。深夜に他人の家に勝手に入りこんで、『宇宙から来ました』とか言う不埒な輩が現れたら誰だってこうなるだろう。そして目眩と頭痛の種の張本人ときたら、こっちのことなど意に介さず、モコモコの手指をモゾモゾと動かしている。やはり動かしにくいのだろうか。問題はその指が手のひら側と手の甲側にそれぞれ一八〇度ずつ自由に曲がっていることだ。否応なしに、『宇宙からやってきた』証拠を見せつけてくる。

 少女はこの不審者が本物の宇宙人であることを信じ始めていた。だがまだ一片、疑っている自分もいる。よし、自分で問い詰めて納得できるだけの情報を引き出そう。納得できなかったらお帰りになっていただこう。少女はそう決めてしまった。

「宇宙人なら、顔を見せてよ。ヘルメットを取って」

『それはできない。密閉状態でなくなったら、僕が保たれない』

 どこか引っかかる言い方だったが、なるほど確かに、人間だって宇宙空間にいるときに『服を脱げ』と言われたら断るだろう。この《宇宙人》は地球の大気の中では生きていけないのかもしれない。

「ごめんなさい。質問を変えるわ。いつ地球に来たの?」

『この星の時間の概念に慣れていないから計算間違いがあるかもしれない。三十時間ほど前、この陸地の近くの海に着水した』

 三十時間前。昨日、いやもう一昨日になる日の午後七時頃。火球の映像が頭に浮かんだ。

「地球に来てからここに来るまで、何をしてたの? その格好と鈍臭さで誰にも見つからずにいられるとは思えないんだけど」

『ちょっと否定的な意味合いの単語が聞こえた気がするけど、まあいいよ。海から陸に上がって、移動して、君たち――人類の思考をちょっと覗いていた。移動するときは、ほら、この光学迷彩システムで……』

 そう言って《それ》は何らかのボタンを押した。するとその異様な風体はフッと空気に溶け込むように消えてしまった。

「すごい!」

『これを使えば人類に見つからずに移動できるからね。どう? 僕が宇宙から来たって信じてくれた?』

 ゆらりと姿を現した《それ》の言葉を聞いて、先ほどの『人類の思考をちょっと覗いていた』という発言を思い出した。光学なんちゃらかんちゃらで誤魔化されていたが、かなり問題のある発言ではないか。少女が《それ》を疑っていたこともばれている。

「疑ってしまってごめんなさい。それはそれとして、他人の頭の中を覗くのは失礼じゃない?」

『……どうやら君たちは思念の共有を嫌うようだね。一般的な会話をするに十分なだけの語彙も収集できたし、今後は自重するよ』

「そうしてちょうだい」

『質問はこれで終わり? それじゃあ次は僕が聞きたいことがあるんだけど……』

 そのとき、家の中から物音が聞こえた。階段を登り、少女の部屋に近づいてくる足音。

「ママが来る! 隠れて」

 少女は今更のように声を潜め、不審な来訪者は大人しく光学迷彩システムを使用した。

「エリ? どうしたの? さっきから何か喋っているみたいだけど……」

「ママ、ごめんなさい。どうしても眠れなくて……」

「そう、そうよね……。でもどうか少しでも眠ってちょうだいね、お願い」

「わかってる、もう寝るわ。おやすみなさい」

「おやすみなさい、エリ」

 しばらく扉の前に留まっていた気配は、足音とともに離れていった。

『ママ。母親。エリを発生させた者だね。僕は彼女に見つかってはいけないのかな?』

「いけないでしょうね。ママがあなたを見て叫んだりしたらパパも起きてくるし、あんまり騒ぎになったらあなた捕まるんじゃない? それがお望みなら私が悲鳴をあげてもいいけど」

『遠慮しておくよ』

「そう。あ、あなた……。ずっと“あなた”って呼ぶのもなんかまどろっこしいわね」

『名前。個体識別のための音声及び文字情報。親しみの表現として与えることもある。僕は名前を持っていないが、必要ならば、エリ、君がつけてくれないかな』

「半分はさっきも聞いたし、それにあなた、さっきからしれっと私のこと名前で呼んでるわね。まあ、いいけど。そうね、うーん」

 少女、エリはたっぷり三分は考えてから、口を開いた。

「『アストロ』なんてどう?」

『《アストロ》。この星の言語で星や宇宙を意味する語。どうしてこの単語を選んだの?』

「あなたが宇宙飛行士みたいな格好してるから」

 確かに、《それ》──アストロの奇妙な格好は、宇宙飛行士の船外活動服に似ていた。『密閉状態』とも言っていたし、見た目だけでなく機能も宇宙服に似ているのかもしれない、とエリは考えた。

『へえ。この星にも宇宙飛行の技術があるのか。……もしかして君も星間飛行したことある?』

「ないわよ。訓練した人しか宇宙に行けないし、それも地球の周りをちょろっと回るだけ」

『有人宇宙飛行の技術は未発達というわけか。まあ僕の星も宇宙航空技術はほとんど発達してなかったけど』

「……まるで高い技術を持ってるような口ぶりだったのに、発達してないのね。じゃあその服はなんなの? 宇宙服じゃないの?」

『これは僕の星に落ちてきたものだから、貰い物みたいなものだよ。僕は――いやもう《僕》ではないのかな――、まあ、とにかく出不精でね、星の外に出ることに関心がなかったんだ。必要もなかったしね』

「でもあなた、地球まで飛んできたんでしょ?」

『それに使った技術もこの服と一緒に貰ったんだよ。これがたまたま落ちてこなければ、僕が宇宙に飛び出すことはなかっただろうね』

「ふうん」

『そろそろ僕から君に質問してもいいかい? 僕が来る前――』

「あ! もう三時じゃない。どうりで眠いわけだわ。アストロ、悪いけど明日の夜また来てくれない?」

『ええ⁉ ねえ、明日の夜までここにいても……』

「嫌よ。せっかく家に帰ってきたのに部屋に誰かいたんじゃ落ち着かないわ。出てって」

『……仕方ないな。また明日の夜、来るよ』

「うん、またね」

 アストロはぎこちなく手を振り、身体の正面をこちらに向けたまま背後にある窓枠によじ登り、膝や腕の関節を人間のそれとは逆に曲げて窓から出て行った。

「関節どうなってるのかしら……」

 エリは開いた窓から下を外を見るが、それらしき影はもうどこにもない。途中で光学迷彩を使ったのだろうか。

「あ。この部屋、二階だわ……」

 アストロがここを訪れたとき、窓の正面に立っていたことを思い出しながら呟いた。






《二》



 コンコンと窓がノックされる。

「はーい。今開けるわ」

 エリは今日も眠くなかった。それは昨日のようにどうしようもない苛立ちや不安を伴ったものではなく、随分と久しぶりな、何かを期待しているとき特有の高揚感からだった。

『こんにちは!』

「昨日も思ったけど、夜の挨拶は『こんばんは』よ。あともう少し小さな声にできる? ママが起きちゃうわ」

『わかった。それで僕から聞きたいことが――』

「せっかちさんね。そんなとこに突っ立ってないでここ座りなさいよ」

 ベッドに腰掛けた自分の隣をポンポンと叩くと、アストロは相変わらずのどことは言えないが不自然な動きで横に座った。

「それで、聞きたいことってなに?」

『《死》について教えてほしいんだ』

 何の躊躇いもなく発されたその質問に、先程までやや饒舌になっていたエリは黙してしまった。そしてしばし後、今度は爆発したように捲し立てた。

「私、病気のこと話したことないんだけど。なんで知ってるの? アストロ、あなた昨日、『今後は人間の頭の中を覗くのは自重する』って言ってたわよね?」

『あれ以降、僕は思念の共有を行っていない。エリが死を間近に迎えていること、死の際に何を見るのかを空想しているのを知ったのは、僕がこの部屋に入る前だ』

「あれも覗かれてたの⁉ 信じられない!」

 エリは大きなため息をついて頭を抱えた。そして観念したように話し出した。

「そうよ。私は……。私は、ずっと身体が弱くてね。小さいころから病院にいることが多くて、ここ何年かは家にいる時間より入院してる時間の方がずっと長かった。それがね、急に『家に帰ってもいいですよ』だって。つまり、そういうことよね」

『つまり、どういうこと?』

「《もう手の施しようがないから、短い期間ですが安らかな時間を過ごしてください》ってことよ!」

 最後のほうは、ほとんど悲鳴に近い声だった。あらためて言葉にすると、優しさに包まれた残酷な事実を痛いほどに突きつけられる。エリは目頭が熱くなるのを感じていたが、人前で泣くのを恥だと思っている彼女は、ヒトかどうかも定かでない相手の前でも、目をきつく瞑って涙を堪えていた。

『……君は、死が何であるかを知り、受け入れているんだと思っていた。《死の直前に何を見るのか》という想像をしているとき、どこか楽しそうだったから。それに惹かれて、僕はここに来た』

「楽しそう、ね」

 エリは笑った。幼い顔と不釣り合いな、自嘲的な笑みだった。

「あれは、そうね。私なりに折り合いをつけていたのよ。逃れられないものを、必要以上に恐れないようにするためのね。おかげで『楽しそう』って思ってもらえるくらいには、無駄に怯えなくてもよくなったわ」

『僕は』

 アストロは何かを言いかけたが、まとまらない思念は翻訳されず、ザーッ、とノイズを流すだけだった。

「『死』について教えてほしい、って言ったわね」

『……そうだね』

「多くの人が『死』について――『死の瞬間、そして死後、人間の意識はどうなるのか』について考えているわ。肉体的には生命活動が止まって、灰になるだけなのだけど」

『灰。物が燃焼したあとに残るもの。君たちは死後、灰になるのか?』

「なるというか、されるのよ。この国ではね。遺体は火葬にするのが基本よ。そうしない人もいるし、火葬がスタンダードではない国もある」

『《死》にまつわる風習ということだね』

「主に“死ななかった人”のためのね。そうやって肉体活動を停止するのだけど、じゃあその肉体に宿っていた意識はどうなるの? って言われると、それは誰にも分からない。生きている人はみんな、死んだことがないのだから」

『そうだね』

「だけど生きている人はみんな、いつか死ぬのよ。だから逃れられない『死』のあとについて夢想する。天国や地獄に行くとか、生まれ変わるとか。それは『死』の恐怖を和らげるためでもあるし、場合によっては『生』に張り合いを持たせるためでもある」

『エリは、《死》のさきには何があると思っているの?』

「何も無いわ。無よ」

『無……』

「私のように考える人は少なくない、と思う。そして『死のあとには何もない』と考える人は、死の瞬間――有が無へ切り替わる瞬間のことを想像してしまう。これは本当に分からないわ。その瞬間、何を見て、何を聴いて、何を嗅いで、何に触れるのか誰も知らない」

『エリはその瞬間に《何かを見る》と想像したんだね』

「そう。勝手に頭の中見たあなたなら知ってると思うけど、私はそれを《お迎え》と呼んでる。天国や地獄やあの世を信じているわけじゃないけど、わかりやすいから。――私ね、初めてアストロを見たとき、《お迎え》が来た、って思ったの」

『お迎えじゃありませんように、とも思ってたよね』

「それも覗いてたのね……。まあいいわ。とにかく、これが私たち、というか私が『死』について考えていること。肉体の停止でしかない現象の周縁部、『死』をめぐる思考や思想こそが、ある意味では“死”の本体なんだと思ってる。

 ……これで十分かしら? 不満なら外へ出て他の人にでも聞いてきたら?」

『いや、十分だ。ありがとう』

「どういたしまして」

 エリは大きく息を吐いて、そのまま上半身をベッドの上に倒した。

「喋りすぎて疲れちゃった。少し休ませて。あ、もし私が寝ちゃったら勝手に帰ってくれてていいから。窓は閉めてね」

 それだけ言って、アストロの返事も聞かずに目を閉じてしまった。アストロは今のエリの話を思い返しながら、エリの部屋のあちこちを眺めていた。本棚に置いてある本の背表紙を多機能ヘルメットで読み取り、思念波へ翻訳する。『宇宙のふしぎ』『宇宙ロケット開発の歴史』『星のひみつ』……。本棚の上から下まで、宇宙研究の本と宇宙を舞台にしたフィクションが詰まっているようだった。自分がもらった『アストロ』という名も、貰い物の宇宙探査スーツの見た目だけではなく、彼女の憧れに由来しているのかもしれなかった。


「眠れないわ」

 ぽつりとエリが呟いた。見るとその目はぱっちりと開いている。確かに眠くはなさそうだ、とアストロは思う。

「私はいっぱい話したんだから、今度はアストロが話してよ」

『僕が? 僕は何も……』

「何もないわけないでしょ。はるばる他の惑星からやってきたんでしょ? それに、あなた私たちとは全く違う生態してるみたいだし。話してよ、いろいろ」

『……星間飛行中はほとんど漂っているだけに近い状態だったし、君と僕とではあまりにも違いすぎて、話してもわかってもらえるか……』

「わかるかわからないかは私が決めるわ。なんでもいいから、話してよ」

 さっきまでの、どこか大人びた態度とは正反対の、駄々っ子のような振る舞いをするエリに戸惑いながら、アストロはぽつぽつと語り始めた。


* * *


 僕はもともと、ある惑星全体を覆っていたんだ。

 僕――君たちの感覚でいうと『僕たち』って表現の方がいいのかな――は、密度によって知能が変化する、気体のようなものだった。惑星に密閉された建物なんか無くて、僕は常にひとつの意識をもっていた。重力で大地に押しつけられ、とりとめのない思索を繰り返すのが、僕の日常だった。そこに僕以外のものはいないから、僕は名前を持たない。持つ必要が無い。『僕』という一人称さえ不要だった。

 ときたま、他の惑星から探査目的の機体がやってきたけど、無人探査機は気圧で壊れ、有人探査機は多くの場合に大気圏で燃え、それを突破できても着陸に失敗して大破していた。


 その有人探査機も例外じゃなかった。大気圏突入時に、着陸のために必要な部品が壊れ、着陸に失敗した。三体いた乗員は二体が即死したが、ひとりは奇跡的にほぼ無傷で生きていた。だけど、残された時間は多くない。予備のボンベの中身が尽きるまでの短い命。

 そんな状況に陥った彼はどうしたか?

 まず、仲間の死を悼んだ。僕は僕以外の生きた知性体を見るのは初めてだったから、『悼み』に触れるのも当然初めてだった。

 そして彼は……、文字通り死に物狂いで僕の惑星を探査した。刻一刻と減るボンベの残量を確認しながら、鉱物を採取し、気温を測り、僕の一部を容器に詰めた。目に見えて近づく『死』の存在そのものが、彼を駆り立てているようだった。

『密閉された容器に隔離された《僕》は、僕の意識からも分離される』ということを知ったのもそのときだったな。一通りの探査を終えた彼は、何かしらの記録をつけ始め……そこで力尽きた。


 《死》をもつ生命は、ここまで充実した生を送れるのか。それが僕にとって最大の発見だった。だがそれは僕にとっては遠くに見える星のような夢だった。願っても叶わない。代わりに僕は、いろいろな生を見たいと思うようになった。死の間際に、いっそう輝く生を。そのためにこの惑星を離れたいと思った。それは、僕――僕たち――にとっての、タブーだった。

 拡散することにより知性を失い、自我も消滅してしまう気体状知性体にとって、自分自身を押し固めてくれる重力から離れるなんて、とんでもない発想だからね。

 そのとき思い出したのが、彼が着ていた宇宙探査スーツだった。ちょっと壊れていたから、惑星にある素材で修復して、あとちょっと改造もして、中にいた彼には出てもらって、僕の一部をスーツに詰める――僕がスーツに詰められる。


 スーツのハッチを留めたその瞬間、僕は僕から切り離されて、かつて僕だったものと、この僕とに分かれた。


 そうして僕はかつて僕だったものに文字通り背中を押されて、惑星から飛び出した――というのは『この僕』から見たときの景色だ。

 惑星に残った僕からすれば、自分の中に生まれた禁忌の思想を、その原因となったスーツとともに遠くへ投げ捨てたようなもの、だろうね。


 そうやって僕は広い宇宙へ投げ出された。惑星にいたときも言ってしまえば『ひとり』であったはずなのに、初めて自分は『孤独』だ、と思った。そうやってあちこち漂って、たまに光学迷彩やら何やら、スーツについていた機能を使って、捕獲してこようとする者の手から逃げながら、この星までやってきた。

 この星に落ちたのは偶然だよ。ちょっとぼんやりしてたらうっかり吸い寄せられて落ちちゃっただけ。

 この街の陸に上がってからは、君の思念を目指して歩いた。知覚できる思念の中で、いちばん真剣に『死』について思考している、いちばん近い思念だったから。

 そこから先は、君も知っているよね。


* * *


「……にわかには信じ難い話ね」

『だから言っただろう?』

 エリはいつの間にか起き上がって、難しい顔をしながらアストロの話を聞いていた。

「わからないとはまだ言ってないわ。まあ、全部はわからなかったけど」

『ほら……』

「でも、わかったぶんは信じる」

『……僕が聞くのもなんだけど、どうして?』

「信じがたいことを拒絶するんだったら、あなたが『宇宙から来ました』って言ったときに窓から放り出してるわ。わかったぶん、納得できたぶんは信じるようにしてるのよ。……あと、私と話してくれたことに対するお礼」

『お礼?』

「外に出られないし、身体に鞭打ってまで出る気にもならない。当然友達もいないし、話し相手は両親だけ。その両親にも打ち明けにくかった空想や考えを、聞いてくれたからよ。……両親はね、私がもうすぐ死ぬなんて事実がまるで存在しないみたいに振る舞うのよ。私が『死』を理解できてないと思っているのかしら」

 エリはそこまで一息に喋ってしまってから、小さな声で「私も、理解できてるとは思ってないけどね」と付け加えた。

 ふたりの間に長い沈黙がおりた。窓は開け放してある。夜風が部屋に舞い込み、部屋の隅で蹲っていた。

「ねえ、アストロ」

『どうしたの?』

「私、死にたくない」

 答えあぐねたアストロはしばらく手をモゾモゾと動かしていたが、不意に声を上げた。

『エリ、宇宙に行きたくない?』

「……は?」

『行きたくないはずはないよね? これだけ部屋に宇宙の本があるんだから。 このスーツならうまくやれば大気圏も突破できるし、星間飛行にも耐えられる! あとは大量の呼吸ボンベと、大気の外までスーツを押し上げてくれる……』

「アストロ」

『僕が星を出るときは僕じゃない僕が押し上げてくれたけど、ここにはいないから、えっと』

「アストロ」

『え?』

「もう十分よ」

 アストロはもう何も言えなかった。エリが慰めるような口調で言う。

「アストロ、昨日と比べて随分お喋りが上手くなったわね」

『……学習を重ねているからね。思念式同時自動翻訳システムが』

「そうね。これならもっと色々な人と話せるでしょうね」

『……』

「あなたもこの星から出る手段がないんでしょ? だったら気が済むまで人間たちと話してみるといいわ。あなたが言ってた探査機の彼ほどに壮絶な『生』にはなかなか出会えないかもしれないけど、この星でも毎日多くの人が死に、それぞれがそれぞれの『生』を生きてる」

『……』

「明日から、どこへでも好きなところに行くといいわ。だけど夜が明けるまでは、一緒にいて」

『……わかった』

 その晩、アストロは東の空が明るくなるまで、エリの部屋にいた。






《三》



 次の夜、アストロは再びエリの家までやってきていた。昨晩ほとんど「明日は来なくていい」と聞こえるような言葉をかけられてはいたが、そう言われると余計に気になってしまうというものだろう。

 いつもどおり、窓をノックする。一回、二回。返事はない。もう一度ノックするが、部屋の内側は静かなままだ。不気味なほどに。

 自重していた思念共有もやってみるが、エリの思念が感じ取れない。窓の鍵は開いていた。躊躇わずに開け、カーテンを払い除ける。


 部屋の中央でエリが倒れていた。細い身体を丸めるようにして、口から液体を吐いている。組成と色から、人体において循環と防御反応を担っている体液――血液であると分かった。意識こそないが、エリの肉体はまだ生きている。それに気がついたアストロは発音装置のボリュームを最大まで上げ、声とは言えない音を出した。

 娘の部屋で突如として鳴り響く異音に気がついた母親が駆け上がってくる足音が聞こえる。アストロは光学迷彩で姿を消したあと、窓から飛び出した。


 その後、エリは病院へ運ばれ、しばらくの間はこの世にしがみついていたものの、一日も経たないうちに死亡宣告を受けた。

 かつてエリだったものは家に帰ることなく、そのまま葬儀場へ搬送された。その間、エリの両親は何かと慌ただしく動いていた。アストロといえば特にできることもやれることもないので、誰かにぶつかることのないくらいの距離をとって、光学迷彩システムを起動したままぼんやりとその様子を眺めていた。


 翌々日の葬儀は粛々と行われた。参列したのはエリの親族がほとんどであり、彼らはみんな泣いていた。

斎場内に潜り込んでいたアストロだが、どうにもいたたまれなくなって、途中で外に出てしまった。

これからかつてエリだったものは火で焼かれるのだろう。アストロがいようがいまいがその事実が変更されることはないし、かつてエリだったものが燃えるのを見て何かしら思うことがあるとも思えなかった。

 それより、アストロにはアストロがやるべきだと思うことがあった。


 エリは『死んだら灰になる』と言っていたが、それは正確ではない、と思う。人間の肉体の六割は水でできていて、残りの四割の主成分は炭素らしい。それなら焼かれた人間の身体の大半は、気体となって大気中に拡散するのではないか。


 斎場から少し離れた、植物の密生地――雑木林で立ち止まり、光学迷彩システムを解除する。木々の間に唐突に出現した白い影に気づくものはいない。


 ここなら誰かに邪魔されることはないだろう。


 スーツの背中部分についたハッチのロックを解除する。プシュ、と鋭い音がして、アストロは自分が隙間から漏れ出していくのを感じた。

 拡散し、希釈され、それはアストロ自身としての自我を保てなくなる。ハッチがゆっくりと開く。エリたちのような肉体の生命活動の停止こそ存在しないが、行き着く先は同じだった。

 思考は気体とともに霧散し、まとまることがない。

 エリはもう、この大気にまざっているだろうか、まだ、だとしても、すぐ――。


 中身を失った白いスーツがゆっくりと前のめりに倒れ、二度と動くことはなかった。

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