第20話:幻影《げんえい》

 飛竜が攻めてくるという噂が巷に広がるのに時間はかからなかった。ただし、当初はほとんど信じる人がいなかった。多くの人にとって、飛竜というのはおとぎ話だけの存在だったのである。


 しかし、目撃報告の頻度が上がるにつれ緊迫感が高まっていった。襲撃の前に都市を離れた者も少なくない。逆に、名を上げようと都市までやってくる者もいないわけではないが、全体で見ればごく僅かである。相変わらずギルド酒場だけは人で賑わい、異様な熱気に包まれていた。


「飛竜を仕留めればどんな恩賞も思いのままだってよ!」


 ある男は根拠ひとつない、おそらく彼の願望でしかないのであろう話をつぶやく。


「竜の鱗1枚でも金貨1枚の価値があるんだろ? 討伐に参加さえすれば取り分はあるって話だぜ」


 これも根拠のない話だ。そもそも飛竜の素材にどれほどの市場価値があるのかは、実際に見分して加工してみない限りわからないので、現時点で値段が決められるわけがない。また、参加しただけでおこぼれに与れるという話はどこから出てきたのだろうか。そもそも討伐できる前提すら疑わなければならないのは言うまでもないのだが。


 *


 飛竜襲撃の兆しを受けてから、都市は一丸となって淡々と準備を進めてきた。今回の目玉の一つは魔術学院が用意した大規模な幻術である。飛竜の幻を出現させて、都市の手前にある平原におびき寄せる計画だ。


 俺は今、その計画の説明会に来ている。本来、冒険者ギルドの最有力者として呼ばれるはずだったゴルドきょう名代みょうだいとしてだ。


「こんなもの、見世物みせものにしかならないと思っていたんですけどね」


 学院の責任者である壮年の学者は語る。発動には熟練した幻術士が少なくとも3名は必要で、下準備も大掛かりなものを用意しなければならないという。市長や神官長、各ギルドのマスターの立ち会いの元で行われた実験は、一同を驚嘆させた。巨大な飛竜が目の前に現れたのだ。


「あくまでただの幻影、虚像です。偽りの姿を映し出しているだけで、触れることすらできません。当然、音も匂いもない」


 それを実証するかのように、彼は幻影の中を素通りした。


「ですが!同じように空高くを飛ぶ猛禽もうきんたぐいがそうであるように、飛竜の感覚器で最も発達しているのは視力でしょう。姿さえ再現できれば問題はないのですよ」


「ひとつ、質問していいかな?」

「はい、どうぞ」


 市長の質問に学者が答える。


「その幻影とやらは、本当に飛竜の姿を再現できているのかね?」

「わかりません!」

「な、なんだと……?」


 即答する研究者に驚く一同。だが彼は続ける。


「我々は過去の記録を照らし合わせて、それらしい飛竜の姿を再現したに過ぎません。しかし! 些細ささいな問題なのです」

「な、なぜだね?」


 自信満々に言い放つ研究者に気圧されながらも市長は疑問をぶつける。


「お手元の資料にもあるように、飛竜の雄というのはそれ自体が突然変異のようなもので、外見の能力も千差万別。つまり! 少しでも竜の特徴がある存在を見つけたら、敵対にせよ求愛にせよ必ず接触するはずです」


「ふむ……確かに筋は通ってはいるが、思惑通りに事が運ぶ保証はあるのかね?」

「あるはずがないでしょう。そもそも、飛竜の襲撃という未曾有みぞうの事態。誰も確信を持った行動なんて取れるはずがないんですよ」


 そう言いながら、彼は細い口ひげを指先で巻きつつ部屋を歩き回る。


「ちょうど2年前、勇敢なるゴルド卿とその一行が『異変』解決に乗り出したように、ね。そうでしょう、トム殿」


 まさか名指しで呼ばれるとは思わなかった俺は、戸惑いつつもうなずいた。


「ああ。俺たちだけじゃない。冒険者ギルドも武具工房も、神殿も、もちろん魔術学院も、今までに無かった事態に対処してきたんだ」

「その通り! 今はそれぞれが出来ることに全力で取り組むしかないのですよ」


「ともかく、我々の学院からは幻術士だけでなく、火炎術師・雷電術師・雪氷術師を始めとした精鋭部隊を送り出します。飛竜に最初の一撃を加えるのは我々なのですよ」


 それはつまり、最も危険な任務であることを物語っている。


「私が率いる幻術士部隊も、最前線で奴を撹乱してやりますよ」


 ***


【一般用語集】


名代みょうだい

 ある立場の代理として出席する者のこと。

「なだい」と読むと意味が変わるので注意。


猛禽もうきん

 ワシやタカなどの肉食性で大型の鳥類のこと。


【本作独自の用語・用例】


『幻術士・火炎術師・雷電術師・雪氷術師』

 ここでは、それぞれの系統の術を特に得意とする魔術師のような意味合いで、独立したクラスというわけではない。これらの他にも、術系統ごとに様々な専門家がいるが、研究職や軍閥ならまだしも冒険者においては数は少ない。幅広い状況に対応するために広く浅く呪文を使えるほうが活躍の機会は多いのである。


 余談だが「氷雪(ひょうせつ)」ではなく「雪氷(せっぴょう)」である。意味合いは同じだが、より学術性の強い単語を選んでいる。

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