第25話 薬

               26


 気付くと俺と、ああ・・はダンジョンの入口を閉鎖している巨大な扉の上にいた。


 ダンジョン開口部の縦穴の上に蓋として載せられた閉鎖扉だ。


 俺が侵入した後に巻き上げ機を巻ききってダンジョンは完全に閉鎖されたのだ。


 蓋の上には重りとして大量のブロックが載せられていた。万が一の閉鎖の際に備えて準備されていた物だ。他にも手近にあった重たそうな物が色々、扉の上には載せられていた。


 そんな重たい荷物の間にできたわずかな隙間に俺と、ああ・・は転移していた。


 ああ・・は寝たままで、俺は屈んでああ・・を強く抱きしめていた。


 蓋の下で小刻みな振動が起きている。


 地下一階まで上がって来たスタンピードの魔物の群れが外に出られずに犇めき合っているわけではなく、もっと根本的なダンジョン自体の揺れだ。崩落が続いているのだろう。


 外は既に真夜中だった。


 そもそものスタンピード発生の一報が夕方だ。


 それから俺はダンジョンに入り、ああ・・と合流した後、ダンジョンコアを壊しに行って魔族と闘った。そう考えれば夜明けが近くても不思議はない。


 閉鎖扉の周囲には多数の篝火が焚かれており、ダンジョンからの魔物の流出があれば、すぐに気が付けるように手配されていた。


 けれども周辺に人の姿はない。閉鎖扉で時間を稼いでいる隙に避難したに違いなかった。


 俺たちがいる扉が破られていないことから、まだ魔物の群れは外に出てはいないようだ。このままダンジョンの崩落に巻き込まれて全滅してもらいたいところである。


 どこかに隠れて様子を窺っていたのかギルドマスターと、ああ・・の幼馴染の受付嬢が扉の上に出現した俺たちを見つけて姿を現した。


 責任者であるギルドマスターはともかく受付嬢は逃げていてしかるべきだろう。それだけ、ああ・・を心配してくれていたということか。


 だとしても、俺には、そちらに構っている余裕はない。


 俺はリュックサックをひっくり返して中身を全て周辺にぶちまけた。


 目的は薬瓶専用のポーチだ。中身の瓶が割れないようにクッション性を高めてあった。


 ポーチは仕切りで小分けしてあり中に何本もの薬瓶が入っている。


 茶色い色ガラスでできた直径五センチ、高さ十センチ程の薬瓶を取って封を千切って蓋を開けた。


 ああ・・の腹の傷口から体内に流し込むように薬を注いだ。澄んだ黄金色の液体だ。


 続いてもう一本同じ薬瓶を取り出して今度は、ああ・・の身をそっと起こしながら、ああ・・の口につけた。


「飲め。薬だ」


 ああ・・に、はっきりとした意識はなかったが本能的な反応なのか瓶を口に当てて傾けると、こくこくとゆっくり薬を飲んだ。


 俺は、ああ・・をその場に寝かせた。


 薬をかけた、ああ・・の腹の傷口から、しゅうしゅうと煙が上がりだした。


 魔族にやられた傷口が見る間に塞がっていく。


 だけではなくて、顔の火傷痕からも体中の切り傷からも瘡蓋からも、ああ・・のほぼ全身から煙が上がっていた。


 回復呪文であるならばまだしも薬による治療ではどの傷を治療するかの選択はできない。


 薬は飲んだら患者が持っているすべての傷や病気に対して効果を発揮しようとしてしまう。


 ああ・・がこれまでに負っていた古傷が見る見るうちにすべて治療されていった。


「何だ、その物凄い効き目の薬は!」


 駆けつけてきたギルドマスターが治っていく、ああ・・の様子を見て驚愕の声を上げた。


「エリクサー」


 俺は薬の名前を口にした。


 部位欠損を含むあらゆる怪我、あらゆる病気に効く万能薬だ。


 王侯貴族がこぞって手に入れたいと願い、一度ひとたびオークションに出品されれば天井知らずの値段が付く。個人で持っている事実を誰かに知られるだけでも奪おうとする者から命を狙われる危険な品物だ。時には戦争の原因にすらなってきた。


 探索者パーティーがエリクサーを発見したなら即座に引退しても全員揃って一生安泰だ。


 貴族のような裕福な暮らしができる。


 逆に、さっさと売り飛ばさないと命が危険だ。仲間割れすらあり得る。


「そんな高い物を」


 ギルドマスターと受付嬢は唖然とした顔だ。


「魔導士協会の伝手を使って原価で入手した取って置きだが、これで使い切った」


 本当は逆だ。


 俺が、ああ・・に使ったエリクサーは、お袋秘伝のレシピで俺が調合した自家製だった。うちは家業が自家製魔法薬と魔法の巻物その他魔道具のアイテムショップだ。


 俺は、時折、旅と研究の資金調達のために極秘にエリクサーを魔導士協会に卸している。『ゆら』しか使えない俺が魔導士協会に顔が利く理由の一つがそれだった。


 但し、エリクサーは材料の調達に費用と手間がかかる点が難点だ。


 俺はエリクサーを作れる事実を知られたくないためギルドマスターに嘘をついた。


 下手な人間に知られると平穏が無くなる。


 王侯貴族にでも情報が届いて捕らわれて死ぬまで薬づくりをさせられるような目に合う事態はまっぴらだ。


 そうなる前に相手の首を飛ばして逃げる自信はあるが、いずれにしても厄介事に巻き込まれるに違いない。俺がエリクサーを作れる事実は知られないに越したことはないだろう。


 俺が魔族にコボルトの体にされた後、俺は自分でもエリクサーを飲んでみた。


 結果は変化なし。


 俺の体は病気でも状態異常でもないらしい。普通に健康体のコボルトだった。


 そりゃ確かにそうだろう。


 受付嬢が俺の脇にしゃがみ込み横たえられている、ああ・・の顔を覗き込んだ。


ああ・・ちゃん、良かった」


 過去まで含めた全身の傷が見る間に治っていく、ああ・・の姿に受付嬢は涙ぐんだ。


 ああ・・ハーフ鬼人族オーガなので額に角こそあったが、本来そのように成長していたであろう筋肉質ながらも絶世の美女になっていた。


 これまでの、ああ・・を知る人間であるほど同一人物だとは思うまい。


「地下はどうなってる?」


 ギルドマスターが一番気になっていたであろうことを訊いてきた。


 受付嬢も真剣な顔で俺を見た。


 俺は二人に地下での出来事をかいつまんで報告した。


 曰く、


『ダンジョンコアから大量の魔物が吐き出されていた。


 俺はコアから現れた元凶らしき魔族と闘った。


 魔族はコアを破壊して魔界へ逃げた。


 俺たちは『帰還』の巻物で脱出した。


 スタンピードは止んだが中では崩落が進んでいる。


 このダンジョンはもう終わりだ』


 休ダンジョンが死ダンジョンになるというだけではない。埋没して跡形もなくなるのだ。


 ダンジョンが消滅すれば早晩この村もなくなるだろう。観光地として成立しなくなる。


 結果としてスタンピードでまた一つ村が消えることになった。


 スタンピード発生の兆候に気づきながら、あえて報告を怠っていたギルドマスターへの責任追及は免れないだろう。


 報告したところで俺以外の誰かが何かをできたとは思えないが、それはそれだ。


 人的被害がなかった点だけは不幸中の幸いだった。


 ああ・・が地下で時間を稼いでくれたお陰だろう。ダンジョン入口の閉鎖扉が間に合った。


 俺は立ち上がるとギルドマスターの顔を見上げて睨みつけた。身長差で、どうしてもそうなってしまう。


ああ・・は連れて行く。文句はないな」


『威圧』をしたわけではないが言葉にそれなりに殺気を込めた。


 もし、ああ・・をギルドの財産だとでも抜かしたら首を刎ねる。


 ギルドマスターは何か口を開こうとしたが、その前に受付嬢が「お父さん!」と大きな声で言いギルドマスターに立ちはだかった。


 二人は親子か。なるほど。だから受付嬢も残っていたのか。


 単に、ああ・・が心配であったというだけではないらしい。


 恐らくギルドマスターと最期を共にしようとしていたのだ。


 受付嬢なりの責任の取り方なのだろう。


 もし逃げて自分は生き残ったとしてもスタンピードの兆候を隠蔽したギルドマスターの家族だ。補償や借金で無事には済むまい。下手をすれば奴隷落ちだ。ならばいっそのこと、という考えがあったのだろう。


 俺がギルドで騒いだことから、ギルドマスターがスタンピードの兆候に気づいていた事実は同席していたギルド職員により他の職員たちにも知られることとなったはずだ。


ああ・・ちゃんは生まれ変わったのよ。ギルドで奴隷同然に扱われていた、ああ・・ちゃんは地下で死んだの」


 受付嬢は意識を失ったままの、ああ・・を優しい顔で見下ろした。


 ああ・・は意識こそなかったが寝息は穏やかだ。規則的に胸も上下している。問題はないだろう。エリクサーは十分以上の効果を発揮してくれた。


「そうだな」と、ギルドマスターは小声で言った。


 俺の鼻は悪意の匂いを嗅ぎ取らなかった。


「ポチさん」


 受付嬢は俺に顔を向けた。


 俺を呼ぶ名前について突っ込むべきか一瞬悩んだが、受付嬢の顔が真剣だったので俺は見逃スルーした。


ああ・・ちゃんに探索者カードを発行します。新しい名前を付けてあげてください」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る